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愛を感じるとき/金賢姫のあらすじと読書感想文

2005年7月21日 竹内みちまろ

 1987年、北朝鮮の工作員だった金賢姫さんは、大韓航空機に時限爆弾を仕掛けて、アブダビの空港で降りました。金賢姫さんは、毒薬を飲んでも蘇生してしまった強靭な生命力を嘆きながら逮捕されました。

「北朝鮮での私は、泣くことを知らぬ女であった」

 死んでも南朝鮮にだけは行きたくないと思った金賢姫さんは、自殺防止用の器具を口に詰め込まれたままソウルに連行されました。眼をえぐられ、耳をそがれ、二度と生きて戻ることはできないと聞かされていた南山の地下取調室に引きずりこまれました。

「こいつら、やれるもんならやってみろ」

 朝鮮人民の民族的使命を遂行したという誇り、取り調べが済んだら処刑されるという不安、そして、金日成同志が自分へ寄せてくれた信頼への感謝。8日間の取り調べを経て地下室を出たときに、「虚構に忠誠を誓った革命戦士」は、蜂屋真由美、百翠恵、朴玉蘭、リリーなどの偽名を捨てて、工作員教育を受けていた8年間は書くことすら許されなかった「金賢姫」という本当の名前を取り戻しました。

誠実な心

 「愛を感じるとき」(池田菊敏訳)は、「いま、女として 金賢姫全告白」の続編です。北朝鮮に生まれ、美貌と能力を買われて工作員となり、大韓航空機を爆破するまでの数奇な人生を告白した前作を受けて、一人の女性としての今の自分を知ってもらいたいというコンセプトで書かれています。死刑の宣告を受けるも特別赦免されて、「陽気な調べが響けば、思わず鼻歌が口をついて出る」程度の人間らしさを取り戻した日常が語られています。「愛を感じるとき」を読み終えて、金賢姫さんの素朴な感性に心を打たれました。金賢姫さんは、正直な気持ちを、飾らない言葉で語っています。

「私はこちらに来て、ありとあらゆる高級品を見ても、ほしいとは思わなかった。けれど、主婦たちが皿洗いや洗濯をするとき、そしてキムチを漬けるときに、ゴム長手袋をはめるのを初めて見て、こればかりは羨ましいと思った」

 形だけの自由な生活のなかで、自分を取り囲む捜査官たちにかんしゃくを起こしながらも、ベッドの中に入ると、捜査官たちは自分のために生活を犠牲にしているのだと後悔する姿は、いたずらをしたあとに「ごめんなさい」とあやまる子どものようでした。

 お忍びでショッピングをする場面がありました。花柄の服に触れてみたりする金賢姫さんに、店員はあれこれとさかんに勧めます。

(彼女はわたしのことに気がつかないらしい)

 華やかな服を着ることを許された人間ではない金賢姫さんは、楽しい時間を過ごしたあとに、紺色のツーピースを選びました。チケットを差し出します。店員は、何も言わずに「金賢姫」と書き込みました。

「私の気持ちを思ってのやさしい気配りだった。そのやさしい洗練されたマナーに、私は心からの敬意を払った。同時に、おくびにも出さずにそんなことのできる彼女がうらやましかった」

 金賢姫さんは、捜査官に囲まれながら、北朝鮮での生活を語る講演と(キリスト者としての)証し(あかし)に駆け回る毎日を送っていました。しかし、金賢姫さんには、過去がいや応なしにつきまといます。テレビ局のインタビューを受けるために郊外のホテルに向かうときに、漢南方面に向かう対向車線には渋滞ができていました。

「みんなああして、幸せに毎日働いているんだ……」

 豊かな社会でのびのびと育った人間たちとは理解しあうことができない、金賢姫さんの孤独を感じました。

信仰とは何なのか?

 「愛を感じるとき」には、金賢姫さんがキリスト者としての信仰に至る経緯が書かれているのではないかと期待しながら読みました。しかし、彼女が「神」を愛するようになった過程は、何も書かれていませんでした。「愛を感じるとき」に書かれていたのは、純粋な人間の心でした。もちろん、韓国側の厳しい検閲を通された本だろうと思います。しかし、「愛を感じるとき」を読んで、行間に込められた心にまで検閲をすることはできないのだと思いました。金賢姫さんは、やりだまにあげられることを覚悟の上で、身を削るような思いで、ページをつづっていったのだろうと思います。「愛を感じるとき」を読み終えて、大切なのは、何を信じて、どの宗教のどの派閥に席を置くかなどという現世的な現象ではなくて、誠実な心を持って生き続けることかもしれないと思いました。もしかしたら、それが「信仰」と呼ばれるものなのでしょうか。


→ いま、女として/金賢姫のあらすじと読書感想文


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