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スイッチを押すとき/山田悠介のあらすじと読書感想文

2012年10月25日 竹内みちまろ

スイッチを押すときのあらすじ

 2030年11月16日、YSC(青少年自殺抑制プロジェクト、The Youth Suicide Control Projecy)の実験施設で監視員を務める南洋平(27歳)は、YSCの本部長・堺信秀から呼び出され、勤務していた八王子の施設の子どもが全員自殺したことにともない、横浜の施設への異動を言い渡されます。横浜には、強制収容後、7年間も自殺するスイッチを押さないでいる子どもが4人もいました。

 若年層の自殺者があとを絶たず、また、インターネットで呼びかける集団自殺がその増加に拍車をかけ、少子化にともなう税負担が増加するなか、2008年、政府は、「青少年自殺抑制プロジェクト」を立ち上げました。青少年の深層心理と精神構造解明のため、無作為に全国から選出された子どもたちが、5歳の時にスイッチを押せば死ぬことができる装置を心臓に設置され、10歳になったら有無を言わさず身柄を拘束されるようになりました。子どもたちは、実験施設から外に出ることを許されず、テレビや娯楽を与えられず、食事と睡眠を取る地下の個室と、L室と呼ばれる机とイス以外は何もない大部屋につれていかれ、観察されます。外部との接触を閉ざされた子どもたちは、家族や友人と連絡を取ることもできず、それでいて、家族が発狂して死んだり、大切な友人が絶望して死んだりした時のみ、その結果を事務的に告げられます。そして、施設に収容された時点で、スイッチを渡され、そのスイッチを押せばすぐに自殺できることをたたき込まれます。

 横浜の施設では、7年前に15人で一括して収容された子どもたちが、1人目、2人目と次々にスイッチを押していき、2年目には、4人になっていました。洋平は横浜の施設へ出勤し、全員17歳の高宮真沙美・新庄亮太・小暮君明・池田了の4人を見ます。洋平は、「四人の目は決して死んでいなかった」と振り返りました。洋平は、「何だこの明るさは?」と驚がくした高宮真沙美から、「南だから、これからはナンちゃんって呼ぶね」と声を掛けられました。また、横浜の施設の所長から、堺からの封筒を渡されます。封筒の中には、『子どもたちのことを調べてみてはどうかな。君には知る権利がある』というメモと、横浜に留まらず他の施設へも自由に出入りすることができるカードキーが入っていました。監視員になってから自分にできることはないのかと悩み続けていた洋平は、「希望を捨てていない」という4人のために「何かしてやりたい」と強く感じます。

 洋平は、「ナンちゃんにね、見せたい物があるんだ」と高宮真沙美から告げられ、生まれつき足が悪く車イスを利用している小暮君明が描いた絵を見せられます。いつも下を向いている池田了の顔や、監視員には反抗的な言葉を発する新庄亮太の険の無いやさしい顔が描かれていました。洋平は、高宮真沙美から、「明日、君明くんと一緒に絵を描きに外へ行くから、ナンちゃん来てよ」と言われ、翌日、高宮真沙美と小暮君明が絵を描くために施設のグラウンドに出ると、監視の為に洋平が付き添いました。洋平は、「死なせない……」とつぶやき、「良かったら使ってくれないか?」と、鉛筆だけで描いていた小暮君明へ、10色の色鉛筆を渡しました。別の日、それまで口をきかなかった小暮君明が、洋平に「……ありがとう」と言いました。洋平に加えて、今まで小暮君明が監視員に口をきいた経験がないことを知っている3人も驚きました。

 池田了は、自身と同時期に別の施設に収容された矢田遥と幼なじみでした。矢田遥は公園の砂場で、『了君はね、私と結婚するよ』と口にし、池田了は『やだね。何でお前と』と答えましたが、同じ気がしていました。池田了は、国に身柄を拘束される数時間前に矢田遥から借りた自転車のカギを持っていました。池田了は、監視員が何も告げてこないので矢田遥はまだ生きていると確信しています。

 池田了は洋平を屋上へ呼び出し、もし矢田遥に会えたら渡してほしいと、自転車のカギとメモを渡します。洋平は、堺から渡されたカードキーで、矢田遥が収容されている平塚センターに忍び込みます。そこの監視員に見つかりましたが、平塚の菊田という監視員から、情報料一万円で、矢田遥の「頭いかれちまってるよ。毎日毎日イスの上でボーッとして、ただ飯を食うだけ」という状況を聞き出し、5千円でカギとメモを渡してくれるように依頼しました。メモには、「カギを返す時がいつか必ずくることを信じている。だから、諦めないでほしい」などと記されていました。洋平は、池田了へ、カギと手紙を渡したことを伝えました。しかし、矢田遥は、ノイローゼぎみだった矢田遥の母親が赤信号を渡っているときにトラックにひかれて死に、そのことを告げられた矢田遥はスイッチを押しました。矢田遥は、ノートに、「お父さん、了、ごめんなさい」と書いていたといいます。横浜の施設の所長から矢田遥の死を告げられた池田了は、スイッチを押しました。

 池田了が自殺すると、YSC本部の背広組が、池田了の個室の前に集まりました。7年間もスイッチを押さなかった子どもの自殺が話題となったのでした。洋平は、「国の命令にはもう従わない」と決心し、ポケットから取り出した母親の写真をしばらく見つめ、「復讐だよ……」と口にします。洋平は、高宮真沙美、新庄亮太、小暮君明の3人を連れて、施設から逃げました。

 洋平は、いったん群馬県吉永村にある廃校に身を隠し、そこで何日か過ごしました。ラジオのニュースでは、横浜の施設から脱走した4人のことが盛んに報じられています。YSC本部長の堺は、「あの南という男、いずれは脱走くらいはするだろうと考えてはいたよ」「面白くなってきた」などと笑いました。

 逃走した洋平は、どうするというあてはありませんでしたが、3人にやりたいことを聞きます。新庄と小暮にはスイッチを押さない理由がありました。高宮は「本当のお母さんには捨てられ、里親とも、一年くらいしか一緒にいないから」「だから私は今が一番楽しい」と明るい口調で言いました。

 洋平はまず、3人を車に乗せて、「お父さんと約束した、絵を見たい」という小暮君明の願いをかなえるため、小暮君明と同じように足が悪かった画家・セリアルが死の直前に残した作品『夢』が展示されている千葉国際美術館へ向かいます。『夢』は、小暮君明が、国に捕まる前に、希望を失わないようにと父親があえていっしょに見に行くと約束したのだと確信している絵でした。両親へは電話をしてあり、君明は両親と7年ぶりに、『夢』の前で再会しました。しかし、そこに背広を着た男と警官がやってきました。しかし、「今度こそ、私たちは息子を守ります」という君明の父親が立ちはだかり、洋平は、3人を連れて逃げました。警官に追われた洋平は、「止まるな! 走るんだ!」と小暮君明の車イスを押したままであとの2人へ告げ、自動車が走っている国道へ飛び出します。洋平と3人は逃げ延びることができましたが、君明は「僕がいたら足手まといになる」「それに、もう疲れたよ」などと告げ、スイッチを押しました。

 次に洋平は、神奈川県座間市にある、新庄の母親と弟が住む家に向かいます。弟は心臓に重い病気を持っており、家には父親がいませんでした。洋平と高宮真沙美は、亮太を家の前で降ろして去ります。亮太は7年ぶりに、家族とのつかの間の団らんの時間を過ごします。しかし。警察が来て、亮太は連行されます。亮太はパトカーの中でスイッチを押しました。亮太は、誰にも言いませんでしたが、捕まったらスイッチを押そうとはじめから決めていました。また、目的を果たした瞬間に一気に気が抜け、君明が言っていた「もう疲れた」という言葉の意味を実感していました。

 洋平と高宮真沙美は2人だけになりました。堺から洋平の携帯に電話がありました。堺は、「君がしていることは正義でも何でもない。ただ、彼らを死なせただけだ」「今すぐ君が私に降参すれば、高宮真沙美を助けてやってもいい。要するに、彼女の自由を約束しようじゃないか。悪くはないと思うが」と持ちかけます。電話のあと、心配した高宮から、洋平は「もしナンちゃんが裏切ったら、私はスイッチを押すからね」と念を押されます。「高宮がこんなにも真剣な表情を見せたのは初めて」でした。高宮は、もし会いたいとすれば、6歳の時に高宮を捨てたという「お母さんかな」と口にします。高宮真沙美の思い出をたどり、アパートがあった場所を回ります。次に、6歳のときに引き取られた静岡県磐田市の養護施設へ向かいます。車中、真沙美は寡黙でしたが、園長に会うことができ、高宮真沙美は重大な事実を知らされました。高宮真沙美は、高宮真沙美を連れた母親が泣いていたという海に行きたいと告げます。洋平は、2人の最期の場所となる愛知県の伊良湖海岸へ、高宮真沙美と向かいます。堺も、高宮真沙美の母親を連れて、ヘリコプターで2人のあとを追いました。

スイッチを押すときの読書感想文

 『スイッチを押すとき』は読み終えて、妙に納得してしまいました。時代を反映した作品、現在を描いた作品だと思いました。

 一番印象に残ったのは、高宮真沙美の母親です。真沙美の母親は、洋平の母親でもある笹本真琴(旧姓:南真琴)なのですが、洋平は自分が高宮真沙美の兄であることを知りません。真沙美は養護施設の園長から聞かされて知っていました。

 洋平と真沙美は、伊良湖海岸で、真沙美が、洋平→自分という順番で2人分のスイッチを押したことにより、自殺しました。また、洋平は、自分自身も15年間、施設に収容されていた子どもだったことを高宮真沙美に告げていました。

 母親は、2人の遺体が並んでいる海岸に堺と来ました。母親の元には、前もって堺がいきなり訪問しており「帰ってください。話などありません」という母親へ、堺は「私にはあるんですよ」と話をしていました。母親は、洋平と高宮真沙美が母親の故郷の海へ向かったことを知った堺に連れられて、ヘリで来たのでした。堺は、母親の元から洋平を奪い取った監視員でもありました。母親は、2人の死体の前で泣き崩れました。

 堺は「あなたも可哀想な人だ。二人の子供を、国に奪われたんだから」と冷酷に告げます。母親は、「私が、一体何をしたっていうんですか……どうして」と問います。堺は「あなたは何も悪くありませんよ。ただ、運が悪かっただけだ」と言い放ちます。その後の母親の姿が印象的でした。

「運で全てを片づけられた瞬間、真琴(母親)は完全に力尽きた」

 と記されます。その後、「力尽きた」母親は、2人を失ってからの自分が「アパートで一人、何となく死なずにいる。そんな感じだった」と振り返り、「それではいけなかった。生きることを許されなかった二人の分まで、これからは生きていかなければならない」と決心します。母親は、洋平と真沙美の手を繋がせ、「さよなら」とささやき、その場を去りました。

 『スイッチを押すとき』は、母親の再生の物語にもなっていましたが、その「再生」には、救いようがないと思いました。自分とは無縁の外部要因によって2人の子どもを奪われて、人生をめちゃくちゃにされて、「運が悪かった」のひと言で片づけられ、なによりも、運のひと言で片づけられて、「力尽き」ていました。「二人の分まで、これからは生きていかなければならない」というのは、現実世界であるならば、そういう問題ではないだろう!/そもそも、そんなことを考える母親なんているわけないだろう!/バカかお前は! などと言われてしまうことです。しかし、『スイッチを押すとき』の世界の中では、母親のこのひと言が、妙な説得力を持っていました。

 人間は自分では選ぶことができない環境に産み落とされます。人生の中にはどうにもならないこともあります。人間は醜く、社会は厳しいのかもしれません。『スイッチを押すとき』は、現実にはありえない世界の中で絶望することすらあきらめてしまった人間を描くことにより、現実世界の人間というものを描いているのかもいれないと思いました。


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