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ヴェニスに死す/トーマス・マンのあらすじと読書感想文

2011年8月31日 竹内みちまろ

ヴェニスに死す/トーマス・マンのあらすじ

 50歳の誕生日に貴族の称号を得たアシェンバハは、自らに負わせ、また、ヨーロッパの精神からも課せられた創作の義務を果たすため厳しく自分を律した生活を送っていた。「がんばること」をモットーに、青年のころから、過激な者から大衆までを満足させるよう計算された作品をつくりだしてきたアシェンバハは、若者らしい生活を送ったことがなく、称賛を得ていたが、若者たちをしばりつける権威にもなっていた。

 そんなアシェンバハが、外国風でその場かぎりの楽しみを求め、ヴェニスのホテルにやってきた。ロビーでポーランド語を話す15歳から17歳くらいまでの3人の少女と、14歳くらいの少年をはじめとする一行を見かけ、とりわけ、ギリシャ芸術の最盛期を思わせる顔立ちの少年に心を奪われた。

 翌日、アシェンバハは、窓を開けると入江の水の腐ったようなにおいが入ってきて、いっそこのまま帰ろうかと思案した。その時のことも考えて荷物は全部をほどいていなかった。朝食に降りると、ポーランドの少女たちはいたが、少年はいなかった。アシェンバハは「ふふん、怠け者」「君にはどうやら姉さんたちとは違って、思う存分に寝る権利があるらしいな」と心の中で少年に話しかけ、突然、気分が明るくなった。

 砂浜で、アシェンバハはヴェニスに滞在することにして、少年に見とれたりしたが、町の狭い路地を歩いて、やはりこの町には滞在できないと悟り、ホテルで、明朝出発することを告げた。しかし、駅に行くと、トランクがまったく別の場所へ送付されてしまったことを知った。ホテルの係員は、トランクをなんとか食い止めようと飛んでいったが、アシェンバハは苦々しい顔つきを維持しながらも、心では、冒険へのよろこびと信じられないような朗らかさがわき起こっていた。荷物は送付を止めることができず、アシェンバハはホテルに戻ってトランクが戻ってくるのを待つと宣言した。アシェンバハは、「万事がよくなるのだ」「自分がそうしたいと思うあいだだけ自分の自由になるのだ」などと心を躍らせた。

 トランクが戻ると、アシェンバハは荷物をほどいて本格的な滞在を始めた。アシェンバハは、ことに若い頃は、享楽や、お祭り騒ぎや、休息などに出くわすと落ち着かなくなり、神聖で高貴で味気ない奉仕生活へ帰りたくなったが、ヴェニスでのゆったりとした規則正しい生活に魅せられていた。

 浜辺で、アシェンバハは、両手を首のところで組みぼんやりと海を眺めている少年の姿を見た。抑えがたい恍惚感のうちによろこびと陶酔を覚え、「ただの一度も自分の炎で燃え上がることのなかった思想を呼び戻した」。愛する者は愛せられる者よりも神に近い、なぜなら、愛せられる者の中に神はいないが愛する者の中には神がいる、そして、作家の幸福とはまったく感情になりきってしまえる思想を持つこと、まったく思想になりきってしまえる感情を持つこと、という思想が孤独な作家・アシェンバハを服従させた。アシェンバハは、突如として、書きたくなった。文体を神のように思われる少年の体の線に合わせ、少年の美しさを精神的なものに置き換え、少年を前にして、1ページ半の散文を書きあげた。アシェンバハは、散文に満足し、多数の人々の驚嘆を招かずにはおられず、かつ、世間が美しい成果だけを知り、その製作過程を知らずにいるだろうことにほくそえんだ。浜辺を立ち去るとき、アシェンバハは疲れ切っていた。

 4週間目、アシェンバハは、ホテルの客が減り、アシェンバハの周りでドイツ語が話されなくなったことに気がついた。町には消毒薬のにおいが立ちこめ、牡蠣や貝類を食べず運河の水も飲まないようにというヴェニス市の張り紙が見受けられた。ホテルでドイツ語の新聞を読むと、コレラのうわさが書かれていた。アシェンバハは、黙ってはいられぬと思いながらも、混乱と冒険は感情にとってありがたいと興奮した。

 ホテルや市の人間たちがひた隠しにする様を楽しんだりしているうちに、アシェンバハは、誠実な英国人からヴェニスでコレラが流行っている、2、3日中に交通が遮断されることを聞いた。アシェンバハは、ヴェニスを出ず、浜辺で息絶えた。

ヴェニスに死すの読書感想文

 『ヴェニスに死す』というと、ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画『ヴェニスに死す』が浮かびます。小説を読んでいても、映画の中のアシェンバハの姿が浮かんでしまうのですが、映画『ヴェニスに死す』では、アシェンバハが浜辺で散文を書き上げる場面でのみ、アリアが流れていました。ヴィスコンティ監督の映画は、特に『ルートヴィヒ』で城を次々に映し出す場面などでも感じますが、カメラといいますか、映像といいますか、まなざしがとてもやさしいときがある。映画『ヴェニスに死す』でも、浜辺でアシェンバハが散文を書き上げる場面は、アリアとともに、映像や光がやさしくアシェンバハを包んでいたように見えました。

 アシェンバハは、突如として書きたくなったとあります。厳格に自分を律し、貴族の称号まで手にした作家でしたが、それまでは、書く衝動というものに駆られたことがなかったのかもしれないと感じました。創作をする人であれば、なんと言いますか、心がスパークするような瞬間というものを感じたことがあると思います。作品を評価するのは自分ではなくて、自分以外の人間たちであることは真理なのですが、それでも、作品の出来映えに確信が生まれてしまう時もあると思います。きまぐれで書いたり、たまたま書いたり、何も考えずに書いたりするわけではなく、衝動的であったにせよ、作品を生み出すという明確な意志のもとに完成させ、衝動に駆られて指先が動き、完成せしめた作品に確信が生まれる、そして、よろこびと疲れを感じる、そんな瞬間の神々しさを、『ヴェニスに死す』の散文の場面を読んで感じました。


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