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花影/大岡昇平あらすじと読書感想文

2006年10月22日 竹内みちまろ

花影/大岡昇平のあらすじ

 「花影」という小説をご紹介します。「かえい」と読みます。銀座の女の物語でした。葉子という女性がヒロインです。ホステスが女給と呼ばれていたころの話です。「花影」は別れ話の場面からはじまります。男は別れたいけど自分の口からそのことを言えないでいます。娘が高熱で意識を失いかけたときに母親に「お母さん、いっしょに死のうか」と口走ったことを葉子に言います。葉子は「死のうって思うのと、死ぬのとは、ちがうわ」と冷静に答えます。男は娘の口から妻が死のうと思うほどに苦しんでいたことを知ったと告げます。男は「しばらくは、泊まれないだろうと思うんだが」と口をにごします。葉子は「いつでも別れてあげるわよ」と言ってしまいます。男は葉子の口から「別れる」と言わせて去っていきました。冒頭の別れ話のエピソードには、背景を掘り下げるという形式を利用して登場人物たちの紹介と葉子のおいたちが挟み込まれていました。自殺未遂の経験がある葉子には「死のうと思うこと」と「死ぬこと」の違いがわかることや、葉子は母親の実の娘ではないこと、そして、葉子が不幸なことが語られます。冒頭を読み終えて、「花影」は「不幸」を描いた作品だと思いました。

 「花影」のストーリーは愛人と別れた葉子が銀座のバーに戻ることにより展開します。20年も銀座で女給をしていた葉子には昔のなじみもいて、また、新しいなじみもできました。葉子が10歳年下の若い男とできる場面がありました。何もかもがけだるくてお酒に酔うことにしか慰めをみいだせない葉子は、いつも自分の足で歩けないくらいに泥酔していました。若い男は葉子をアパートまで送ります。葉子は帯をほどきます。気がついたら若い男から背中を抱きしめられました。若い男は野心を持っていましたが純情と不安と渇きを隠し持っているような青年でした。葉子の体は若い男の欲望を吸い尽くしてなお余りがあることが語られます。しかし、葉子自身は、そんなことには気がついていませんでした。男にアパートまで送られて、うしろから抱きしめられて、気がついたら新しい関係が出来ている、昔から何度も経験してきた紋切り型の成り行きを繰り返している自分をさめた目で見つめていました。葉子には庇護者的な存在のさえない男がついていました。かつては美術評論家として脚光を浴びていましたが、いまでは裁判が終われば大金が手に入ると吹聴するだけで、誰からも相手にされていませんでした。葉子は「なぜ仕事をしなくちゃいけないの。仕事だけで認められるなんて、つまらないわ。何もしないで尊敬されれば、なお立派じゃないの。高島先生は生きているだけで、いいのよ」とそんな男を慕っています。男を訪問した葉子は「先生、御飯まだでしょう」と誘います。自分の懐からお金を出して「はい、これだけ先生に貸すわ。先生の土地に投資するの。だから、おごって頂戴」と言いました。

 「花影」は銀座に戻った葉子が男たちと関係する様子をおった作品ですが、恋の話やバーでの出来事よりも、ときおり見せる昔の自分を思う葉子のうしろ姿が印象に残りました。14歳の葉子は実の子ではないと知ってから母親と口をきかなくなりました。葉子は昔から、何かをしようとするときに、これはしない方がいいのではないか、してはいけないのではないかと逡巡することがあったと語られます。葉子は自分を虐めて自分を汚すことに喜びをみいだす習慣を身につけてしまう人生を歩んできたようです。しかし、葉子の物語は「花影」ではあまり語られません。いまの葉子は逡巡することすらわずらわしくなって成り行きだけに身をまかせている姿が語られます。葉子がバーに来ていた男に誘われて休みの日に男の家に行く場面がありました。いやとは言えなくて、しかたなくしてしまった約束でした。葉子を迎えた男も来ないかと思ったよなどと言いました。男の家には思春期の娘がいました。葉子は、むかしから、自分が好きになれる相手とそうではない相手はひと目見てわかりました。葉子は、好きになれる相手にいつもするように、黙ってうなずいてにこっと笑いかけました。(あたしたちお友達になれるのよ)という合図でした。しかし、思春期の娘は合図を送り返してきませんでした。娘はおびえたように目をふせます。葉子は場をもたせるために「あなたにあまり似てないのね」と言います。男は「あたりまえさ、血がつながっているわけじゃないものな」と答えます。娘は肩を固くしました。葉子は「松子さんておっしゃるのね」と娘に話しかけます。娘は顔をこわばらせたまま「そうです」と答えます。葉子は「いい名前ね。松の木の松?」と聞きます。娘は「そうです」と繰り返します。葉子は「あたしは葉子、葉っぱの葉子よ。小母ちゃまはね、お父様がお酒を飲むところで働いているの」と言います。娘は「知ってます」と答えます。葉子が「あら、お父様は、松子ちゃんに、なんでもいうのね」と言います。男は「そうさ。親一人子一人だものな。なんでも話し合うことにしてるんだ」、「新しいお母様が来るかもしれないことも、知ってるよ。なあ、松子」と言います。娘は父親には答えません。庭を見て鼻を鳴らすような表情を作りました。

「いま眼の前で、苦しんでいるのは、14歳の彼女自身だった。本当の子でないのに、どんなに苦労して育てたとか、合計いくらかかったとか、大人の世界の一部始終を、あけすけに聞かされなければならなかった、20年前の自分だった」

 葉子は、突然、「松子ちゃん、小母さんといっしょに遊びに行きましょう」、「お父様はほっといて、小母さんと2人だけで行きましょう」と松子の手を握りました。ほほ笑みかけるのも忘れて、松子を椅子から立たせようとします。しかし、娘は動きませんでした。「うちのお母様になりに来たのね」と言いました。

「それはもうこれまでの、おどおどした松子ではなかった。固い目が大きくなって、鏡のようにぎらぎら輝いていた。それも昔の葉子の眼だった」

 葉子は「ああ」と小さくさけんで娘の手を離します。その場から駆けだしてしまいました。

 「鏡」というものは恐ろしいものだと思います。深遠をのぞき込むときに深遠もこちらを見つめているように、「鏡」というものは、のぞきこんだ人間に、心の中にいる本当の自分を見せ付けてしまうことがあります。葉子は、間違いなく、「不幸」だと思いました。

 「花影」の巻頭には、ダンテの「神曲」から一節が引用されていました。解説にあった訳では「思い出してくださいませ、ピーアでございます、/シエーナで生まれマレンマで死にました」という一節です。本棚から「神曲」をひっぱりだすと、ピーアという女性は、マレンマ地方の城主に嫁ぎましたが、城主が美人のマルゲリータという女性と結婚するためにひそかに殺された女性のようです。この一節を引用した意図はわかりませんが、最初に提示されていたので、「花影」を読んでいる間じゅうずっと「神曲」のイメージが頭にありました。葉子は成り行きに身をまかせてうつろうだけの時間を過ごしていきます。「死のうと思うこと」と「死ぬこと」の違いがわかる葉子は、自殺未遂を経験しているだけに、どれだけの量の薬を飲めば死ねるかも知っていました。葉子は誰にも言わずに薬をためていきます。部屋を整理して、誰にも迷惑をかけないようにして、準備を整えます。葉子のアパートは小学校の向かいにありました。葉子の部屋に来る男はうるさいと言いますが、葉子には小学生の無邪気な声が潮騒のせせらぎに聞こえます。葉子は薬を飲みます。窓の外から子どもたちの声が聞こえます。意識がもうろうとします。体の感覚がなくなります。窓から聞こえてくる声が、いつの間にか、幼かったころに近所の子どもからからかわれた「拾いっ子」という声に聞こえてきました。「花影」はそんな場面で終わる作品でした。

花影/大岡昇平の読書感想文

 「花影」を読み終えて、自殺をする人間の心にあるものは、悲しいとか、辛いとか、くやしいとかいう感情ではなくて、ただもう何もかもがわずらわしいという思いなのかもしれないと思いました。「花影」は、一切の望みを捨てた先にある憂いの国の物語だと思いました。

 「花影」は心に染みる作品でした。抑えた文章で書かれた観念的な内容だと思いました。どんな小説かをうまく説明することができませんが、意志とか情熱とか行動とかをテーマにした三島由紀夫の作品よりも、情緒とか感情とかはかなさをテーマにした川端康成の作品に似ているような気がしました。「花影」の葉子は、「雪国」の葉子に似ているななどと、なんとなく、感じました。男にとっては、「駒子」は女神にはなれないのかもしれませんが、「葉子」は女神になれるような気がします。それは「魔性」とかいうものとは違うような気がします。しいて言えば「不幸」ということでしょうか。


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