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聖の青春/大崎善生のあらすじと読書感想文

2015年9月15日 竹内みちまろ

聖の青春のあらすじ

 1969年(昭和44年)6月15日、村山聖(さとし)は、父・伸一、母・トミコの長男として、広島大学付属病院で生まれた。体重30キロ代のトミコは原爆の後遺症である肝臓の持病があったが、医師の帝王切開の勧めに首を縦に振らず、強靭な精神力で聖を生んだ。

 1974年(昭和49年)、5歳の誕生日を迎えたばかりの聖は、はしかにかかったが、ほどなくして完治。しかし、治った後も活発だった頃の様子と違い、広島市民病院に連れて行ったところ、腎ネフローゼ(極度の疲労や発熱が誘因となり起こる腎臓の機能障害)と診断された。

 腎ネフローゼは、安静にして何もせずに布団の中で横になっていることが最良という。しかし、もともと活発だった聖はじっとしていることができず、外を駆けまわっては熱を出して倒れてしまい、入院することになった。そんな聖がある日、トミコ子に、「将棋の本を買うてきくれ」と告げた。初心者向けだが子どもには難しい本を聖はむさぼるように読み進めた。

 病気と闘う日々の中で、10歳になったばかりの聖は、広島市内の中島公園の近くにある篠崎教室の門を叩いた。11歳の聖は、中国こども名人戦で優勝。小学5年の3月には、病院に外泊許可を取り、聖は全国小学生将棋名人戦に出場するために生まれて始めて東京へ行った。「一局指してみなさい」と言われて始めた将棋で、のちの女流名人・中井広恵に破れ、本選トーナメントでは後に名人になる佐藤康光に敗れた。聖は全国のレベルの高さを痛感した。

 将棋界では、中学生でプロ棋士となった谷川浩司が、21歳で名人になった。ニュースターの出現で将棋界に注目が集まった。

 中学1年生の聖は、あせっていた。奨励会に6級で入会し5年で卒業できたとしても、プロに入ってからのリーグ戦を勝ち抜き、仮に毎年優勝という最短コースを辿っても、名人に挑戦できるのは、早くて23歳の時。

 学生服を着た聖は親族会議の場で、「谷川を倒すにはいまいくしかないんです。お願いです。僕を大阪にいかせてください」と頭を下げ、奨励会入りの許しを願った。

聖の青春の読書感想文

 「聖の青春」では、この後、奨励会に入会しA級棋士に登りつめるまでの活躍と、1998年(平成10)年8月8日に29歳で逝去するまでの闘病の日々がつづられます。この辺りで、読書感想文に移りたいと思います。(敬称略で書かせていただきます)

 「聖の青春」は若い頃にも読みました。そのときは、名人になることに執念を燃やす聖の生き様が印象に残りました。

 40歳を過ぎて読み返してみて、もちろん聖の生き様も心に響きましたが、聖を支えた周りの人々の生き方が印象に残りました。とりわけ、聖の師匠となってから聖を支え続けた森信雄の姿が心に残っています。

 森は、人の紹介で聖を弟子にすることになりましたが、奨励会入会のときに、京都のある人物からクレームが入り、入会が一年遅れます。聖にも、森にもどうすることもできない、大人の事情でしたが、そのとき、森は、何があっても聖を守ろうと決意していました。

 30歳の森と、13歳の聖の師弟関係が始まります。それは、奇妙ともいえる関係でした。

 聖は、奨励会に入会できなかったショックで持病を悪化させてしまっていました。森はそんな聖を大阪に呼び寄せ、自分のアパートに住まわせて、将棋の勉強をさせようと思います。森の提案で聖は蘇り、森のアパートでの共同生活が始まります。

 通うことになった中学校が遠くにあったため、自転車を利用しようという話になりました。森は、自転車に乗ったことがなかった聖のために、小さな公園で、聖の自転車の荷台を後ろから押して特訓をします。森が「大丈夫そうやな」と声を掛けると、聖は「はあ。何とか」と答えました。

 が、翌日、聖は膝を包帯でぐるぐる巻きにして学校から帰ってきました。聖は「もう、自転車はいやです」と断言し、森は「そうか。冴えんなあ」とこぼします。森は、幼い頃から闘病生活を続けている聖を普通の男の子と同じように扱ったことに内心、後悔しました。それからも、森は、聖を床屋へ連れて行ったり、下着を洗濯してあげたり、聖のために本屋を回って少女漫画を買い集めてあげたり、定食屋に毎日連れて行ったりします。

 そんな2人の微笑ましいとも思える師弟関係に変化が訪れた場面がありました。41歳になりプロとして下降線をたどり始めた森が、このまま聖を中心に据えた生活を続け自分の将棋が落ちて行けば、聖にも悪影響を与えると思い、聖と一線を引いて、距離を置いたのでした。森は結婚することにしたことすら、聖に知らせませんでした。

 聖は勝ち続け、25歳の時に、A級昇級を決めます。聖は、雑誌の昇級喜びの声に手記を寄稿しました。末尾は、「A級八段になれたのも両親、山本Dr.のおかげだと思っています」と記し、師匠である森への感謝の言葉を書きませんでした。「聖の青春」で引用されていた自戦記の最後は必ず、「最後に僕は師匠の森先生に大変お世話になっています。これからも煙草をひかえて頑張って下さい」など、森への感謝の言葉で締められていましたが、著者の大崎は、師匠の事に触れなかったことで、「逆に二人のつながりの深さを感じる」と書いていました。ほんとうにそうなのだろうかと思いました。

 森が面倒を見ることをやめ、聖に自立を促したことで、森と聖の関係は以前と比べたら、節度をわきまえた師弟関係のようになっていました。

 しかし、病気と闘わなければならない聖は、どうしても、誰かに面倒を見てもらう必要があるのではないかと思いました。そして、森が面倒を見れば理想だと思えました。しかし、森は、何から何まで面倒を見ることを止めました。森自身がダメになってしまっては結果として聖をダメにしてしまうという思いと、もう一つ、A級に昇格し、名実ともに一流の仲間入りをした聖はいよいよ念願の名人に挑戦するための戦いに挑みます。棋士は勝負ではたった一人で戦わなければなりません。森は、聖の念願を叶えるために、たった1人で戦うことを教えたのかもしれません。

 聖の訃報を聞いて広島に駆け付けた森は、聖の遺体を前にして泣き崩れました。なんとも、悲しい涙だと思いました。

 すべては聖のため、もっといえば、名人になるという聖の念願を叶えてあげるためだったとはいえ、森は、心の底では、もっと、もっと、聖の面倒を見てあげたかったのではないかと思いました。

 時間というものは人間の事情とは無関係に流れていき、人間同士の関係というものは時間と共に変わらなければならないものなのかもしれません。“幸せな今”はいつかは終わってしまい、ときに人間は“幸せな今”を終わらせて次へ進まなければならないのだと思いました。

 聖を自分の元から自立させ、たった一人で戦わなければならない真の勝負の世界へと入ることを後押しした森の胸中を考えると、聖が重い病気と闘っていたために、察するに余りあるものがあると思いました。


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