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爆心/青来有一のあらすじと読書感想文

2013年6月4日 竹内みちまろ

爆心のあらすじ

 「爆心」は短編から構成させています。それぞれのあらすじから。

「釘」

 妄想型の総合失調症と診断され、精神病院の隔離病棟に入院している息子と60歳になる親夫婦の物語です。夫婦の夫の一人称で語られます。

 子どものころから「言葉が貧しい子で、よう自分の気持ちを言いあらわしはきれん」かった息子で、勉強もできませんでしたが、園芸店で働くようになってから、植物を育てるゆったりとした時間の中に自分の居場所を見出すようになりました。たまたま、取材に来たテレビ局のリポーターの清美と出会い、結婚しました。容姿端麗の清美は生まれつき持っている男を引きつける色気をまとっていましたが、夫が清美に「あの息子のどこがよかとですか?」と聞くと、清美は、息子が腕にしがみついたテントウムシを優しく掌で救って、ビニールハウスの外まで歩いて逃がしたエピソードを口にしました。息子は、清美と結婚できたことは「奇跡」だと母親に告げていました。

 盛大に祝福されて結婚した息子と清美ですが、息子は四六時中清美の体を求めるようになり、職場からも毎日電話をかけます。あとでわかったことですが、結婚当初から、息子は3社の探偵社に依頼して清美の素行を調べさせていました(結果は、3社とも、清美に浮気の疑いなし)。清美は家を出て、家庭裁判所を通して離婚を申し出ました。息子は、清美は男とやりまくっていると主張します。

 息子はついに、ナイフを持って、道路で清美に迫りました。しかし、息子はすぐに通行人に取り押さえられました。ただ、逃げようとした清美が足を滑らせて、取り押さえられた息子の上に覆いかぶさるように倒れます。清美は息子が握っていたナイフで致命傷を負い、死亡。

 その後、息子は責任能力なしと判断されました。夫婦は代々続く家と土地を売ります。かつては、隠れキリシタンの礼拝所で、建て替えの時も手を付けられなかった離れは、清美が出て行ったあと、息子がしばらく住んでいましたが、6つのカギで扉が閉められていました。夫は、精神病院の息子にことわってから、カギを壊して中に入ります。三方の壁の鉄板に、釘がびっしりと打たれていました。夫婦は、息子がなぜそのようなことをしたのか、さっぱりわかりません。夫は、息子が子どものころ、「おとうちゃんは神を信じておるのか?」と尋ねられたことを思い出しました。

「石」

 45歳の「わし」の一人称で語られます。「わし」は、ホテルのロビーで幼馴染の九谷議員を待っています。愛人を秘書として雇ったとして渦中の九谷議員ですが、この日はその九谷議員の公演があるということで報道陣が詰め掛けていました。

 九谷議員が会見を開くことになります。が、「わし」は会見場に入れてもらうことができませんでした。ただ、すれ違いざま、九谷議員と目が合います。メモが九谷議員の所へ渡り、「わし」は九谷議員の部屋に呼ばれます。明日には逮捕されるという九谷議員は、「もう、今日は、このひと以外は誰とも話したくはない」と、「わし」をの越して秘書を帰らせました。

 「わし」は、九谷議員に訪問の理由を語ります。現在、いつも「わし」をかばい続けてきた「わし」の母親は年老いて、酸素吸入器をつけて、はあはあ肩で息をしています。母親は「いっしょに連れて行こうか、いっしょに神さまのところに行こうか」と泣くばかりでしたが、「わし」のことを心配し、九谷議員に相談するようにと言っていました。

 「わし」はかつて、いつもあいさつをしてくれる久美ちゃんが好きで、結婚しようと迫りながら久美ちゃんを追いかけ、久美ちゃんはコンビニへ逃げ込み、「わし」は警察に捕まりました。今度は、九谷議員の取材に来ていた女性記者の城谷さんから、ホテルのロビーで声をかけられ、城谷さんのことを好きなります。

 九谷議員はかつて障害を持つ子を産み、離婚されて途方にくれていた女性から職を紹介してくれないかと頼まれ、当時は慣例となっていたことですが、その女性を秘書として雇い、3か月間、金が支払われるようにしました。そして、九谷議員は、その女性に恋をして、関係を持っていました。「わし」は、「お母ちゃんは言うたとです。九ちゃんなら、わしをひとりぼっちにせんように考えてくれるって……。城谷さんを嫁にして、お母ちゃんに会わせてやれば、お母ちゃん死んでも、死にきれるとです」と、城谷さんと結婚させてくれと、九谷議員につめよります。しかし、九谷議員から諭され、最後には、部屋から追い出されてしまいます。

 夜、長崎の街で、「わし」は、「水ばください。あーあ、からだが燃える。水を、誰か……、水をくださいー」といういくつもの声を聞きます。「わし」は、その「石の声」が怖くなり、河原を走り抜けます。「わし」は「神さま、ほんとうは、どこかにおられるとでしょう? ひとりぼっちにはせんでください。わしは石になっても愛する家族がほしかとです。嫁がほしい。子どもがほしかとです」「神さま……、お願いです。せっくすばさせてください……」と祈りました。

「虫」

 「虫」は幼い頃に被爆し、家族を全員失い、叔母と祖父母に助け出された女性の一人で語られる、情念と、怨念の物語でした。60年以上たった今でも、原爆が人生のすべてである様子がつづられています。

 主人公の「わたし」は、被爆した後、祖父母の家で育てられ、19歳の時、教会の印刷物を扱う印刷所への就職をあっせんされました。そこで働いていた、唯一被爆者ではない佐々木さんに心引かれます。が、佐々木さんは、2年遅れで入社してきた、若い屈託のない玲子と恋中になり、結婚します。

 佐々木さんと玲子は、被爆した「わたし」を食事に誘うなどして家族のように接します。「わたし」は、五島に戻っていた佐々木さんが一人で浦上に出て来たときに、2人で中華街で食事をして、一度だけのあやまちを犯します。

 佐々木さんは還暦を過ぎた後に、急死しました。玲子は、今でも、「わたし」に便りを送ってきます。夫である佐々木さんとの思い出を胸に、泰然自若の生活を送る屈託のなさに満ちるハガキを見て、「わたし」は、あやまちを、玲子に「告白」しようとします。

「蜜」

 15歳年上で医師の夫と結婚した「わたし」は、原爆で何もかもを失ったという義理の祖父母にも可愛がられて、専業主婦として不自由ない暮らしをしています。東京でOLをしていたときに、実家の母親からお見合いを進められたのですが、当時、妻子持ちの上司の「愛人」をしていました。上司の妻にバレそうになり、「わたし」が上司から離れようとしたとたん、上司からやさしくされ、最後はストーカーのようにつきまとわれたからでした。

 家筋がよく、祖父の日課は食後にコーヒーを飲みながらマーラーの交響曲を聴くというような夫の家とは違い、庶民の出自の「わたし」ですが、自転車のブレーキが金切り声をあげるようになり、近くのモーターサイクル店に自転車を持ち込みます。そこで働く、つなぎを着た高校を出たばかりのたくましい少年を、わざとしゃがんで股を開くなどして、誘惑します。

 「わたし」は33歳ですが、ある日、車で、モーターサイクル店の前を通りかかった時、クラクションを鳴らし合図を送ろうかと思います。しかし、男は「わたし」の方へ目をやったあと、傍らにいた、ジーンズにお腹が見えるタンクトップを着た若い娘の腰に腕を回してキスをしました。「わたし」は、男が、「わたし」に見せつけるためにそうしたのではないかと疑問し、哀しくて泣き、娘に男を渡したくないと、嫉妬に燃えます。

 8月9日、祖父母は慰霊祭に出かけました。男は約束通り、修理を終えた自転車を「わたし」の家に運んできました。11時2分にサイレンが鳴り響きます。ノースリーブのミニのワンピースを着ていた「わたし」は、男の前にしゃがみ、股を広げ、なにも履いていない下半身を男の前にさらけ出します。男の肩越しに祭壇のマリアが見えましたが、「わたし」は、男の汚れた指でまさぐられても、何も感じなくなっていました。

「貝」

 30代後半の「ぼく」は、4歳の娘・沙耶香を原因不明の高熱で失くしてから、ほかの人には誰にも見えないという貝殻を拾い集めるようになります。医者にもかかり、夜中に叫んだり、12階のマンションで猪のように兄に突進してから飛び降りようとしたり、海が押し寄せてくると言い始めたりするうちに、5歳年上の感情の起伏が激しい妻は諫早の実家へ戻ってしまいました。

 「ぼく」は、「ぼく」を心配した兄から言われた通り、規則正しい生活を心掛けようとします。月曜日の朝、ごみを出しに行くと、いつもごみの整理をしている老人がいました。「ぼく」はその老人も自分を監視する一人かと身構えますが、言葉を交わすうちに、娘さんはどうしたと聞かれます。「ぼく」は原因不明の高熱で沙耶香が死んだことを告げます。「ぼく」は知りませんでしたが、沙耶香はごみの整理の手伝いをしていました。

 老人はクリスチャンでしたが、仏壇を拝ませてくれないかと言い、「ぼく」は老人を12階の2LDKの家に招きます。老人は、沙耶香と仲が良かった老人の妹の話を「ぼく」にしました。老人の妹は、原爆の時に7歳で、妹と弟の助けてくれという声が崩壊した家の中から聞こえたといいますが、妹と弟を見捨てる決断をして、混乱する母親の手を引いて逃げて来たのではないかと老人は話します。老人の妹も、沙耶香も、8月10日に死んでいました。

 老人は、老人の妹が海が押し寄せて貝殻を置いていくという話をしていたことを「ぼく」に告げます。老人には老人の妹が広げる手のひらの中には何も見えなかったといいますが、原爆のあとずっと口を閉ざしていた妹が、浦上に海が押し寄せてくればいいと言った言葉を覚えていました。原爆の時、浦上は火の海だったといいます。

 老人の話を聞いた「ぼく」は、高熱にうなされる沙耶香が、「パパ、うみにいこう。うみにいくね」「うみがくるもんねえ」と口にしていたことを思い起こします。遠いキリシタン弾圧の時代から伝わる昔話にも、津波が押し寄せてくる話がありますが、「ぼく」は、海が押し寄せる記憶は、老人や沙耶香に共有されているのだと確信しました。「ぼく」は、ポケットの中に隠し持っていた貝殻を取り出し、老人の前で手のひらを広げて見せます。老人は、にじんだ目で「ぼく」を見つめ、哀れみを隠すことなく、「そうなったら、もう、どげんもなりません」「あれはふたりがこの世から踏み出していく兆しやったとかかもしれんですね。妹はとうとうこの世のほころびを探してしもうたとかもしれません」と告げます。

 「ぼく」の空っぽの手のひらの先に広大な廃墟がひろがっていました。

「鳥」

 還暦を過ぎて妻と2人で暮らす男「私」の物語です。娘は結婚し、家を出た息子は沖縄でインストラクターのアルバイトをして、家に寄りつきません。

 「私」の戸籍の両親の欄は空欄でした。被爆した時、生まれたばかりの「私」は養母に拾われ、育てられます。しばらくして、不思議と養母に乳が出るようになりますが、満州から帰ってきた養父に、乳が出ることを怪しまれ、誰の子だと養母は攻められます。実母である姉は嫌味ばかりを言い、両親が死んだあと、姉の夫が、家と土地を売れと矢のように電話をかけてきます。「私」は、退職した後、トイレで急に気を失うことが続き、「人生の始まりにおいて私に問いかけられた謎、戸籍の未記入の真っ白な部分をそのままにして、これまで生きてきたことがなんとはなしに気になりはじめて、やがては痛切な後悔に似た感情が押し寄せてきたのです」。印刷所で働いていたときに知り合った人から、被爆体験を書いてみないかと言われていたことを思い出し、万年筆を執ります。「私」は、養母が「私」の出生を調べるも、浦上の産婆の記録と記憶が皆無だったこと、養母から家に白鷺が飛んできて、「私」をもの憂げに見つめ、「私」も白鷺に気が付くとぴたりと泣きやみ、養母は白鷺を「私」の母親の化身だと信じたことなどを書き綴ります。

 ある日、妻が2階に誰かいると不振がります。翌朝、家の雨どいの下に、釣り針と釣り糸がからみついて逆さまにぶら下がっていた白鷺を見つけます。力尽きる寸前で、「私」と妻は白鷺を助けましたが、白鷺は死にました。

 「私」は、「私」と妻がその家と土地の最後の人間になると感じ、娘も息子は、神や、自分が葬り去ってしまった神について考えなくなっているが、それは、この匡では60年前から始まったことではないかと思います。被爆時に0歳だった「私」の被爆体験はすべて、戸籍の真っ白なままの両親の欄に「埋められている」

爆心の読書感想文

 「爆心」は、どの短編も、読み終えてから本当の物語が始まるような気がしました。

 例えば、「貝」の男は、論理的な思考に固執したり、精神分析の話を持ち出したりしますが、老人の妹と死んだ娘の沙耶香が、海が押し寄せてくるという同じ感覚を持っていたことを知り、記憶が共有されているじゃないかと喜びます。ただ、それは、原爆で浦上が火の海になったという事実と、幼かった老人の妹が浦上に海が押し寄せてくればいいとつぶやいたことなどの事実があるので、ユングやフロイトなどの文献でそのまま説明のできる現象ではないように感じました。原爆は人間が行ったことですが、それまでの人類の行いの許容範囲とでもいうものを越えたことをしたのだと改めて感じました。

 また、「爆心」では、長崎という土地の記憶とでもいうものを感じました。同じく「貝」に、長崎に暮らしているとたまに被爆や被爆者の話を耳にすることがある、とありますが、それは、遠いキリシタン弾圧の時代の物語と同じにように響くという記載があります。たしかに、歴史は風化しますが、「爆心」には、多くの被爆2世、被爆3世が登場し、沙耶香のように、原因不明の熱病で急死する人もいます。

 「爆心」の短編は、どれも読み終えて、なんの救いも見いだせないと感じましたが、それが、今なお原爆が落ち続けている長崎という土地の現実なのかもしれないと思いました。


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