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少年H/妹尾河童のあらすじと読書感想文

2013年8月20日 竹内みちまろ

少年Hのあらすじ

 昭和5年、神戸の海辺の街で生まれた妹尾肇(せのお・はじめ)は小学校一年生のときから、胸に「H.SENO」の文字を編み込んだセーターを着せられていました。クリスチャンの母親・敏子が宣教師の女性が持っていた写真を見た時に、映っていた女性が胸に文字が書いてあるセーターを着ていたのをみて、さっそく真似たのでした。外国人の多い神戸でも昭和12年頃にそんなセーターを着ている人がおらず、恥ずかしさのあまり、肇は「H」だけにしてもらいました。同じくクリスチャンの父親・盛夫は、洋服店を営んでいました。「いまに必ず日本中の人が、みんな洋服を着る時代になる」と洋服の仕立て職人になる決意をした盛夫は15歳で神戸に出て、見習いの丁稚小僧から修行を積みました。敏子とは、家が隣同士の本家・分家の間柄で、2人の郷里は広島県福山市から山を一つ越えた農村にありました。肇が生まれた2年後、妹の好子が誕生します。

 肇の家から歩いて頂上まで登ることができる鷹取山を近所の子どもたちは「ぼくらの山」を思っていました。肇の家の目の前を走る道を走ればすぐに砂浜に出ることができます。肇は、夏休みは午前中は山に登り、午後は海で泳ぐという毎日を過ごします。山へ行く途中にある鷹取駅には機関区があり、様々な機関車が煙と蒸気を吐いていました。また、肇の家と長楽市場を挟んだ隣には、石油会社「ライジングサン」のタンクや埠頭がありました。タンクと鷹取駅の間には汽車の引き込み線が走っており、肇たちは機関区に忍び込み、引き込み線の原っぱで野球にあけくれます。

 盛夫の顧客には、アメリカ人・イギリス人・ドイツ人・イタリア人などさまざまな外国人がいました。街には松竹館と娯楽館という2つの映画館があり、肇は、盛夫の仮縫いに付き添って映画を覗き見たりします。肇の家では、「いまからナイフとフォークに慣れとったら、キットいいことがあるからね」という敏子の考えで、お祈りの後に、ナイフとフォークで食事をしていました。肇は、大通りを挟んで斜め向かいの「うどん屋の兄チャン」が好きで、階段を登った三畳間に遊びに行きます。「うどん屋の兄チャン」は、ここに来たことも、レコードを聴いたことも誰にも言うなよと念を押し、レコードを聴かせてくれました。しかし、「うどん屋の兄チャン」は夜、警察に捕まってしまいます。「やっぱり赤やったんやなあ」「思想犯やから特高の調べもきついで」と大人達が話すのを聞き、肇は、「シソーハンって何? トッコーって何んや?」と聞きます。が、大人たちから、「そんなこと大きな声でいうたらあかん」とにらみつけられてしまいました。

 真珠湾攻撃の知らせに日本中が沸きます。肇は中学生で、教練射撃部の訓練に明け暮れます。やがて、神戸が大空襲に見舞われました。

少年Hの読書感想文

 「少年H」のストーリーは、神戸で生まれ育った少年の目を通して語られる昭和の歴史だと思いました。

 印象に残っている場面があります。神戸が空襲に見舞われた際、肇の母親は隣組の班長でした。クリスチャンとしてそしりを受けないためにも、班長の任務を引き受け、平等に配給が行き渡るように魚の切り身の大きさにまで気を遣い、また、防空演習ではバケツを持ったまま倒れて寝込んでしまいました。敏子の組は、女性が班長を務める組では最も優秀で、隣近所で敏子の家をクリスチャンだからとそしる人はいませんでした。

 空襲が起きたとき、敏子は、教えられたとおり、バケツや濡れ布団で焼夷弾を消し止めます。しかし、街中が火の海になっていました。父親から、空襲があったら消し止めようとせずすぐに逃げろ、と前もって言われていた肇は消火作業を続けようとする母親の手を無理やり引いて、逃げました。炎と煙に巻かれ、何がどうなっているのかわからないまま、肇は必死に走ります。結局、街の半分はまったく焼けなかったのですが、冷静になって街の様子を見渡し、人々の話を聞くうちに、空襲が始まったとたん近所の人間達はみな、消火作業などせずにすぐに逃げていて、敏子は誰もいない街で一人で消火作業をしていたことに気が付きます。

 この場面を読んだときに、人間の生き様、あるいは尊厳というものを考えました。敏子が「おろか」だったということもできると思いますが、仮に、「おろか」だったとしても、それは恥ではないと思いました。同時に、近所の人々は「かしこい」のかもしれませんが、どこか、うしろめたさを感じる「かしこさ」ですし、冷静になったあとでもいいので、それをうしろめたいと感じる心を持ちたいと思います。

 また、「少年H」は、ラスト近くの場面が印象的でした。戦後、焼け野原となった神戸で、肇は、両親と妹の好子と4人で暮らします。母親が「あの人はあんたよりお腹空かせてる。ちょっとだけ分けてあげよう」というと、肇は、「腹減ってる人を助けるゆうたらきりがないで! ええかげんにしてくれ」と叫びました。母親はおろおろし、妹は泣きだし、肇は、釜の蓋を何もいわない父親の顔に投げつけました、父親はよけませんでした。妹に、「お兄ちゃんなんか死んでしまえ!」と背中を叩かれます。肇は、「そうやなあ、ぼくは死んだほうがええなあ。このまま生きてたら、何しでかすかわからん」と思います。「それに世の中も変だし、生きているのも面倒になっていたし、なんの未練もなかった」。肇は、列車に身を投げ出して死のうとしますが、実際に列車が近づいてくるとものすごい揺れを感じ、気が付いたら枕木にしがみついていました。

 肇のいうことも、母親のいうことも、父親の行動も、何がよくてどうあるべきかをいえることではありません。強いていえば、せつない瞬間だと思いました。そんなとき、肇は、ぼんやりと、生きるのが面倒になってしまい、死んでしまいたいと感じてしまいました。そして、死のうと思って死ねなかったとき、ある意味で、肇は、絶対的な瞬間を経験し、さらにそれでも生き続けなければならない宿命を背負ったのかもしれないと思いました。もはや肇には、すさんだ生活を送るか、詩人になるかしかないようにも感じられる哀しい場面です「少年H」は、どこか、哀しい物語だと思いました。


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