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夏の庭/湯本香樹実のあらすじと読書感想文

2012年5月3日 竹内みちまろ

夏の庭/湯本香樹実のあらすじ

 12歳の小学6年生の「ぼく」こと木山は、でぶの山下、メガネの河辺と行動を共にしています。山下が田舎のおばあさんが死んで数日間、学校を休んでいました。河辺が山下に「お葬式、どんなだった」と聞きます。葬式や火葬の様子を話した山下が逆に、「死んだ人、見たことあるか」と尋ねました。2人の答えはノー。「死んだらどうなるんだろ」、ぼくの心に疑問が残りました。

 河辺が新しいメガネをかけてきたある日、ぼくと山下をマンションの駐車場に呼び出し、木造の平屋が残っている辺りに住む一人暮らしのおじいさんが、もうじき死ぬらしいといううわさを聞きつけたことを話します。おじいさんが死んだところを発見するため、毎日見張ることを提案しました。

 おじいさんは7月というのに、毎日、こたつに入ってテレビばかりを見ていました。割れた窓ガラスには新聞紙が張り付けられ、家の周りはゴミだらけ。3かに一度くらいコンビニにお弁当などを買いに行きます。ある日、魚屋の息子の山下が差し入れの刺身を持ってきました。「栄養つけてどうすんだよ。バーカ」と、父親がいないという河辺から言われますが、山下は「いいじゃない。ほんとに、もうすぐ死ぬならさ」と押し切りました。玄関の前に置き、ドアを叩いて隠れると、おじいさんが顔を出して、刺身の皿を見つけ持っていきました。寝坊ばかりしているおじいさんのためにごみ出しなどをするようになりました。買い出しに出たおじいさんが突然振り返り、尾行する3人へ向かってピースをすることも。おじいさんは、テレビを見る時間が減り、こたつもしまい、てんぷらを揚げたりするようになりました。

 おじいさんの家の庭の草むしりを終えた3人は、「池田種店」へ行き、コスモスの種を買いました。庭にまきます。おじいさんが、スイカを御馳走し、3人は「結婚したことある」などと聞くようになりました。

 夏休みに入り、8月の第2週に台風が来ました。おじいさんの家に集まった3人は、おじいさんに、「戦争に行ったこと、ある?」と聞きました。おじいさんはジャングルを敗走したこと、水と食料に飢えていたこと、老人と女と子どもだけの村を見つけ、敵に通報されないよう皆殺しにしてから、水と食料にありついた話をしました。それからも、おじいさんは、戦争が終わって復員しても、妻が待つ家には戻らず行方をくらませたことなどを話し続けました。

 3人は、おじいさんの妻を捜す計画をたてました。旧姓と下の名前を手掛かりに、電話帳で電話をかけ続け、老人ホームへ「やよいおばあちゃん」に会いに行きます。おばあさんは要領を得ないことばかりを話しました。

 おじいいさんの家はいつの間にか3人のたまり場となりました。塾が終わったあと、3人が集合して宿題をするようになっていました。「池田種店」のおばあさんに、おじいさんの妻を演じてもらい、おじいさんから怒られたり、花火職人だったおじいさんが打ち上げ花火を披露したりするうちに、8月最終週になりました。3人は、サッカーの合宿に出かけます。

 帰ってきたら、おじいさんは亡くなっていました。

夏の庭/湯本香樹実の読書感想文

 『夏の庭』は少年の成長を描いた物語です。友人から「死んだ人、見たことあるか」と尋ねられた「ぼく」は、もうすぐ死ぬというおじいさんを見張ることになりました。夏休みが終わり、大人への階段を上る少年たちの後ろ姿を描いて、作品は終わります。

 おじいさんと仲良くなった「ぼく」が、おじいさんの家にコスモスの種をまく場面がありました。ホースの角度を変えると、太陽の光に照らされて、水の流れの筋の中に虹が浮かび上がります。「ぼく」は、「たぶん、この世界には隠れているもの、見えないものがいっぱいあるんだろう」と感じます。同時に、「死んでもいい、と思えるほどの何かを、いつかぼくはできるのだろうか」と小さな心で思い悩みます。

 「ぼく」の心は、ときおり描写される心像風景で提示されます。母親から飼い犬が「あしたの朝、死ぬから」と告げられた時の「不安」だったり、「池田種店」のおばあさんがおじいさんと話す様子を見て「初めての場所なのに、なぜか来たことがあると感じたりするのは、遠い昔のだれかの思い出のいたずらなのだ」とうれしくなったり、夜行バスで皆が寝静まるなか、ふと窓を見て「窓にだれか映っている。ぼく? そこに映っているのは、ぼくのはずだ。でも違う」と感じる場面などに、少年の純粋な心が描き出されています。

 少年たちは、けっして無邪気に毎日を過ごしていればよいという家庭環境にはいません。両親が離婚して父親がいない河辺はテストの結果が悪いと発狂した母親にベランダのさんに縛りつけられ、プールでおぼれた山下は、「おかあさんを呼びましょう」と先生から言われ、「絶対やめてほしい」と拒否し、「池田種店」を訪れた「ぼく」は、小学一年生の時に「池田種店」に種を買いに来た際は「そうだ、あの頃はまだ、おかあさんはお酒なんか飲まなかった」と思い出します。しかし、少年たちにはどうすることもできない、過酷とも思える環境があることによって、かえって、河辺の「でも、どこかにみんながもっとうまくいく仕組みがあったっていいはずで、オレはそういう仕組みを見つけたいんだ」という願いや、「おとうさんみたいな魚屋になる」という山下の決意や、「何か書こうと思う」「忘れたくないことを書きとめて、ほかの人にもわけてあげられたらいいと思う」という「ぼく」の思いが生まれてきます。

 小学校の卒業式の日、3人はそれぞれ別の方角へ「まっすぐ歩きはじめ」ます。思い出を作る、思い出を残すなどという言葉は大人の理屈から生み出されたうわべだけの現象で、目の前の時間を純粋に生きている少年たちには、「思い出」という発想自体がないのかもしれません。『夏の庭』は、思いや、願いというものは、作り出すものではなくて、純粋な心から生まれてくるものである、ということを描いた作品だと思いました。


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