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日本難民/吉田知子あらすじと読書感想文

2010年7月26日 竹内みちまろ

 「日本難民」(吉田知子)という本をご紹介します。「新潮」の二〇〇二年十月号に掲載された作品です。

 内容を簡単にご紹介すると、連合国が日本を抹殺するために攻めてきたあとのお話です。内閣は役に立たずに、自衛隊も何の準備もしていませんでした。東京は焼け野原になり、連合国は化学兵器も投入しています。

 冒頭の二つの段落を読んで(本文でいうと一ページ目)、文章がうまいなあと思いました。最初の段落は、具体的なエピソードを描写することを手段として、何事が起きているのかと読者に身を乗りださせるために、次の段落は、会話といいますが、地の文でのせりふを利用して、連合国が攻めてきたことや、東京が焼け野原になったらしいこと(伝聞)や、「ほら、軍需工場なんてないから、今は」(時代背景の説明)などの情報を的確に読者に提示していると思いました。

 同時に最初の二つの段落を読んで、単行本「無明長夜」や単行本「父の墓」に収録されていたときの吉田知子さんの作品とは、違ったイメージを持ちました。単行本「無明長夜」や単行本「父の墓」に収録されていた作品では、うまくいえないのですが、読者への説明よりは、自分のこだわりをひたすら書いていたという印象がありました。いっぽうで、「日本難民」の最初の二段落では、とにかく読者にわからせる、情報を提示する、背景(世界観?)を説明する、という意志を感じました。それの是非はわかりませんが、「日本難民」は最初の一ページを読んで、プロとして責任を持って書かれた作品なのだろうと思いました。

 「日本難民」では、戦火を避けるために自家用車(!)で避難することでストーリーが展開します。でも、読み進めて、やはり、吉田知子さんの作品なのだなという印象を受けました。どこか、浮世離れしているといいますか、主人公の女性は、旅館に避難したあとに、先に来ていた人たち(といってもわずか数日)から、やれ共同生活だ、やれ助け合いだとか何とか言われ、ようするに自分たちが運んできた食料をかすめとろうとしていることに気がついて、「そうだわ、車に置いてあるものを取りに行くといって、そのまま車で逃げましょう」と夫に告げ、実行に移しました。しかし、うまくいったと思ったとたんに、林の中から押しかけた人たちに座席のドアを開けられて、「みんな目の色を変えて勝手に好きなものを手に抱え」られてしまいます。「みんなの食料を出し合って平等に分けるのではなかったのだろうか」と疑問しながらも、「たぶん明日の朝までには棚は完全に空になるだろう。これが公平に分配ということなのだ」と、自分も「目立たぬように人目がないときに幾つかかすめ取った」りします。

 「日本難民」では、途中までは、危機感がまったくない人たち(旅館に避難してきた若者たちは、「ああ、疲れた。おーい、オバサン、飯の用意してよ」などと平気で言います)の姿が、ときにこっけいに描かれているような気がしました。

 ふと、どうして、吉田知子さんは、笑いごとではない事態を笑いごとのように、あるいは、結果として読者にとってみれば笑いごとのように映るように(登場人物たちは必死になって、食料を奪い合い、隠し合い、だまし合い、いやなことを押しつけ合う)描いたのだろうかと思いました。もちろん、連合国に日本が攻められるという現象を、(いわゆる)リアリティー(と呼ばれるもの)を持って描くにはそうとうの苦労が必要になるだろうとは思いますが。

 また、主人公の女性にしても、夫も含めて、どうせ人間なんてみんな他人よ、何を言ったって伝わらない、だったら自分のことだけ考えてうまくやればいいわ、とでもいうような、腹立ちやもろもろの感情をも超越し、化学兵器の犠牲になってのたうち回る若者をほったらかしにして行ってしまうような、人物として描いたのだろうと思いました。単行本「無明長夜」に収録されていた「豊原」を読んだときに、吉田知子さんは、「外地」からの「引き揚げ」やそこで繰り広げられた壮絶な人間模様を知っている人なのだと思いました。平和ボケした現代の日本人が、いざ、難民になったとしてもこの程度よ、とでもいうような風刺なのだろうか、とさえ思いました。でも、それならば、戦争とまではいえませんが、少なくとも、戦後すぐの社会を少しは知っている主人公まで、若者たちに加えてこんな自己中心的な人物として描く必要があるのだろうかと思いました。もしくは、前文で、自己中心的と書きましたが、それはまだ、今にこの読書感想文を書いている私がガキンチョなだけで、人間というものは、一般的には、ある年齢を超えるとみんなそうなる、あるいは、そうならなければならないものなのだろうかと、いろいろと考えてしまいました。とにかく、主人公は、べき論だとか、博愛だとか、ときに、感情だとかを超越した「まなざし」を持って、自分をも含めた人間たちを見ていることに気がつきました。

 しかし、それもまだ実際の危機が迫っているまでの段階で、危機の渦中に入った主人公は、「あの赤ん坊を助けてやりたいが、どうにもならない。自分の食べるものさえないのだ」と変化していきます。危機の渦中に入ってしまえば人間がどうなるということを知っている人が書く文章だけに、説得力がありました。

 「日本難民」は、一読したかぎりでは、ストーリーだとか、クライマックスだとか、主張だとか、読者の満足だとか、一から十まで説明することだとか、そういったことよりも、ひたすら一人語りの視点から何かが描かれた作品だと思いました。作品の結びの方法も、もし純文学の結末なんて放置プレイでいいのであれば、純文学的だと思いました。

 いろいろな意味で、読み応えのある作品だと思いました。


→ 無明長夜/吉田知子あらすじと読書感想文


→ 父の墓/吉田知子あらすじと読書感想文


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