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孤高の人/新田次郎あらすじと読書感想文

2004年11月26日 竹内みちまろ

 「孤高の人」は、実在の人物、加藤文太郎をモデルにした小説です。加藤は、小さいころから山が好きでした。休みの日に近辺の山々に登っては、山の中に身を置くことに安らぎを感じていました。加藤がはじめて三千メートル級の山に登った時のことです。

「ろくろく山を知らないのに、無茶をやっちゃあ困るな」

 槍ヶ岳の山小屋に一人で入ってきた加藤を、山岳会のパーティーが、日本アルプスは地下足袋なんかで来るところではないと、やりだまに上げます。しかし、山小屋の主は加藤の本質を見抜きます。

「加藤さんの歩き方を見ていると喜作そっくりだ」

 早朝に一人で出発する加藤を見送りながら、かもしかよりも早く歩くといわれた猟師喜作の姿を思い浮かべます。

 「孤高の人」は、加藤の少年時代からはじまります。高等小学校を出で造船会社の研修生となった加藤は、仲間といっしょに造船技師から授業を受けます。加藤は同じ研修生の友人と、休みのたびに地図遊びをしました。附近の山を散策します。しかし、友人は肺結核でした。荷物をまとめて故郷に帰りました。山奥にある村の家で、骨と皮ばかりになって、死んでしまいました。大正天皇が崩御して昭和の世がはじまりました。日本は暗い時代へ突入します。加藤の山行きは続きます。やがて雪山への単独行に発展しました。厳冬の雪山を疾風のように駆け抜けて、山岳会のパーティーをあっという間に抜き去っていく加藤の姿が、いたる所で見かけられるようになりました。

 印象的な場面がありました。立山の山小屋にたどり着いたとき、加藤は、先着のパーティーに敬意を表するために、ひきつってはいましたが、せいいっぱいの微笑を浮かべながらつっ立っていました。先着のメンバーの目に、いっせいに警戒の色が走ります。目の暗さに慣れた加藤は、靴を脱ぎはじめます。そして、なぜだれも話しかけてくれないのだろうといぶかります。

「だいたい、あなたは、土田さんに一度だって挨拶しましたか。挨拶もせずに、人のパーティーに図々しく割り込んで、ラッセルドロボウをつづけていたら、誰だって腹を立てますよ」

 加藤は、人とうまく打ち解けることができない自分に打ちのめされます。耐え切れないほどの孤独を感じます。

「私をあなたがたのパーティーの一員に加えていただけませんか」

「それはできませんよ。ぼくらはすべてこの六人で行動するように準備してきている」

 山においては、自分以外に信用のできるものはない。加藤は、心の中で孤独を打ち消しました。そして、孤独に立ち向かうかのような計画を実行します。富山から十日間で冬山を縦走して、長野に降り立ちました。この偉業により、”単独行の加藤”の名は不動のものとなりました。

 「孤高の人」は、加藤の日常にも多くのページを費やしています。実生活でも、加藤は、同僚たちと打ち解けることはありませんでした。しかし、山に行く以外の時間は、熱心に仕事に打ち込みます。造船所では技師に昇格していました。物語の終盤で、そんな加藤に変化が起きます。両親が整えた縁談で、三十歳を過ぎた加藤は、二十歳の花嫁を迎えます。

「加藤さん、これからぼくら三人でお宅へうかがっていいでしょうね」

 加藤は、結婚してから人が変わったように明るくなりました。誰にでも笑顔で挨拶を振りまきます。セリフは、そんな加藤に興味を覚えた造船所の後輩が、新居に押しかける場面でした。加藤は、結婚してはじめて人生の楽しみを知ります。そして、子どもが生まれて、人生には、雪山の中でひとり自然に抱かれているときに感じたのとは違った形の幸せが存在することを知ります。そんなストーリーは、加藤を崇拝する若い青年の出現で展開します。加藤を慕う青年は、加藤がたどったのと同じコースで、雪山を次々とクリアーしていきます。青年は、加藤に、自分といっしょに山に登ってくれと頼みます。青年の申し出を何度も断りながらも、加藤の心が揺れます。そして、今回限りと、青年と山へ登ることを承諾しました。しかし、山行きを決意したあとの加藤の目には、最愛の妻ですら近寄ることができない光が宿っていました。孤独を愛し、単独行動を貫いた加藤は、生まれて初めて組んだパーティー登山で遭難しました。二度と戻りませんでした。

 孤高に生きることが困難な実社会の中で、誰もいない厳冬の雪山にいるときだけが幸せだと感じていた加藤は、山を下りた場所にも別の幸せがあることを知ります。しかし、新しい幸せを見つけた矢先に、運命の皮肉が加藤を襲いました。本書の裏表紙では、 「”なぜ山に登るのか”の問いに鋭く迫った山岳小説屈指の力作」と紹介されています。しかし、「孤高の人」には、”なぜ山に登るのか”の答えは書かれていません。「孤高の人」のクライマックスでは、青年の無謀な計画に引きずられるようにして雪山で遭難する場面が、抑えの効いた表現で淡々と描写されています。青年の呼吸が止まったあとも、加藤は、合理的な判断を冷静に積み重ねて、雪山からの脱出を試みます。”なぜ山に登るのか”、そう自問しながらも、最後まで答えを出すことができなかった男の物語だと思いました。


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