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流れる/幸田文のあらすじと読書感想文

2006年11月3日 竹内みちまろ

 幸田文の「流れる」はヒロインが芸者置屋に住み込みの女中として訪れる場面からはじまります。置屋を去っていく場面で終わります。ヒロインは40歳程度の女性ですが、ヒロインの物語は「流れる」ではほとんど語られません。はじめのほうで、主人の留守にヒロインが男から金銭を預かる場面がありました。ヒロインは男に請われて受け取りを書きます。

「いえ、驚いてるんですよ。みごとですなあ、達筆っていうんでしょうな。よほど書きなれた字ですものね。あなたここに来るまえ何してなさった。……や、これは失礼、いや失礼しました。人間どこにいても過去ってものがついて廻りますからな。隠せないものですよほんとに」

 ヒロインは、ささいなことに過去が表れてしまうことを、「くろうと」と呼ばれるこの世界に住む人たちがどんな小さなことでも見逃さないことを、そして、この世界の住人は「失礼」、「失礼」とは言いながらも黙って見過ごすような人たちではないことを思い知らされました。芸者置屋の主人は、指折りに数えられる超一流の芸者でした。今でも請われて座敷に出ることがあるようです。ヒロインは女中として住み込むことになりましたが、主人は空の仏壇に気が付いてから仏壇に朝一番でご飯を備えるのはあなたの仕事よと言うだけでした。ヒロインは主人の留守に看板借りの芸者衆に新しいお茶を入れ替えていいのだろうかといっしゅんとまどいます。顔を読むのが商売なだけに「遠慮することないのよ。ちゃんときちんきちんと看板料払ってんですもの、お茶なんかあたりまえよ。それに梨花さんが自分だけ黙ってりゃいいんだわ。あたしたちそんな余計なこと云う必要ないもの」という言葉が次の瞬間には返ってきます。ヒロインは、置屋に集る女たちが外向きの顔と内向きの顔を使い分けていることを知ります。面と向かっては笑顔であいさつを交わしながらも、客が帰ったあとには下品でどぎつい噂話に花を咲かせます。どこそこの女中は看板借りにはお茶を出すとか出さないとか、そんな話ばかりを耳にします。ヒロインは「秘密や内証(ないしょ)が好きな人たちなのではなくて、秘密っぽさ内証っぽさが好きな土地ぶりなのだろう」とさめた目で観察します。ヒロインは、この世界の住人たちとは一線を引きます。巻き込まれそうになったら「はあ、なにぶん女中ですので」とごかまして、どの側にも付かず離れずで処世をします。だらしのない人たちにはそんな姿がかえってたくましく見えるようでした。犬猫の糞尿の始末をするヒロインを重宝がるいっぽうで、ヒロインにたくましさを感じて頼りにするようになります。「流れる」は、そんなヒロインの視点をとおして斜陽する花柳界を裏側から垣間見る物語でした。

 置屋には主人の姉の娘がいました。主人から見れば姪になります。板前と連れ添ったはいいが愛想をつかされて捨てられました。姪は何をしているのかわかりませんが、なんとなく置屋にいるようです。芸者衆から見れば、血のつながりがあるだけに主人側の人間になります。ヒロインは、芸者衆が面と向かっては名前を呼ばないで済ましながらも影では「米子」と言い捨てていることに気が付きます。米子には不二子という小学校にあがる前くらいの娘がいました。娘は母親にまとわりつきますが、米子は火鉢を抱いて婦人雑誌を読みふけっています。娘がついに泣きだしました。ヒロインは、熱が出て気分がさわぐのがわからないのかとのどまで出かかりますが、母親が自分の娘は病気になどかかるはずがないと疑わないので仕方がないと黙っています。米子は婦人雑誌の邪魔をされまいと頭ごなしに娘をしかりつけます。それでも娘はまとわりつきます。米子は短期だからすぐに手が出ます。娘が大泣きします。母親をあきらめた娘は、頭が痛いよう、おばちゃん治してよう、とヒロインに抱きつきます。ヒロインは、この歳でこの媚態をしてのけるのかと不気味に思います。手首を取って脈をはかるといやおうなしに熱の高さが伝わってきます。すると、注射がいやな娘は「病気じゃないってば! 頭痛いだけだってば! ばか女中!」と言い捨てて逃げていってしまいました。

 置屋には勝代という主人の一人娘もいました。主人は、技と器量で数々の伝説を生み出した芸者でした。その娘は、芸者としてお披露目をしたこともあったようですが、今では、座敷には出なくなっていました。お芝居を見に行ったり、洋服をあつらえたりしているばかりで、事実上は、なにもしていない人のようでした。ただ、通いの芸者衆には母親をたてにとって威圧的な主人風を吹かせていました。物語の終盤でヒロインが勝代の弱気を垣間見る場面がありました。置屋に独身の男が訪れた場面でした。ヒロインは、ちょっと目を放したすきに、若い2人が急速に親しさを増していることに気が付きます。男は「結婚なすったらいいのに」と言います。勝代は上気しながら、お嫁に行くこと、養子をもらうことと聞きます。男は、どっちでも自由じゃないですかと言います。勝代は、自由なんて価値はないわと生来のひねくれで突っ張っります。貰い手はないし、財産はないし、芸者家だし、そこへきて私としたら何もできないし、と勝代はいつの間にか興奮してきます。男は「そりゃ少し考えが狭過ぎやしませんか」と処世術に長けたあいづちをいれます。「芸者家に生まれて、芸者でもなし遊芸師でもないものに、結婚なんてことは夢の夢だとおもってるの」などと勝代の心が自分の言葉を通してだんだんとあばかれていきます。勝代は、まだ19だけど結婚はあきらめていると言いはじめました。「これでもこの土地では指に折られた芸者の子なんだから、変な人となら一人のほうがましだ」と思いのたけをうち開け、養女をもらおうと思っていることを告げます。

「思いっきりいい器量でたちのいい子がほしい、本心を云えば私の身代りみたいなもの。……だって不器量は悔しいんだもの、……いえ不器量でこの社会へ生まれたのが残念なのよ、……それじゃまだ違う、不器量であのおかあちゃんの娘に生まれたのがやりきれないのよ」

 勝代のほんとうの心がついに言葉にでました。ヒロインは、そんな会話を観察しています。男は用心深い切れ者です。たばこの灰を落としながら何も言いません。

(勝代がこの若さで養女を育てようと思いつくあわれさを、男ならばなんとか感じないのだろうか。とは云うものの、美しくない顔というものはなるほど掣肘(せいちゅう)を受けているものだと見る。勝代がこんなに本心をあけすけにして、いっそ潔く燃えて話しているのに、熱しすぎた頬(ほほ)は満潮の河のように膨らみすぎて、藁しべを連想させる細い眼はぴかぴかと濡れている。これは美しくない。本来なら魅力があるとされている受唇も、話すたびに不ぞろいな歯並が白く見えて、なにかがくがくする思いがする。これも美しくない。眼や歯は付帯条件でしかないが、美しくないものは快くはない。そう正確に見てとって梨花は不覚にも涙ぐんでしまった。勝代をかわいそうと云うのではない、誰にも眼鼻だちの美しさはほしいものだとおもって、つと涙がさしたのである)

 勝代の醜さに思わず涙したヒロインの心にも歳月を過ごすうちに変化が訪れます。「流れる」の終盤でそんなヒロインの心が語られました。

(このごろ梨花はしみじみ、この親子を不幸な人たちだとおもっている。美貌で人を惹きつけるはでな才能と、芸と収入のある母が、とりわけ不器量で誰にも好かれない性格で、無趣味無収入の年頃の娘を持てばどんなことになるか)

(親の思いやりとはけ口のない娘の若さとは、親子を越えて歪みつくしている。愚かしくきたないと云うより、あまり弱いがゆえに情けないのだと云いたい。道外れの愛情で嫉妬のなかに挟まれることはいやだと思って、梨花はきちんとした線でたてきっている)

 「流れる」では、ヒロインの視線を通して、芸者置屋での出来事が語られていきます。警察沙汰になった看板借りの芸者とのもめごとは男の仲立ちでかたが付きました。しかし、税務署沙汰になっている問題のほうはどうにもならないようでした。すべてがどんぶり勘定で、みんながどこかで損をしながらみんながどこかで得をするような世界にも、働いた分だけきっちり会計をつけたいと思う人がどんどん入ってきていました。社会も、営業をしながら税を一銭も収めない世界を認めなくなっています。芸者置屋はどうにもならなくなりました。「流れる」のクライマックスは、土地をあげて催される演芸会でした。置屋の主人も口では娘に気兼ねして出ないようなことを言いますが、清元の稽古に毎日熱を入れます。ヒロインは、そんな主人の稽古を台所で聞いています。主人はよくないようでした。ヒロインは、「味噌汁の大根を刻みながら、聴くと云うよりむしろ堪えていた」と語られています。それが、あるときに、主人の声に手ごたえを感じました。今日も嫌な感じがするだろうと、なかば、へたを期待しながら聞いていた清元が、何事もなく流れてきました。ヒロインは、「これは湧く音楽ではない、侵み入る音である。大木の強さではなく、藤蔓(つる)の力を持つ声なのだ」と感じます。ヒロインは、主人の技が吹っ切れたことを確信しました。稽古を終えた主人が手を洗いにきました。ヒロインは、ふだんの用心を忘れて思わず「実はさきほどからわたくしも、いいお気もちのお裾分けをいただいてました。ほんとうにけさは結構でよろしゅうございました。きのうまではぐっと違っておりました」と言ってしまいました。主人の顔が驚きから警戒に変わります。主人は「そりゃ、学校のオルガンでうたう唱歌みたいな清元は、いきなり三味線の絃(いと)へ乗ったとでもいうのなら、しろうとのあんたにわかるのも合点が行くけど、あたしの唄のできたできないは、くろうとにもわからないほんのかすかなものだのに、どうしてあんたにわかるのかしら。あんた一体どういう素性なの?」とヒロインを問い詰めます。ヒロインは、潮時というものを感じました。ヒロインは置屋を去り、「流れる」は終わります。

 「流れる」では、結局、最後までヒロインの物語は語られませんでした。亡くした子どもだとか、後家だとか、ヒロインの過去を垣間見せる場面はありましたが、「流れる」を読んだ読者は、勝代が「あのおかあちゃんの娘に生まれたのがやりきれないのよ」と言ったように、ヒロインの過去にはもっと核心に迫る何かがあることを感じます。それが読者には提示されないまま「流れる」は終わりました。「流れる」は、自分ではどうすることもできない時間の物語かもしれないと思いました。人間は、ときに、現実世界の自分でもなく、過去を引きずる自分でもなく、そんなことの一切から離れたどこか別の場所で時の流れに身をまかせなければならない時間があるような気がします。言うなれば、神隠しにあった村人が、この世でもなく、あの世でもない、周縁の異界を旅してくる時間のようなものかもしれません。村人は、神隠しにあった間のことを何も覚えてないのかもしれません。しかし、それでも、異界を旅してきた村人の心からは憑きものが落ちているのかもしれません。そして、村人は、この世に戻って再び現実世界の生活をはじめます。「流れる」は、つむじ風にさらわれて現実世界から異郷に連れて行かれたヒロインが、ふたたびつむじ風にさらわれて現実世界に戻されるまでの時間の物語だと思いました。


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