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この国の空/高井有一のあらすじと読書感想文

2015年5月17日 竹内みちまろ

この国の空/高井有一のあらすじ

 盧溝橋事件を発端として日本と中国が全面戦争に突入した翌年の1938年、医家向けの薬を製造する会社に勤めていた里子の父親が、結核を患い10カ月間、寝たきりですごした末に死にました。妻の蔦枝と小学生の里子には、蔦枝が里子の祖父(=蔦枝の父)から受け継いだ現在住んでいる碌安寺町の土地家屋のほか、世田谷にある3軒の家や若干の有価証券などが残され、当面の生活には困りませんでしたが、戦時中の世に、女2人で残されました。戦争は続き、太平洋戦争も開戦します。戦争は進み、本土にもB29による空襲が行われるようになります。蔦枝は、烏山と川越に家を見に行くなどしましたが、田舎での暮らしを嫌がり、疎開はしませんでした。

 激しい雨が降った冬の日、里子の家の防空壕が水浸しになり、入り口の土の階段が崩れました。直すにも女2人の手に負えず、人に頼むつてもありませんでした。隣家の市毛孟男が「うちの豪へ入るようにすればいい」と声を掛けてくれました。財閥系の銀行の大森支店長の市毛は、妻子を疎開させたばかりで、徴兵検査の結果が丙種でまだ赤紙(召集令状)は来ておらず、市毛の家の豪は3畳間ほどの広さで角材を支柱にしたしっかりとした作りでした。

 1944年の12月初めの天気のいい日曜日の午後、西方の飛行機工場の方での大がかりな空襲が終わった頃、市毛の家の豪を出た里子は、市毛に、「縁側の硝子戸、危ないでしょう。紙を貼らなくては」などと声を掛けます。戦時下の女2人の暮らしには男の存在がありがたく、蔦枝も市毛を頼りにするようになっていました。19歳の里子は、38歳という市毛の年齢を知り、39歳で死んだ父親よりも1歳年下だと思いました。

 1945年2月末、駒込に住む里子の伯母の瑞枝が空襲で焼け出され、里子の家にやってきます。夫と中学4年生の長男・嶺雄は死んだといいます。焼け出された瑞枝は人が変わり、めったに笑わなくなりました。1週間後に空襲があったときは豪に入ろうとせず、3月10日未明の東京大空襲の際は、里子と蔦枝が、嫌がる瑞枝の両脇を抱え、無理やり、市毛の家に連れて行きました。里子の家の生活物資も足らず、ひんぱんに空襲のサイレンが鳴る東京にいたら瑞枝の精神にもよくないと、瑞枝を秋田県の象潟(きさかた)にある瑞枝たち姉妹の父方の遠縁の家に強引に疎開させました。

 里子は、職を持たない未婚女性が全員、女子挺身隊として工場へ動員されることになった前の年の夏から、町会事務所に勤め、帳簿の仕事や、疎開手続きの書類作成などをしていました。東京大空襲のあった3月10日を境に人の顔が変わったと言われましたが、里子も、毎日、事務所の机でやってくる人たちと向き合い、そう感じていました。

 戦局は悪化し、新聞は決戦を目指して沖縄では戦線を整理中だ報じます。碌安寺池に棲むカエルが食べられるとの評判が広まり、大勢の人がバケツと網を持って池に集まってきました。

 6月に入り、蔦江の母の妹の娘であり、里子の5歳年上の蟹江智江が、鉄工場の経営者の息子に嫁ぎます。軍関係だけあってはぶりが良く、式場に用意されていたお膳には、鮪の刺身や精進揚、豚の角煮、青柳の酢の物などがとても食べきれないと思えるほど盛り付けられ、帰りには、「目立たないように持って行って下さいよ。お巡りに見付かるとうるさいから」と念を押されて折詰が配られました。

 疎開していた瑞枝が「帰って来てしまったよ。田舎の人たちとは、とてもとても暮らせなかったのよ」と、里子の家に戻ってきてしまいました。里子は、隣組の組長の阿曾に相談し、瑞枝が転入の規制を無視して戻ってきていることを隣組にはきちんと打ち明けておくことにしました。

 6月の常会がたまたま里子の家で開かれる番で、里子は、瑞枝が再び同居するようになった経緯を打ち明け、理解を得ることができました。しかし、宮地という出席者が「空いている部屋に、為体(えたい)の知れない人間を泊まらせてるとなると、これはいかんのじゃないですかな」などと言い出します。20代半ばですが胸を悪くして兵隊には行かず、家族が郷里の富山に引き上げたため残った家に一人で住んでいる斎木が「ぼくの事を言ってるんですね」と険しい声で応じました。宮地は「赤の連中が動き出したっていう噂があるんです」などと口にすると、斎木もムキになって言い返し、収集がつかなくなります。高辻の妻が「さあ、お仕舞にしましょう。警報が出ないうちに」と打ち切りました。

 里子は、以前、斎木の家で、高校生のようなマントを着て、「前に一度、警察に挙げられた事」がある男を見かけたことがありました。里子は蔦江に「こじれたら困るわ。何とかならないかしら」と告げます。蔦江はうつむいて考えた末に「市毛さんに相談してみたら」と返します。里子は「市毛さんに?」と聞き返してそのあとを言えなくなりましたが、蔦江が無意識に市毛の名を口にしたのだとは思えませんでした。

 里子は、市毛に相談しました。市毛からは「気にしても始まりませんよ」と言われます。その後、隣組の会合での会話が話題に挙がり、市毛は「アメリカが上陸して来るとしたら、九十九里浜か、鹿児島の志布志湾か、どっちかだそうです」などと口にします。里子は幼い頃、父と九十九里浜の波打ち際を歩いたことを思い出します。父に肩車をされて、波の寄せて来る方を眺めたような気がしました。

 7月に入って間もなく、市毛は、宿直が増えて家を留守にすることが多くなり、暇な時に戸を開けて風を通してくれないかと、里子に勝手口の鍵を渡します。鍵を渡された日、里子は、「よかったら、今夜来て下さいませんか」と市毛から声を掛けられ、里子が夕食もそこそこに出かけると、市毛は、甥が硫黄島で戦死したことを告げます。里子は、家に帰りたくないと感じました。

 里子は、市毛の留守の家に上り、掃除などをするようになります。そんな里子に、蔦江は、「市毛さんに、気を許しては駄目よ」と声を掛けます。蔦江は、普段の時だったら妻と離れて暮らす男の家に一人で上がるなどもってのほかとしながらも、「今はこんな時代で、あなたの近くには、市毛さんしかいないんですものね。あの人がいて呉れて有難いと、あたし、歓んでいるのよ。娘をよろしくお願いしますって、頭を下げに行きたいくらい」と言いますが、「それと矛盾するようだけど、あなた、あの人に気を許してはいけないわ。気を許したら、女の方が損をするに決まっているから」と注意します。蔦江は「あなた、市毛さんに好きだって言った?」「どんな事があっても、歯を食いしばってでも、言っては駄目よ。若(も)しそれを言ったら、崩れて、溺れてしまうから」などと諭しました。

この国の空/高井有一の読書感想文

 「この国の空」を読み終えて、当時は、生身の人間たちのぬくもりというものが当たり前に生活の中にあった時代なのだなと思いました。

 市毛は、里子に、「女の人には、何をやっていても美しく見える時期ってあるんですね。あなたは今、ちょうどその時期なんだな」と告げます。「明日赤紙が舞い込んだってちっとも不思議じゃないんだ。今まで隠してたけど、この頃は怖いんだよ」と招集される恐怖を語る場面もありました。

 そんな市毛は、「今のぼくには、昔が戻って来るなんて、想像もつかない。考えられるのは、死ぬか、死なないで済むかだけだ」と口にします。戦争(=死)に連れていかれるのか否かしか考えることができず、未来のことなど思い浮かべることすらできないで、今日こそ郵便受けに赤紙が来るのではないかと怯えながら生きるしかできないでいるようです。

 市毛は、「それで」と口にしたあと絶句しますが、里子は市毛が口を開くまで待とうと決心し、市毛は、とうとう、「君が欲しかった」と口にします。「地震で足許が揺れたとき、近くにある物にしがみつくみたいにね。君のその身体が欲しかった。そんなぼくの気持に、君は応えて呉れたね。ぼくが、力ずくで君に無理を強いたわけではなかったね」と告げます。里子は、「あたしこそ、市毛さんの近くに行きたかった。あたし、市毛さんが好きです」と応えました。

 蔦江がいうように、里子の周りに男は市毛しかおらず、里子が一番美しい時代に日本は戦争をしていたのですが、当時は、人間と人間が肌身を寄せ合って生きており、女も、男も、理屈ではなく、生身の体と、衝動ともいえる動物としての野生の心を持った人間として生きていたのだと思いました。

 もちろん、今の時代と当時とを比べたら、徴兵がないというだけで、今の時代の方がいいに決まっています。しかし、それでも、パソコンやモバイル、ゲームやテレビ、電子機器などが何でもあり、テレビやパソコンの画面をはじめ、空想や妄想を通して、バーチャルや、2次元、2.5次元に無限の世界が広がっている今の時代よりも、そんなものが一切なくて、身近にいる人間の存在や、目の前にいる人間のぬくもりだけがすべてだった当時の方が、人と人同士が顔を合わせて向き合い、生身の体と、その体にほとばしる衝動や情熱を持った人間として生きていたような気がしました。


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