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十五少年漂流記/ヴェルヌのあらすじと読書感想文

2015年8月5日 竹内みちまろ

十五少年漂流記のあらすじ

 「十五少年漂流記」(ジュール・ヴェルヌ/波多野完治訳/新潮文庫)のあらすじです。

 1860年2月15日、イギリスの植民地・ニュージーランドの首都であるオークランド市に建つチェアマン学校は、北半球でいうところの夏休みに入った。チェアマン学校の100人余りの生徒はいずれも白人で、島に渡ってきたイギリス、フランス人、ドイツ人、アメリカ人などの子どもたちだった。

 1年生から5年生に渡る14人の子どもたちは、親たちの計らいで、翌16日の朝、帆船スルギ号に乗り、2か月をかけてニュージーランド沿岸を一周する旅に出ることになっていた。出港が待ちきれない14人の子どもたちは、15日の夜のうちにスルギ号に押しかけた。排水管工事の指導のために招かれた父と共に2年前にオークランド市にやって来たフランス人兄弟のブリアン(13歳)とジャックのうち、弟のジャックがいたずらでたずなを緩めてしまい、14人の少年と、黒人のボーイの少年モーコーを乗せたスルギ号は、船長や操縦士、水夫たちを乗せないまま港を出航してしまった。

 14人の顔ぶれの中で、最年長は、5年生のゴードン。慎重さを持つ14歳のアメリカ人だ。13歳のイギリス人・ドノバンは、勉強家で勤勉だが、威張りたがり屋で、いつも身なりを整えてツンとすましている。従兄弟のクロッスをはじめ3人の子分を従える。ブリアンは勉強は好きではないが心の豊かな少年で、持ち前の明るさでクラスの人気者。最年少は、1年生のドール(8歳)とコスター(9歳)。

 15人の少年を乗せたスルギ号は、南アメリカ大陸南端で太平洋と大西洋を結ぶマゼラン海峡の太平洋側に散ばる群島の一つ・ハノーバー島(南緯51度)まで流された。ただ、少年たちは、チリ沿岸の島であることはおろか、島なのか、大陸なのかも分からず、樫の木や、ぶな、松など、赤道近くでは見られない木があることから、ニュージーランドよりもずっと南極寄りに流されたことだけは分かった。

 幸いスルギ号には、ビスケットやコンビーフ、干した果物やハムなど2か月分の食料をはじめ、猟銃、ピストル、散弾銃や弾薬、信号弾、船に備え付けの大砲2門などの武器、通信用のラッパ、望遠鏡、ゴムボート、敷布団や掛布団、枕などが積み込まれていた。ほか、大工道具、針や布、図書室には旅の間に暇にならないようにとの親たちの配慮で本がぎっしりと詰まっていた。

 年長の少年たちが、住まいとしていたスルギ号を下りて、探索に向かった。島の奥に洞穴を発見。中には、テーブルや椅子、ベッドまであり、1冊のノートを見つけた。難破船の船名と思われ名前や、1807年という記載もあり、かつて島に流れ着いて洞穴に1人で住んでいたと思われるフランス人が作ったらしい地図を発見。少年たちは、島を「チェアマン島」と名付けていたが、「チェアマン島」が孤島で、島の真ん中に大きな湖があることを知った。

 少年たちは、洞穴を「フランス人の洞穴」と名付け、スルギ号を捨てて移り住んだ。

 ゴードン、ブリアン、ドノバンの3人のリーダー格の少年たちが中心となり、15人の少年の「チェアマン島」での生活が始まった。大統領を選ぶことになり、ブリアンの「僕たちの中で、いちばん考え深い人さ、つまり、僕たちの親友、ゴードンだ」のひと声で、ゴードンが推薦された。ゴードンは面食らい、引き受けるのをよそうと思うも、ドノバンが露骨にブリアンに対抗心を燃やすなど少年たちの結束が心配であり、自分が引き受けることで争いごとが起きた時に役に立つかもしれないと、大統領を引き受けた。

 ゴードンは島での生活の日課表を作った。午前と午後には2時間ずつ勉強の時間を作り、年長の少年たちが交代で教師を担当。少年たちそれぞれに、日付と時刻を正しく管理する役目、寒暖計と気圧計の数字を毎日記録する役目、食事や洗濯などを分担し、日曜日は一日休みとして、自由に過ごした。

 6月に入ると、寒暖計は氷点下10度から12度を指すようになり、大雪が降り始めた。少年たちは、厳しい冬を越すために薪を集め、砂糖かえでの木の汁を煮詰めて砂糖を作ったり、あざらしを獲って毛皮を手に入れたり、あざらしの肉を大鍋で煮詰めて明かりに使う油を作ったりした。ときにクマやラマ、カバなどに遭遇するなどしながら、島での共同生活を続けた。

 厳しい冬を越して1年が過ぎると、ゴードンの大統領の任期が満了し、投票でブリアンが次の大統領に選ばれた。規律を徹底するゴードンは幼い少年たちから人気がなく、ドノバンは自分こそがと思っていたが、取り巻きの3人からしか票を得ることができなかった。

 島に流れ着いて1年半ほどが経ったころ、少年たちは浜辺で大人が倒れているのを発見。森の中では、毛皮の服を着て腰にショールを撒いた婦人が倒れているのを見つけた。少年たちは、サンフランシスコを出港した商船の中で、ワルストンという水夫が仲間をそそのかして謀反を起こし、船長らを殺害するも数日後に火事があり、船を捨てたワルストン一味7名がボートで「チェアマン島」に流れ着いたことを知った。船の運転士のイバンスがワルストン一味の元から逃げ出し、フランス人の洞穴に着た。少年たちは、「チェアマン島」がチリ沿岸の島であることを知った。

 少年たちは、イバンスと協力して、鉄砲や大砲で、凶悪なワルストン一味を退治。少年たちは、ワルストン一味のボートで漕ぎだし、スルギ号の遭難を知っていた汽船の船長の好意で、2年ぶりに、オークランドの港に帰り着いた。オークランド市民は諦めていた少年たちが15人全員戻ってきたことに歓喜。1人の少年がチェアマン島でつけていた日記が出版されると、世界中で読まれた。

十五少年漂流記の読書感想文

 「十五少年漂流記」は、子ども社会の在り方が印象に残りました。

 15人の少年たちは、最年長は14歳のゴードンで、最年少はドール(8歳)。構成は以下の通り。

5年:ゴードン(14歳)、ドノバン(13歳)、クロッス(13歳)、ブリアン(13歳)、バクスター
4年:ウェッブ(12歳)、ウィルコックス(13歳)
3年:ガーネット(12歳)、サービス(12歳)、アイバースン(9歳)
2年:ジェンキンス(9歳)
1年:ドール(8歳)、コスター(9歳)
ジャック(ブリアンの弟)
モーコー(黒人のボーイ)

 1年生から5年生までの14人とモーコーというメンバーです。

 チェアマン学校はイギリスの寄宿舎の制度を取り入れています。映画の「ハリーポッター」シリーズでは、寄宿舎に入って組み分けされたメンバーたちが固い絆で結ばれていましたが、14人はまず、同じ学校に属する生徒という絆で結ばれていたような気がします。

 しかし、そうではあっても、個々に個性があり、人間模様は様々でした。

 アメリカ人のゴードンは、慎重で、常にドノバンとブリアンが衝突しないかと心配しています。大統領を引き受けたのも、仲間たちを思いやる気持ちからでしたが、一旦引き受けてからは、日課表を作り、年少の少年にも役割を与え、また例え幼い少年であっても、服を汚したり、ボタンを無くしたりすると懲罰を与えます。ゴードンには身寄りがないため、島での生活の確立と維持に次第に熱意を燃やすようになっていたように思えました。

 一方では、ゴードンの厳格さは、島での共同生活を維持するために必要と言ってしまえば反論はできませんが、幼い少年たちには不人気で、大統領の任期満了後は幼い少年は誰もゴードンに投票しませんでした。逆に、幼い子どもたちに気を遣い、一人前の大人扱いをしてくれることもあるブリアンは人気がありました。そんなブリアンに、ドノバンは対抗意識を燃やします。ブリアンが大統領に選ばれたのち、ドノバンは耐えられなくなって、取り巻きの3人を連れて、4人で「フランス人の洞穴」を出てしまいました。

 そんな個性的なメンバーたちが人間模様を繰り広げる物語でしたが、少年たちは、同じ一つの社会に属する仲間なのだなと思った場面がありました。

 それは、凶悪なワルストン一味が島に来たことを知った際、ブリアンはすぐにドノバンたち4人に危険を知らせていました。ドノバンたちもつまらない意地を張ることなく、すぐに「フランス人の洞穴」に駆け付け、危機を団結して乗り越えました。

 この場面を読んで、ドノバンとブリアンは、オポジット(対戦相手)ではあるのかもしれませんが、エネミー(敵)ではないのだと思いました。また、ドノバンはイギリス人ですが、洞穴に「フランス人の洞穴」と名付けようと提案されたときに異を唱えませんでした。かつて洞穴で暮らし孤独に死んでいった一人のフランス人に敬意を表するという人間として大切なことを知っているからだと思いました。

 少年たちの中に、他の少年を「敵」だと思う少年が一人でもいた場合、あるいは自分さえよければ他人はどうなってもよいと思っていたメンバーがわがままを始めた場合は、共同生活は破綻し、少年たちは過酷な運命に飲まれていたのかもしれません。しかし、そうはならなかったのは、少年たちが自らが参加する社会という場所に敬意を評し、その場所に責任を持って参加するということを知っていたからだと思いました。


→ 海底二万里/ジュール・ヴェルヌのあらすじと読書感想文


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