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春を背負って/笹本稜平のあらすじと読書感想文

2015年5月1日 竹内みちまろ

春を背負って/笹本稜平のあらすじ

 埼玉と山梨の県境に位置する奥秩父の川上村は、4月の中旬に桜が満開になります。西に八ヶ岳連峰、南に甲武信ヶ岳や国師ヶ岳、金峰山などの名峰が連なり、北アルプスのような派手さは一般にはありませんが、山好きには垂涎の土地。

 その川上村で、4月中旬から11月中旬までの期間、年末年始を除いて開業する山小屋「梓小屋」を営む長嶺亨(ながみね・とおる)は、4年前までは、東京にある世界的に名高い電子機器メーカーに勤めるエンジニアでした。半導体関係の研究に従事し、米国への留学も経験。やがて研究チームは、三次元集積化と呼ばれる技術の開発に成功しました。が、新聞やテレビでは、上司が自分の手柄のように話し、実質的にプロジェクトをリードした亨たちには百万円前後の報奨金が支給されただけでした。会社がその何万倍もの利益を見込めることは明らかで、亨の中で何かが燃え尽き、自殺を考えるようになりました。

 そんな時期だった4年前の2月、亨の父親の長嶺勇夫が、凍った路面でハンドル操作を誤り、電柱に激突。救急車が到着したときには亡くなっていました(享年64)。勇夫は20代後半で梓小屋の小屋番を引き受け、小屋のオーナーの娘(=亨の母親)と結婚。結婚当初は、勇夫と一緒に山に入り小屋の経営を支えていた母親は、亨が生まれてからは、子育てと実家の民宿の手伝いに没頭し、里で暮らすようになっていました。

 勇夫は亨に山小屋を継がせたかったようですが、亨は、夢に賭けたという点では、勇夫も自分も違いはないと思うものの、自分の研究生活が、会社やら学会やらという他人のふんどしの上での相撲でしかなく、価値を下すのも他人だったことを思い返します。

 母親は反対したものの、勇夫が世を去った2か月後の4月、亨は、梓小屋を引き継ぐことにし、小屋に入りました。右も左も分からないスタートでしたが、近隣の小屋主たちは、そんな亨を歓迎しました。

 小屋開きの準備はしたものの、アルバイトの手配が遅れ、ゴールデンウィーク中は母親を拝み倒して小屋に入ってもらいました。その後は一人で切り盛りしなければならず、夏のシーズンまでにアルバイトも確保する必要があります。そんなとき、父親の勇夫に世話になったという“ゴロさん”こと多田悟郎がふらっと梓小屋に姿を見せ、小屋を手伝うと言い始めました。

 ゴロさんは、「あんたの親父さんが夢枕に立ってそういう話をしていったんだよ。二月に交通事故で死んで、息子が跡を継ぐことになったから、よろしく面倒を見てやってくれって」と告げます。亨は、ゴロさんを信用することができなかったものの、確執も溶けて、梓小屋は、亨とゴロさんの二人三脚で運営していくことになりました。

 5月中旬から6月中旬にかけて、梓小屋はちょっとした繁盛期が続きます。小屋の近くにあるアズマシャクナゲが開花期を迎え、それを目当てに訪れる登山客がいるからでした。梓小屋の周辺には、勇夫が切り開いた登山ルートがあり、勇夫は登山客がアズマシャクナゲの自生地に踏み込まないように、木道を整備したり、注意喚起の看板を立てたりしていました。

 そんな時季に、近隣の小屋から、前日に小屋を出た単独行の女性客・高沢美由紀の行方が分からないという連絡が入りました。美由紀は東京でウェブデザイナーをしていましたが、鬱病を患って退職。美由紀はどことなく思い詰めた様子で、食事が進まない様子を見た小屋主が心配して声を掛けたほどでした。連絡が取れた美由紀の友人は、美由紀の自殺を心配していました。

春を背負って/笹本稜平の読書感想文

 「春を背負って」を読み終えて、死者を弔う、とは何だろうと考えました。

 小屋を継いだ当初の亨は、自己実現を求めて半導体という無機物の研究にエネルギーを注ぎ、結果、心が痩せ細って、人生の意味を見失っていました。そんな亨は、小屋に入ると、人を優しく包み込む自然や、訪れる登山客との心の触れ合いに癒されたりします。

 しかし、月日が経つにつれて、自然は人間を虫けらのように葬ってしまう存在であることも知ります。同時に、亨と同じ脱サラ組で、冬の間は妻(=亨の母親)が経営する民宿で肩身を狭そうにしながら手伝いをしていた父親は、なぜ山小屋に入り、何を思って登山道を一人で切り開いたり、マナーやルールを無視する登山客を叱りつけていたのかを考えるようになります。

 読み進めていくうちに、自然や、通過者としての小屋の利用者と触れ合う亨の姿よりも、里で民宿を営みながら亨を気遣う母親や、3人で小屋を運営していくことになったゴロさんや美由紀という仲間や、常連として深い付き合いをする顧客や、亡き父親を慕う人たちと触れ合い、そして、死者である父親の人生に思いを馳せる亨の姿が印象に残るようになりました。

 梓小屋の常連客で医師の野沢が「小屋は繁盛しているかね」などと亨に声を掛ける場面がありました。亨は、売り上げは増し、リピーターが増えてきていることを告げます。野沢は「そりゃよかった」などと顔をほころばせます。「その微笑みも父の遺産だ。自分がハンドルを切った人生の方向は正しかったと実感した」と書かれていました。

 死者を弔うということは、忘れないことや悼むこととは別に、死者が何を思い、どう生きたのかという人生の軌跡を考え、死者が生者の世界に遺して行ったものを感じることではないかと思いました。


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