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神様のカルテ/夏川草介のあらすじと読書感想文

2012年8月24日 竹内みちまろ

神様のカルテのあらすじ

 信濃大学医学部を卒業し、東京や大阪へ行かず、地元の長野県の本庄病院に医師として勤務し、「回復の見込みのない人」や「治療のできない患者」や高齢者たちを「看取る」毎日を送って5年目の栗原一止(いちと)は、夏目漱石をはじめとする文学者を愛し、漱石の『坊っちゃん』の影響でしょうか、所属する消化器内科の部長には「大狸先生」、副部長には「古狸先生」とあだ名をつけています。一止は腕は一流で、患者や病院関係者から愛情を込めて「変人」と呼ばれていました。

 一止が勤める本庄病院は、「24時間、365日対応」の看板を正面玄関にかかげ、ほかの病院が休みとなるお正月も往診します。しかし、一止が「理念は完璧である。しかし内実はそう単純ではない」と語るように、医師は大々的に募集はしていますが、地方の地域医療現場での慢性的な医師不足は深刻で、一止は、妻で山岳写真家の榛名との最初の結婚記念日も、前日の朝から連続35時間勤務し、その間に仮眠は合計1時間半しかとっていませんでした。

 一止は、300号室の「膵臓癌(すいぞうがん)」の田川さんが亡くなる際、痛みにうめく田川さんを見かね、「痛みはなんとかならないんですか?」と相談してきた新人看護師・水無陽子から責めるような目で見られ、田川さんの孫らしき少年からは「お前はなにもしてくれなかったじゃないか」というような毅然とした、射貫くような目でにらまれました。全力は尽くしたし、恥はなく、自分を責める必要はないとわかっていも、「理屈ではどうにもならぬ悲哀、向ける方角のわからぬ憤りというものが、たしかに存在する」「人が死ぬとはそういうことである」と感傷にひたりました。

 一止は、築20年の旅館を利用したアパート「御嶽荘」の12畳一間の「桜の間」で榛名と暮らしています。「御嶽荘」には、貧乏画家の「男爵」や、一止と出会った5年前から信濃大学大学院の博士課程に所属しニーチェ研究に没頭しているという「学士殿」など個性的な住人たちが集い、榛名とも「御嶽荘」で出会いました。一止は深夜の2時、帰宅して「桜の間」のふすまを開けたとたん、1週間、撮影のためにモンブランへ行っていた榛名が、飛びついてきました。一止のワイシャツに顔を埋め、抱きつきます。しかし、一止の様子がおかしいことに気がついた榛名は、「……誰か亡くなったのですか?」と心配します。榛名は「突然ですが、深志神社まで行きましょう!」と提案しました。2人で、満天の星空を見上げました。

神様のカルテ/夏川草介の読書感想文

 単行本『神様のカルテ』には、もっとたくさんのエピソードが登場し、一止のことが好きな(?)病棟主任看護師・東西直美との関係や、水無陽子と、一止と医学部生時代に4年間寮の隣の部屋で暮らした医師・砂山次郎との恋の行方など、気になることもたくさんあります。今回は、その中から、一止の決断に焦点をあわせ、読書感想文を書いてみたいと思います。

 医者の世界には「医局制度」というものがあるそうです。一止は、医局制度に背を向けて市中の病院に就職しましたが、次郎は信濃大学付属病院の医局に所属しました。次郎は、医局から、本庄病院に派遣されています。医局とは、大学病院の設備を使って先端医療の研究をしたり、次郎のケースのようにたくさんの医師をかかえている医局が、地域の病院へ医者を派遣したりしているようです。本庄病院で息を引き取った安曇さんは、大学病院での診察で「大学は安曇さんのような人を診る場所ではないのです」と言われていましたが、いっぽうで、医局には医局にしかでない医療があり、本庄病院の運営が成り立っているのも、次郎のケースのような医局によるバックアップがあるからといいます。医学部卒業後、4分の3の医学生は大学病院の医局に所属し、一止のように医局へ背を向けて市中の病院に就職すると、「以前になにか問題を起こしたのではないか」などのレッテルを貼られるとのこと。

 一止は、5年目になったころ、信濃大学医学部付属病院の医局から、「本庄病院などやめて、大学に来ないか」と誘われていました。「大狸先生」も、「古狸先生」も承知のことのようです。一止は医師としての資質と腕をそうとう見込まれているようで、大学病院へ見学に行くと、医局長(一止は、自分のような「在野の素浪人からすれば雲の上の人物」であるため、「雲之上先生」とあだ名を付けていました)から直々に案内を受けました。「雲之上先生」は、「本庄病院のような第一線の病院とはまったく役割が違いますからね、じっくり見ていってください」「本庄病院のようなところで修行を積むことも大事ですが、こういうところで数年働くと、一段とスキルアップにつながります」などと、物腰おだやかにほほ笑みます。

 次郎は一止に、本庄病院を辞めて、医局へ行くことを勧めます。「大狸先生」と「古狸先生」は、一止のためには医局へ行ったほうがよいと考えているようですが、最終的には、一止自身が判断するべき問題と受け止めているようです。一止は、迷いに迷いましたが、当面の決断として、来年度は、医局へは行かず、本庄病院で働くことに決めました。

 一止のその決断が印象的でした。同時に、現代的だと思いました。何がよくて、どうあるべきなのかは誰にも決められることではなく、医局と本庄病院のどちらを選ぶのかは当事者である一止自身が自分で決めるしかないことは明らかなのですが、たとえば、ひと昔前の小説であれば、新しい世界を見るだとか、自分を試すだとか、やりたいことがあるだとか、人生の目的を果たすだとかという理由をこさえて、主人公が医局へ行くような気がしました。 日本が右肩上がりの成長をしていたころや、みんなが社会における「成功」というものに同じものを見ていた時代、また、勤勉が奨励され、絶えず何かを学び、何かへ挑戦し、新しい世界を切り開き、ここではないどこかへ「前進」することが美徳と考えられ、「現状維持」は「負け」で「挑戦」だけが「勝利」へつながり、その「勝利」へ向けて常に足を踏み出し続けなければならないというような概念が(実際には、何がよくて、どうあるべきなのかは誰にも決められることではないにもかかわらず)、個々の「人生」へ対して社会的に求められ続けた時代では、本人も周りも、医局へ行くことを選択していたような気がします。

 しかし、バブル経済は崩壊しました。2000年代以降は、個人の価値観が多様化し、それぞれがよしと考える人生のあり方が細分化しています。一止は自分のことを自嘲を込めて「アウトロー」と呼んでいますが、一止が(少なからずの読者の予想や期待を裏切って?)医局へ行かず、本庄病院に留まるという決断を下したことは、多くの人がいまだ恐怖を感じ、自分の人生に取り入れることができないでとまどっているのかもしれない「個人の価値観の多様化」や「人生のあり方の細分化」というものを、提示したのかもしれないと思いました。


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