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2018年3月24日 1時00分
主人公である「僕」は、20代のはじめ。大学や専門学校へは行っていない。働いている場所は書店。ある程度の規模がある書店であり、雑誌コーナーのほかに、児童書コーナーや、専門書コーナーがある。店員もそれなりの数がおり店長の下に数名の店員が一度のシフトに入る。そこで同僚だった同年代の女性の佐和子と僕はやがて恋仲におちいる。
最初のきっかけは、彼女の方から食事や映画にでもさそってよと言われたこと。僕は「でもただじゃすまないぜ」とふざけたつもりでいうと、「いいよ」と返してきた。
僕の家は、麦畑だった畑の中にあるスーパーマケットの二階にある。ワンルームマンションというよりは、もともとはスーパーの事務所や倉庫として使われていていたような場所のよう。
僕はそこで、たまたま街で知り合った静雄という同年代の男とルームシェアをしている。そこへ佐知子が入り込んでくる。ある日、静雄が眠っている間に、僕が佐和子を連れ込んでセックスをするなんてこともある。
そうした刺激的な描写がある一方で、物語はたんたんとすすむ。確かにちょっとした事件は起きるのだが、それさえも、気づけばやりすごしてしまうものばかりだ。
たとえば僕のアルバイト先の書店では、万引きが多発している。箱入りの高額な専門書の中身だけを抜き取り、箱はそのままにしておくという手口も。
書店員の間では万引きは「コーヒー」と隠語で呼ばれている。
ある時、先輩店員から“コーヒーの発生”を報告された僕は万引き犯を取り逃してしまう。このことから、先輩店員と険悪な関係になるが、僕は謝ることはなく、むしろ言い返す。だが、その強情さがアダとなったのか、先輩店員の差し金の不良たちに襲撃されてしまう。病院や警察へ行くことはなく、湿布薬で痛みをおさえ、個別の復讐を誓う。
僕も静雄もとにかく金がない。佐知子から、千円札数枚をポケットにねじこまれることもある。これは明らかにもらったものなのだが、僕はお金を借りたと表現する。書店では万引き犯を捕まえるたびに千円の報奨金が出る。毎朝の朝礼では、万引き犯をどのようなシチュエーションでつかまえたのかを、みなの前で説明する必要がある。そこへ、タイミング悪く、万引きで捕まった小学生の母親が菓子折りを持って現われる。母親のなんともいえない顔を、僕は目にする。
「僕」たちは、金がないのにとにかく酒を飲む。家で飲むこともあれば、行きつけのバーで飲むこともある。飲むのは最初は瓶ビールで、酔いがまわってくれば、ジンやアブサンといった度数の強い酒に切り替える。
僕、静雄、佐知子の三人の中で物語は進むが、静雄と佐知子が関係を持っても、僕は最初こそ嫉妬心を抱くものの、やがてそうした関係を受け入れるようになる。静雄と佐和子がほかの友人を連れたって、海へ遊びに行く時に僕はついていくことはしない。
静雄たちが海へ行っている間に、僕の前に静雄の兄を名乗る人物が現われる。お互いの家族関係や故郷の話などを一切していなかったので、僕は、静雄の来歴の一端を知ることになるのだ。
静雄の兄はお金の入った封筒を渡し、「これで最後にして欲しい」と告げる。さらに母親が精神病院へ入院したのでそれを伝え、見舞いへ行くように伝えることを依頼される。ここから物語は急展開する。
海から戻ってきた静雄と佐知子。僕は、精神病院という言葉をはっきりと伝えていいものかと悩みながら、事実を伝える。静雄は見舞いへ行くと故郷へ戻っていく。
僕と佐和子だけの生活が始まる。自然と2人の間にはかつてのような濃い結びつきはなくなっていく。一緒に酒を飲んでも家に来ることはない。来ても二段ベッドで別々に寝ようとする。
やがて2人は、新聞記事で静雄の母親が精神病院で怪死した事件を知る。静雄の行方が分からないことから、無職の弟が母親を殺したのではないかと警察は捜査を勧めている。社会の表舞台に静雄が現れた時、そこで示されるのは「無職の弟」という無能のらく印でしかなかった。
静雄のもとへ行こうという佐和子に、何ができるわけでもないと冷めた言葉を言う僕は、佐和子と別れたあと、静雄からの電話をもらう。「とことん逃げまくるんだぞ」と僕は、ためにならないアドバイスを言う。一晩中眠れなかった僕は、翌朝新聞を買いに行く。電話を切ったあと静雄はあっさりと捕まってしまったようだ。それを佐和子に言うべきか僕は悩み、立ち止まるのだった。
佐藤泰志は青春小説の名手として知られる。しかしながら、生前は高い評価を受けることはなかった。近年は著作が映画化されるなどしているが、当時は評価を受けることなく、さらに自身の精神疾患にも悩んでいたようである。
とてつもなく繊細な文章である。「きみの鳥はうたえる」の登場人物たちは金がない、無力な若者である。お互いに数千円単位の金の貸し借りをしているが、決定的に破滅をすることがない。フリーターとして不安定な立場にいるのだが、そこの立場において安定している。これは20代はじめの若者ならではの特権ともいえるかもしれない。主人公の僕は書店でアルバイトをしているが、自分で書店をやりたいといった思いがあるわけではない。本が好き、作家になりたい、そうした若者ならではの夢を語ることもないのだ。
さらに彼ら、彼女らは傷ついている。東京の郊外のアパートに住んでいるが、そのまわりに世界は存在しない。つまりどこからやってきて、何を目指しているのか、そうした夢や希望をあえて語ることはない。ただ、知り合った若者たちが酒を飲み、よりそうように暮らしていく。余計な要素を極限までそぎおとしているのだ。この若者たちの姿はある意味では、作者である佐藤泰志が自らの理想、ユートピアを描いたのではないかとも思えてくる。
物語の登場人物たちは圧倒的に若い。そして無力である。それは苦しいことでもあるだろう。自分はこんな存在ではない、何かもっとすごいことができるはずだと、想像力がふくらみすぎた世界がそこにある。そんな無力感を突き破る瞬間が、静雄が田舎へ戻り精神病院へ入院した母親を見舞い、その後、手をかけて殺してしまう事件が起こる。これは、彼らが決して語ることがなかった田舎を断ち切る行為でもあったのかもしれない。ただの人殺しと退ける僕のなかにも、静雄は自分だったかもしれないといった恐れはあったはずだ。物語はたんたんと進んでゆくが、かなりヘヴィーな青春小説でもある。(下地直輝)
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