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2012年5月6日 竹内みちまろ
第19回「新日本文学賞」受賞作品『木橋』(永山則夫)のあらすじと読書感想文です。
永山則夫は、「連続射殺魔」事件を起こし、1997年に東京拘置所にて死刑執行。『新日本文学』(2004年11・12月合併号/終刊号)掲載のコラム「井上光晴、永山則夫のことなど」(佐木隆三)に、『木橋』の「新日本文学賞」受賞に至った経緯が記されていました。『木橋』受賞時の選考委員は、佐木隆三、小沢信男、鎌田彗、中島誠、長谷川龍生。コラムでは、『木橋』を佳作に推すつもりだった小沢信男の選評から「本賞の最初の受賞者たる佐木隆三がとりわけ熱心に推すにも、愉快をおぼえた。そこで入選に同意したのである」という言葉が引用され、「小沢さんが佳作に推そうとしたのは「作者は現在東京拘置所に身をおく知名の人物である。まさかこのさい扇情的な効果を狙ったと勘繰られもしまいが、控え目に佳作として心ある読者に手渡してゆけばよい」と、考えたからだという」とありました。
『木橋』は純朴で、詩的な作品でした。あらすじから。
津軽半島の南に位置する青森県弘前から7、8里離れた町にN少年は住んでいました。N少年は小学4年生のころから兄の新聞配達を手伝い始め、小学6年生から本格的に配達の給料をもらいます。2番目の兄はN少年に、血が流れるまで殴り続けるという「リンチ」を加え、3番目の兄はN少年に手は出しませんでしたが、あだ名をつけたり、N少年をばかにするように妹や近所の子どもたちを煽ったりすることにより、N少年に劣等感を募らせました。N少年は、「マーケット」と呼ばれる「特種飲食店」が多い長屋に住み、母親は魚の行商をしていました。N少年が住む長屋から、新聞店へ行くには、川にかかった木橋を渡る必要がありました。
台風が過ぎて、町が床上浸水しました。N少年が朝刊を新聞店に取りに行ったときは木橋のたもとに警官が立っているだけでしたが、夕刊を取りに行こうとしたときには木橋にロープが張られ「通行禁止」の木札が下げられていました。「前々から今度大きな洪水があれば落ちるという心配の声があがり、それは子供たちの間にも聞こえてい」ました。
朝早くにリンゴ一箱を背負って青森へ行き、昼前に魚を買って帰り、その魚を売り歩く母は、兄の暴力で毎日のように泣くN少年を見ても、頭ごなしに文句を言うだけで、「なぜ泣いているのか理由さえ聞いてはくれなかった」。また、「トタン屋のおばあちゃん」(のちにN少年は、祖母であることを知る)は、「当時一番 N少年に厳し」く、N少年は20数回の家出をしましたが、連れ戻すのはおばあちゃんの役割で、10数回目あたりから、家出先から連れ戻すために列車に乗り降りする際、N少年の腰に紐を結びつけて「連行」しました。
N少年は駅で配られた夕刊の配達を終え、炊事をする間も木橋のことが頭から離れません。手早く食器洗いなどの後片づけを済ませて、一目散に木橋へ走ります。「木橋は、台風一過の晴れた秋の夜空に光っていた。星の川が木橋の上に宝石のように輝いていた」。濁流の勢いはすさまじく、大人たちは水位が減っていないことを誰とはなしに話しています。夜8時過ぎ、少年たちも、大人たちも帰り始めましたが、N少年は木橋から「離れられないでい」ました。「木橋は、濁流の中で光っていた。――頑張っていた」
N少年は、この町に来て木橋を渡り始めたころを思い出していました。ある日、木橋を渡っていると、大型トラックが通り、木橋が揺れました。揺れが木橋を壊しそうで恐怖を感じるとともに、この揺れをどこか違う場所で体験した記憶があるように感じます。「北海の流氷が見える港町に架かる橋」でした。N少年がようやく歩いて行けたほど幼いころ、3番目の兄に連れられて、長い橋の真ん中へ行き、そこで待つように言われました。兄も、母も、唯一優しかったセツ姉さんも、来ませんでした。それでも、N少年は待っていました。そこにトラックがごう音を響かせて通過していきました。「幼いN少年には、とても怖い怖い」。「港町の記憶の中には、どうしても母が出てきてくれ」ず、その橋からどうやって家に帰ったのかも分からず、同じ帽子をかぶった黒っぽい制服の大人たちが「いっぱいいた家へ行ったようだ」。「その後に、三番目の兄と二番目の兄と三番目の姉たちが、幼いN少年を、布団蒸しにしていたのだった――」「『助けて、助けて』」「とギャーギャー泣き喚いている小さな小さなN少年が、浮かんでくるのだった」
「この流氷の海と、長い長い橋と、白い、寒い、冬の記憶のバラバラな思い出は、なんであったのか――。
N少年には、この一冬を越さないことには、それらが何であったのか――理解できなかったのだ」
N少年には、流れに浮き沈みするりんご園のリンゴの木の枝々が、「助けてよ、助けてよ」と叫ぶ人間の手にように見えました。
『木橋』((第19回「新日本文学賞」受賞))は、圧倒されました。言葉の力、詩の力、そして、文学の力というものを感じました。
『木橋』は、作品の内側には直接登場しない「語り手」が、「N少年」の物語を語ります。「N少年」は友だちがおらず、いつも、消防団員や、学校の教師や、木橋に集まる大人たちの様子を見て、話す言葉に耳を傾けています。また、「N少年」の母親は、血を流す「N少年」が泣きながら訴えても耳を貸さず、3番目の兄と、妹と、妹と同じ年の姪(一番上の兄の子)は、「蔑んだ目で、N少年が殴られるのを黙って見ていた」とありました。兄や妹たちも母親を見ているのであり、子どもの姿というものは、大人たちの有り様をそのまま反映するのかもしれないと思いました。
「N少年」は、感情のはけ口を持たず、ひたすら自分の中に、怒りと、鬱憤と、屈折をため込んでいるように思えました。でも、1個所だけ、子どもらしい姿が登場しました。「助けて、助けて」と「ギャーギャー」泣き喚く場面です。長い橋に置き去りにされ、警察に保護され家に戻されたあと、兄姉から「リンチ」を受ける様子ですが、ようやく歩けるほどの幼いこの場面だけが感情を表に出す人間として描かれているような気がします。
「N少年」は、純朴な心を持った人間として語られています。なぜ、自分はこんな目に遭うのだろうかとか、大人はどうして誰も助けてくれないのだろうかとか、社会が悪いのだなどと考えることをしません。そういった発想や思考回路を学ぶ機会もなく、劣悪な環境で毎日を過ごすことしか知らず、未来や希望や夢ということを知らないのかもしれないと思いました。
「N少年」はそんな子どもでしたが、それでは、はたして、「N少年」を、そんな人間として語る「語り手」は、どんな人間なのだろう、と思いました。「幼いN少年には、とても怖い怖い」など、「語り手」が語る言葉は、曇りガラスを通して雪景色を見るような幻想的な雰囲気があります。「助けて、助けて」というただごとではないせりふにすら詩的な美しさがあります。その美しさは、登場人物の設定や、ストーリーや、語り口調の心地よさなどの表面的なものから生まれるのではなく、物語の中の「N少年」を見つめる「語り手」の「まなざし」の純朴さの表れなのかもしれないと思いました。
「N少年」は、「この一冬を越さないことには、それらが何であったのか――理解できなかったのだ」と語られます。そう語る「語り手」は、「それらが何であったのか」を「理解」できているのだろうかと思いました。「語り手」も、そして、著者である永山則夫も、文学というものを通して、理解しようと闘っていたのかもしれないと思いました。
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