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幻の光/宮本輝のあらすじと読書感想文

2012年8月8日 竹内みちまろ

幻の光/宮本輝のあらすじ

 兵庫県の尼崎で生まれ育ったゆみ子は、おさな馴染みの夫と結婚し、夫は、2人の子の勇一が生まれて3か月目に、自殺しました。夫の自殺は電車の線路を歩いていて、電車が着ても逃げずに歩き続け、警察も首をかしげるほど、死ぬ動機が見つからないというものでした。ゆみ子は住んでいた長屋の家主夫婦の世話で、奥能登の曾々木(そそぎ)の観光旅館の板前・関口民雄に嫁ぎました。民雄は結婚3年目に妻を病気で失くし、娘の友子、脳溢血で倒れてから口と右手が不自由な父と暮らしていました。夫の自殺後、「もぬけのからみたいになって生きてきた」ゆみ子でしたが、夫にまつわる風景などのすべてから逃げたくて再婚したのでした。しかし、一人になると無意識に前の夫に話し掛けてしまう習慣がついていて、それは、曾々木でも変わりませんでした。

 民雄は「いい人」で、ひと月もしないうちに友子はゆみ子を「お母ちゃん」と呼びました。勇一は遊び疲れると民雄の父のひざの上に乗りました。尼崎に住んでいた時の勇一の目はたえずきょろきょろ動いていましたが、曾々木の家に来て勇一の目に、やさしい落ち着きが出てきました。ゆみ子はそれを見て、再婚してよかったと思いました。しかし、民雄と勇一の笑い声が風呂から聞こえると、「あれがあんたと勇一やったら、どんなにしあわせやろ」と思ってしまっていました。

 冬が終わり、5月から、民雄の家では、民宿として宿泊客をとるようになりました。9月半ばまで客足が絶えず、2年が過ぎたころには、ゆみ子はすっかり民宿を切り盛りしていました。ゆみ子は、民雄から「雪を見ながら、また誰かと内緒話をしとったんけ」と言われぎょっとしますが、民雄が酔って帰って来た夜、民雄の前妻が「恋女房」だったことを聞いていたゆみ子は、急に、嫉妬にかられ、いつも「あんたや、友子ちゃんや、お義父さんと」「内緒話」してると口にしました。民雄は取り合いませんでしたが、ゆみ子は、ふと、「うち、あの人がなんで自殺したんか、なんでレールの上を歩いてたんか、それを考え始めると、もう眠られへんようになるねん。……なあ、あんたはなんでや思う?」と問いました。民雄は、ぽつんと、「人間は、精が抜けると、死にとうなるんじゃけ」と口にしました。

幻の光/宮本輝の読書感想文

 『幻の光』は、理解することができない喪失に見舞われた女性が一人称で語る詩的な物語でした。主人公であるゆみ子にも、そして、読者にも、ゆみ子の前夫が、どうして自殺をしたのか理解できません。前夫は、中学しか出ていなくて、いい暮らしはできないなどとこぼしていましたが、おさな馴染の妻と結婚し、子どもも生まれていました。幸せの絶頂ともいえ、男としても責任感が生まれるころかもしれません。そんな夫の自殺は、まさに、「まがさした」「とりつかれた」「ふと、あちら側へ足を踏み入れてしまった」というような理屈では説明のできない現象かもしれません。しかし、そう言っていられるのは、読者が部外者だからで、当事者であるゆみ子にとっては、心を整理することすらできず、ただ茫然とするばかりのことだと思いました。

 印象に残っている場面があります。ゆみ子は、曾々木の喫茶店でコーヒーを飲んでバスを待っていた時に、前夫と同じやぶにらみの男が入ってきたのを見て、この男はここに死にに来たのだと思います。男がバスを降りると、男のあとを追っていました。そのまま、冬の海を見つめ、尼崎の長屋に帰りたいと思い、同時に、前夫が死んだということをはっきりと思い知り、前夫は「何て寂しい可哀そうな人やったやろ」と泣きました。そんなゆみ子ですが、民雄から、「人間は、精が抜けると、死にとうなるんじゃけ」と言われたあと、前夫の後ろ姿が浮かんでは消える自分の心のには、「不幸というものの正体が映ってました。ああ、これが不幸というものなんやなあ」と思います。とても、詩的な場面だと思いました。

 『幻の光』は、人間存在の根源的な寂しさや、人生というもののすくいようのなさや、うしろ向きにしか生きることができない悲しさを、詩的に描いた作品だと思いました。


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