2017年4月21日
直木賞、本屋大賞のダブル受賞で世間を騒がせている『蜜蜂と遠雷』。私はこれまでに、こんなにも丁寧で豊かに音が文章で表現されたものを読んだことがない。音楽が見事に言葉に翻訳された作品であった。
読み始めて最初に思ったことをあえて正直に書くが、王道、鉄板ネタ、そんな風に感じた。音をカラフルと表現することも、無名の新人が素晴らしい演奏をし一躍話題になることも、母親の死がきっかけで一度コンクールの舞台を去り再び戻ってくることも、尊敬する先生をめぐる嫉妬も、よくある、と思ったのだ。
思い出したのは『のだめカンタービレ』、『ピアノの森』、『四月は君の?』だった。しかしこの3作品との決定的な違い、かつ本作の挑戦的である点は、ご存知の通り、文字のみでピアノコンクールを描ききったという点であろう。第一次予選、第二次予選、第三次予選、そして本選。これら全てにおいて言葉を駆使し繊細に表現した著者に、文学と音楽の両方において、私はただただ驚嘆した。そしてこの作品が、ピアノコンクールを舞台にした登場人物たちの青春群像小説にはとどまらない、ということにも。
国際ピアノコンクールを舞台に、主に4人の出場者にスポットをあてて、第一次予選から本選、そして結果発表までの様子が描かれている。個性的な4人の出場者は以下の通り。
これまでコンクール歴や音楽教育を受けたことはないが、今は亡き偉大な音楽家ホフマンからの推薦状の力で国際コンクールの舞台に立つ。推薦状では、ホフマンからの「ギフト」であると称されている。父親が養蜂家で各地を転々とする生活を送っており、ピアノを持っていない。無邪気な性格で、音楽の神様に愛されているとの評判通り、確かな耳を持ち音楽の才能に恵まれている。
かつて天才少女として国内外のジュニアコンクールを制覇しCDデビューも果たした。しかし13歳の時に母が突然この世を去ったことがきっかけでコンサートから逃げ出してしまい、以来、表舞台での音楽活動は行わなくなった。コンサートから逃げ出したことが周囲で今だに噂されており、度々嫌な思いをしている。
音大出身だが今は楽器店勤務のサラリーマンで、コンクール年齢制限ギリギリでの出場。生活と両立しながらでも音楽はできると信じ、コンクールに挑戦している。
完璧な演奏技術と音楽性を持つ優勝候補。甘いマスクを持ち王子様と呼ばれ周囲からの人気が高い。亜夜とは幼馴染で、亜夜に対しては良きライバルであると同時に、恋愛感情も抱いているようである。
この4人の過去を紐解きながら、ピアノコンクールを通して切磋琢磨し合い、努力と才能をぶつけ合う物語となっている。
タイトルの意味について迫る前に、まずこの物語の真意を解かねばならない。
人間は音を自然の中から見つけだし、そして自然の情景を音楽にした。特にクラッシック音楽は自然をイメージさせることが多い。作中に出てきた表現にも、母なる大地、宇宙、神羅万象、と自然を使ったものが多かった。私たちはそんな自然に与えられた音楽を、いつのまにか人間だけの物のように扱っていたのかもしれない。
ホフマンは、「世界に溢れている音楽を聴けるものだけが、自らの音楽も生み出せる」といっていた。そして、音楽を外へ連れ出すのは難しい、音楽を閉じ込めているのは人々の意識だと塵に告げ、音楽の解放を託しこの世を去った。自然の恩恵を受けるだけではなく、自然に音楽を返そうとする、大変壮大な真意がここにはあったのである。
さてようやくタイトルについてだが、遠雷について印象的であったシーンをまずは一部抜粋させていただきたい。
“
「お月様、綺麗だったね」
塵は不意に窓を振り向いた。
少年の白い指がひらりと舞った。
本当に、月光の中に舞い上がった蝶のように。
ドビュッシーの月の光。
ああ、本当に、綺麗な月。
この曲を聴くと、いつもまざまざと窓の外の夜空が目に浮かぶ。さえざえとした、しかし柔らかな月光が、すべての音が消えた世界に降り注ぐ様が見えるような気がする。
しかも、この少年が弾くと、モノクロームに沈んだカーテンの模様まで見えてくる――
月の光に、巻きこまれる――月光の魔法にかかる――
身体の底から湧き上がる衝動に突き動かされ、亜夜は隣に座って一緒に「月の光」を弾き始めていた。
互いにアレンジをし、うねり、寄せては返す月の光の波に身を任せる。
うわあ――
亜夜は、全身をピリピリと電流のような歓喜が押し寄せてくるのに眩暈がした。
風間塵が笑っている。
”
二人は自然を感じ、そこにある音楽を聴き、そして表現することで音楽の歓喜を味わっている。“ピリピリと電流のような歓喜”これが遠雷の正体だ。
そして蜜蜂。これは終盤に出てくる塵の言葉通り。蜜蜂の羽音は、世界を祝福する音。せっせと命の輝きを集める音。まさに命の営みそのものの音。
『蜜蜂と遠雷』とは、祝福と歓喜、である。
音楽を愛する人の誰しもが、一度は感じたことのある歓喜。自分が音楽に触れる本来と意味。音楽がとても壮大で涙が出るほどに美しいこと。この物語はそんなことを思い出させてくれる、音楽を愛してやまない著者から私たちへの、まさしく“ギフト”であった。(ミーナ)
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