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手袋を買いに/新美南吉のあらすじと読書感想文

2012年3月10日 竹内みちまろ

手袋を買いに/新美南吉のあらすじ

 きつねの親子の住む森に冬がやってきました。初めて雪を見た子ぎつねは、日の光が反射して目に何かが刺さったと思い、母親きつねのもとへころげ込みます。何も刺さっていなかった子ぎつねは外に遊びに行き、木の枝から落ちてきた雪だまりをかぶってしまいました。

 子ぎつねは洞穴へ帰り、「お手々がちんちんする」と母ぎつねに訴えます。母ぎつねは、夜になったら人間の町に行って、手袋を買ってあげようと思いました。

 町の灯が見える場所までくると、母ぎつねは、かつて人間の町でひどい目に遭ったことを思い出し、子ぎつねを一人で町へ行かせることにしました。子ぎつねの片手を、人間の手に変えて、白銅貨を2枚持たせます。戸をたたき、こんばんはと言えば、戸が少し開くので、人間の手を出して、「この手にちょうどいい手袋頂戴」と言うに聞かせ、きつねのままの手を「出しちゃ駄目よ」と念を押しました。

 町に初めて来た子ぎつねが、戸をたたくと、母ぎつねから聞かされていたとおり、戸が少し開きました。しかし、家の中からもれてくる光の帯がまぶしくて、きつねのほうの手を出してしまい、「このお手々にちょうどいい手袋下さい」と言いました。

 「先にお金を下さい」との声がして、子ぎつねは、白銅貨を渡しました。店の人間は、白銅貨を鳴らすとチンチンと良い音がしたので木の葉ではなく本物のお金だと思い、手袋を売ってくれました。

 子ぎつねは、母ぎつねから人間は恐ろしいと聞かされていましたが、人間は「恐ろしくないや」と思いました。でも、人間はどのようなものか見たいと思いました。ある家の窓の下を通りかかったときに、人間の母親が子どもを寝かしつけるやさしい声を聞きました。子ぎつねは、母ぎつねが恋しくなって、跳んで帰りました。

 子ぎつねは、まちがえてきつねの手を出してしまったことを母ぎつねに話してきかせました。母ぎつねは、「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら」とつぶやきました。

手袋を買いに/新美南吉の読書感想文

 「手袋を買いに」は読み終えて、心がすがすがしくなりました。同時に、深い味わいを残す作品でした。

 子ぎつねが目に何かが刺さったと勘違いする光に照らされた銀世界や、こんばんはと告げて少しだけ開いたドアから光がもれてできる帯などが幻想的です。

 また、目に何かが刺さったと思って母親ぎつねのところに跳んで帰る子ぎつねや、手がチンチンすると訴える子ぎつねのために、手袋を買ってあげようと思う母ぎつねの姿に、素朴ですが、愛情に満ちて、暮らしている親子の姿が伝わってきます。人間からひどい目に遭わされていた母親ぎつねが足がすくんでどうしても町へ行けなくて、それでも、子ぎつねがかわいそうなので、一人で買い物に行かせるところに、何ともいえない感慨を感じます。子どもを危険にさらす機会自体をつくらないというリスク回避的な発想だと、手袋をあきらめることになるのですが、母親ぎつねは、手がチンチンするという子ぎつねにどうしても手袋を買ってあげたかったのだと思います。頭ではなくて、心で生きて、自己満足ではなくて目の前の子どもを見つめている母親の姿を感じました。

 そして、「手袋を買いに」で一番に心に染みたのは、ラストシーンの「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら」という母親ぎつねのつぶやきでした。このせりふを入れずに、めでたし、めでたし、で終わらせることも可能だと思いますが、作者はそうはせずに、人間や社会、そして、命というものを深く見つめ、そして、問いかける「まなざし」を描きたかったのではないかと思います。この場面があるために、「手袋を買いに」は、ハッピーエンドのおとぎ話ではなく、文学になっているのだと思いました。


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