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わたしを離さないで/カズオ・イシグロのあらすじと読書感想文

2018年5月6日 1時50分

わたしを離さないで/カズオ・イシグロ/土屋政雄訳のあらすじ

 「わたし」たちはヘールシャムで育った。幼い頃から、トミーとルースも一緒だった。ルースとは、7、8歳の頃から喧嘩や仲直りを繰り返しながら、ずっと友達だった。

 ヘールシャムでは毎週のように健康診断があった。13歳の頃、いつものように健康診断の列に並んでいると、トミーが話しかけてきた。この時から、トミーと「わたし」は少し仲良くなった。

 本館南側の池の端で、ときどきトミーと話した。当時、トミーはみんなから意地悪をされて、よく癇癪を起こしていた。いじめられるようになったのは、年少組のとき、ジェラルディン先生の授業で下手な象の絵を描いた時からだという。

 ヘールシャムでは図工の時間がたくさんあって、良い絵を描いたり、良い作品や詩を作れることがとても大事だった。年に数回、マダムがやってきて、出来の良い作品を見つけては持ち帰っていく。作品は、展示館に保管されるという噂だ。

 マダムは、ショートヘアの若い女性だった。「わたし」たちを嫌っているようで、いつも、蜘蛛を嫌いな人が蜘蛛を怖がるように「わたし」たちを見た。でも、「わたし」にはマダムに関する不思議な思い出がある。

 子供時代に、ジュディ・ブリッジウォーターの『夜に聞く歌』というテープを持っていた。ジャケットには、タバコを持つ女性の絵。ヘールシャムの保護官は、喫煙に対してとても厳しい態度だったので、人前に出すのははばかられ、ひとりの時に聞いていた。

 3曲目、「わたしを離さないで」という曲が、「わたし」のお気に入りだった。サビには「ベイビーベイビー わたしを離さないで」というリフレーンがあった。今になってみれば「ベイビー」は恋人に対しての言葉とわかるが、当時の「わたし」にとって、それは親子の歌だった。

 子どもを授からないと言われた女性が、奇跡的に授かった赤ちゃんを抱いて、ぜったいにいなくならないでと懇願している。そんな物語を想い、寮の部屋でひとり、赤ちゃんに見立てた枕を抱いて、音楽に合わせて踊っていた。

 ある晴れた日の午後だった。その様子を、少し開いていたドアからマダムに見られた。マダムは廊下に立ったまま泣いていた。

 池の端で、昔そんなことがあったとトミーに話すと、トミーは、「子供を産めないから、悲劇だと思ったんじゃないか」と言った。エミリ先生に教わった通り、「わたし」たちは誰も子供ができない体だから。

 15歳になった「わたし」たちは、ヘールシャムでの最後の1年を迎えた。ラウンダーズの試合の日、ピーター・Jが、ゴードンに向かって「映画俳優になりたい」と話していた。それを聞いたルーシー先生が言った。「あなた方の人生はもう決まっています。あなた方は臓器提供のために作られた存在で、提供が使命です」と。みんなうすうす知っていたから、驚きもしなかった。

 16歳の頃、当時付き合っていたルースとトミーが仲違いした。二人が喧嘩したとき、シンシア・Eは、「ルースの後釜は当然あなたね」と言った。観察力のあるシンシアの言うこと。その言葉が、あとでとても気になった。

 ヘールシャムを離れる時が来て、生徒たちはそれぞれ別の施設に移った。「わたし」とルースとトミーは、3人ともコテージに移った。コテージは農場を改築した場所で、冬はとても寒かった。

 コテージには、ヘールシャム以外の施設からも生徒が来ていて、先輩たちの間にはある噂があった。ヘールシャムの生徒は特別で、もし本当に心から愛し合っていることを認められれば、そのカップルは、提供の前に3年間の猶予が与えられるという。その3年間は、1秒残らず自分たちのために使えるらしい。ヘールシャムではそんな話は聞いたことがなかったが、もし噂が本当なら、猶予はきっとマダムに頼めばいいのではないか。トミーとそんな話をした。

 それから、トミーは動物の絵を描くようになった。「作品は作者の魂を映し出す。だからヘールシャムでは芸術を大事にしていたんだ。本当に愛し合っているかを判断するために、展示館に作品を取ってあったんだ。おれは子供のころから絵を描くことをあきらめていたから、展示館におれの絵はない。だから今から描くんだ」と。

 トミーの動物たちは、機械のような不思議な生き物だった。「わたし」はその絵をすごいと思った。けれどもルースと2人で話しているとき、ついトミーの絵を笑った。ルースはそれをトミーに話し、「わたし」とトミーの間には取り返しのつかない溝ができてしまった。

 コテージを去る決心をしたのは、それからだった。「わたし」たちは提供を始める前、提供者のケアをする介護人になる。その訓練を受けるため、それぞれのタイミングでコテージを出て行く。介護人になった「わたし」は、数年後、1度目の提供を終えドーバーの回復センターにいたルースの担当になった。

 ある時ルースは、海岸に打ち上げられたと噂になっている船を見たいと言った。「わたし」たちは車でトミーを迎えに行き、一緒に船を見に行った。

 帰り道で、ルースは話を切り出した。「許してもらえるとは思わないけれど、許してほしい、わたしは昔からずっと2人の邪魔をしてきた。本当に結ばれるのはあなたとトミーだったのに、わかりながらその邪魔をし続けた。だから2人で猶予を受けてほしい、ここにマダムの住所がある」と、ルースは1枚の紙切れをトミーに渡した。「わたし」は、そんなこと遅すぎると泣いた。

 回復センターに戻ってからしばらくは、その話については触れなかった。ルースの2度目の提供から3日後、その最期に立ち会った「わたし」は、ルースの手を握りながら、トミーの介護人になることを約束した。

 船を見に行った日から1年後、「わたし」はルースの願い通り、トミーの介護人になった。3度目の提供を終えたトミーは順調に回復していた。いつ4度目の通知が来てもおかしくない。いつまでも待てない、「わたし」たちにはそれがわかっていた。そしてトミーの健康診断に行く日、終日の外出許可をもらい、ルースにもらったリトルハンプトンの住所へ、マダムに会いに行った。

わたしを離さないで/カズオ・イシグロ/土屋政雄訳の読書感想文

 この物語は、臓器提供のために生み出され、施設で育てられたクローン人間の子供たちの話です。彼らのおかげで、癌のような病が治せるようになった世界の話です。

 設定はよくあるSF小説のようですが、ユニークなのは、この物語は空想的な未来の話としてではなく、現代より少し前、イギリスのどこかで本当にあったことのように描かれていくこと。

 主人公の「わたし」は、現在から過去を振り返り、その都度、思い出したように語っていきます。「あの時、本当はこうしようと思ったけどできなかった」、「こう思ったけれど、こうかもしれないとも思った」など、断定されないあいまいな感情や様子がよく描かれ、それが本当にリアルに思えます。

 「わたし」の言葉を辿りながら、読者の頭の中には、フィクションとは思えないほど奥行きのある世界が作り上げられていきます。存在しなかった過去を思い出す、という言葉がぴったりかもしれません。そのうち、これはひょっとして実話なのではないかという気さえしてくるのが不思議です。自分が知らないだけで、実は世界のどこかにそんな施設があって、この子はその場所で実際に生まれ育ったのではないかと。

 物語の全体を通して伝わってくるのは、「人間の権利はどこから来るのか」というテーマです。主人公たちは文化的な環境に育ちながらも、そこに自由はなく、とくに農場を再利用したコテージでの様子などは、どこか家畜と重なります。

 事実、人間の歴史の中でもその都度差別があり、人間が人間として扱われなかった過去があります。ヘールシャムで育った子供たちは、それぞれの時代の、「人間として扱われなかった人々」の象徴のようです。

 どこまでを心のある存在とみなし、権利を与えるのか、その境界はいつも議論を生み出します。たとえば、日本の捕鯨は海外で批判されることが有名ですが、それは、クジラに「人間に近い心がある」ことを表すたくさんのエピソードがあるから。

 けれど、おそらく実際にはどんな生き物にも心はあって、それを知りながら、人間は他の命を奪わなければ生きていけない。どこかで線を引き、ここまでは自分と同じ存在、ここからは異質な存在、だから利用してもいいという境界を作ります。動物と動物の間に、動物と人間の間に、そして人間と人間の間にも。

 その境界を決めるものは何であるのか。それは心の存在の証明であると、物語の登場人物たちは考えます。心の存在、魂の存在を証明するため、ヘールシャムの先生たちは、子供たちに表現活動をさせ続けました。また「わたし」の口から語られる細かくリアルな心の描写自体が、彼らに心があることの何よりの証明でしょう。

 けれども、結局は、心を表現しても、やはり利用されてしまう、心があることを黙殺されてしまう、そんな現実世界のやるせなさも、どこかに表現されているのかもしれません。

 あらすじには、あえて結末を書かずにおきました。ぜひこの本を手にとって、主人公の目線で描かれる物語の世界を、感じてみてください。そして、マダムのもとで明かされるすべてを、確かめていただきたいと思います。 (みゅう https://twitter.com/rekanoshuto13


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