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「余命1ヶ月の花嫁」のあらすじと読書感想文

2012年8月12日 竹内みちまろ

 『余命1ヶ月の花嫁』(TBSテレビ報道局)という本をご紹介します。テレビドキュメンタリー番組で放送され、映画化もされましたので、ご存じの方も多いと思います。あらすじと読書感想文をまとめておきたいと思います。

 イベントコンパニオンの仕事をしていた長島千恵さんは、2005年10月の終わりに23歳の誕生日を迎えて間もなく、左の胸に違和感を感じ、最初は小さなしこりだったものが、すぐに大きくなりました。父親の長島貞士さんに相談し、病院へ行くと、「がんです。すぐ手術したほうがいいすね」と告げられました。千恵さんの母親は、千恵さんが小学4年生のときに、卵巣がんを告げられ、中学3年生のときに、亡くなっていました。

 がんの宣告を受けてまもなくの2005年12月、千恵さんは展示会「iエキスポ」に出展したIT企業のブースにコンパニオンの仕事で参加しました。展示会が終わったあとの打ち上げで、IT企業社員の赤須太郎さんと知り合い、デートをしました。赤須さんが交際を申し込み、千恵さんは「乳がんなの」と打ち明けましたが、太郎さんの気持ちは変わらず、交際が始まりました。

 2006年2月、千恵さんは抗がん剤による治療を開始。7月には、リンパ節に転移している可能性を医師から指摘され、8月に左乳房を全摘出しました。2006年10月26日の24歳の誕生日には、放射線治療もほぼ終え、乳がんを克服したと思っていたそうです。また、このころ、千恵さんはシステムエンジニアになるという目標をたて、12月と1月の2ヶ月間、早朝から夜まで行われる研修。2007年2月1日には、システムエンジニアとして企業に採用されました。千恵さんは、「人間やれば何でもできるんだよ」と語ったそうです。

 しかし、3月、少し前から気になっていたせきがとまらず、国立がんセンター中央病院に入院。乳がんが胸膜に転移した「可能性」を指摘されます。また、千恵さんの承諾を受けて医師と面談した父親の貞士さんと叔母の加代子さん(母親の妹)は、「月単位で考えてください」と宣告されました。あと数週間の命というわけではありませんが、あと数年の命というほど長くはないということ。また、千恵さんがやりたいと思うことは何でもやらせてください、などのことも言われました。

 3月30日には、貞士さんや親族らが、「予後は週単位」と告知されます。あと数日の命というわけではありませんが、数ヶ月というほど長くはないということ。親族が「予後週単位」とはどのくらいのことをいうのかを確認すると、医師からは、「1ヶ月です。もしかしたらもう少し早くなるかもしれません」。3月30日以降、千恵さん本人が医師に説明を求めなかったので、医師から千恵さんへの「先の見通し」を告げられることはなかったそうです。

 千恵さんの病室には、太郎さん、貞士さん、加代子さんはじめ、友人たちが頻繁に訪れていました。3月中旬、お見舞いに来ていた友人の湯野川桃子さんと話をしていた千恵さんは、「どうしてこんなにいろんなことが私には起きるんだろう。私、闘病記の本とか出せるよね。取材とか来てくれないかな。ネタならいっぱいあるよ。ははは」と笑いながら話したそうです。千恵さんの思いを実現したいと思った桃子さんは、マスコミにつてがありそうな友人に、「取材してくれそうな人を紹介してほしい」と依頼。友人の友人であるTBSテレビの報道記者へ連絡が行きました。4月3日、桃子さんへTBSの樫元照幸記者から連絡が入り、4日、樫元記者と、福田功カメラマンが、千恵さんの病室を訪れました。

 そして、4月5日、千恵さんにとってもサプライズの結婚式が家族や友人達の手で行われました。ほったんは、3月下旬に、病室で、千恵さんが桃子さんへ、「私、ウェディングドレス着てみたいな……」と口にしたことでした。千恵さんは自分一人でウェディングドレスを着れればよいという話をしましたが、太郎さんもタキシードを着ることになりました。桃子さんが結婚式場を探し、当初、4月28日なら教会で撮影できる場所を見つけましたが、体調が安定せず、その日に自分がどうなっているのかわからないと思った千恵さんは、「私、やっぱりあきらめる」と桃子さんへ連絡しました。しかし、桃子さんはあきらめず、ついに、3日後の4月5日、オープンして間もない人気の結婚式場・青山のセントグレース大聖堂から、「わかりました。できる限りのことをさせていただきます」という回答を得ました。千恵さんに確認し、4月3日に正式に予約を入れました。

 2007年5月6日、千恵さんは、24年と6ヶ月の生涯を閉じました。「余命1ヶ月」の宣告から37日がたっていたそうです。また、千恵さんが亡くなった3分後、樫元記者は、桃子さんから電話で連絡を受けました。翌日7日、三浦海岸にある千恵さんの実家で、千恵さんと対面した樫元記者は、千恵さんに土下座して謝罪をしたそうです。というのも、千恵さんの闘病記はTBSの報道番組「イブニング・ファイブ」の特集として、当初は、5月2日に放送される予定だったものが、1週間延期され、5月8日に放送されることになっていたからでした。千恵さんは放送を楽しみにしていたといいます。

 乳がんの治療は、手術がゴールではなく、場合によっては、むしろ手術がスタートとのこと。放射線治療や抗がん剤治療らを行いながら、わずかに残っているかもしれないがん細胞が、がんの再発や転移を発生させないように、治療や検診を続け、5年、あるいは10年たって、ようやく、「乳がんが治った」という状態になるそうです。

 『余命1ヶ月の花嫁』は、千恵さんの家族や友人、そして太郎さんの千恵さんを思う気持ちが伝わってきました。結婚式にしても、急なことでバタバタしたと思いますが、式場から対応を引き出したことも含めて、それを実現させたのは、千恵さんにウェディングドレスを着てもらいたい、という純粋な願いだったろうと思います。人を思う気持ち、そして、人と人のつながりは、不可能を可能にすることもあるのだなと思いました。

 なお、テレビで放映された特集は大反響を呼び、本書『余命1ヶ月の花嫁』もベストセラーになりました。若い世代の女性に気軽に乳がんの検診を受けてもらうための活動『余命1ヶ月の花嫁・乳がん検診キャラバン』も実現したそうです。ほとんどの自治体では乳がん検診への補助が40歳以上の女性に限定されている中、本書の収益の一部が検診費に充てられ、20代、30代の女性が軽い負担で乳がん検診を受診できる、千恵さんの大きな写真が貼られた検診車「千恵さん号」が全国の都市を周り、なかには、「千恵さん号」での検診がきっかけで、乳がんが早期に見つかった女性もいるとのこと。そういった成果を生み出したのも、千恵さんをはじめ、太郎さんや桃子さん、ご家族や友人たちの、願いや思いがあったからなのだなと思いました。


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