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itと呼ばれた子/ディブ・ペルザーのあらすじと読書感想文

2013年1月5日 竹内みちまろ

 『itと呼ばれた子(幼年期)』(ディブ・ペルザー/田栗美奈子訳)を読みました。母親から児童虐待を受けた「ぼく」の回想記です。あらすじと感想をメモしておきたいと思います。

itと呼ばれた子のあらすじ

 サンフランシスコの消防士・スティーヴン=ジョゼフと、妻のキャサリン=ルーヴァの間の子である「ぼく」は、兄と弟と共に、幸せに暮らしていました。「ぼく」は、小児のころ、特別、声が大きく、子ども部屋のすみに押し込まれるなどの折檻を受け、母親を恐れていました。母親は、清潔な身なりをして、家中を塵一つないほどに掃除しなければ気が済まないというような性質を持っていましたが、父親が仕事に出たあと、一日中、バスローブのままテレビを見て過ごし、いつも酔っているようになりました。母親は、近所や親戚とも衝突するようになり、母親へいつも新しい服を買い与えたり、美容院へ連れて行くこうしたりする、気の強い母親の母親(「ぼく」の祖母)にはとりわけ反抗的になり、泣きわめいて、母親の母親を追い出します。

 母親は、「ぼく」の顔をわしづかみにし、「ぼく」の顔を鏡に押し付け、「ぼく」に何度も、「ぼくは悪い子です!」と言わせます。「ぼく」は酔った母親から暴行をうけ、左腕を折ります。夜中、母親は、「おまえは夜のあいだにベッドから落ちたのよ」と「ぼく」に言い聞かせ、「ぼく」を病院へ連れて行きます。「ぼく」は、「きっとお母さんは病気なんだ」と思いますが、本当のことをしゃべると、次の「事故」はもっとひどいものになるとわかっていたので、虐待をしゃべりませんでした。

 母親の「ぼく」に対する虐待は、ガスコンロで「ぼく」の腕を焼く、スプーンですくったアンモニアを無理矢理飲ませて舌とのどを焼く、(酔って)ナイフで刺す、食べ物を与えない、逆に、犬も嫌がるようなものを無理矢理食べさせるなど、エスカレートしていきます。当初は、「ぼく」を守るために口論していた父親も、母親から「『あの子』をしつけるのはあたしの役目だ」などと反撃されるうちに、虐待を受ける「ぼく」が足元にすがっても見ない振りをし、家に寄りつかないようになります。父親は、母親と離婚して、家を出て行きました。

 「ぼく」は、飢えに耐えかねて、学校でクラスメイトの弁当を盗んだり、何か月も同じ服を着させられたりするうちに、学校で、「臭い」とはやしたてられ、好き勝手にボコボコにいじめられるようになります。当初は、「ぼく」への虐待に顔をしかめていた兄と弟も、虐待される「ぼく」をはやしたて、代わる代わるに「ぼく」を殴っては楽しむようになります。「ぼく」は、近所の人や親戚など、虐待の事実を知っている人たち全員を軽蔑し、「ぼく」の心には憎しみだけが残ります。そして、その憎しみは、「何かも自分のせいなのだ」と自分自身へ向けられるようになります。「あの女に立ち向かう勇気もないのだから、どんな目にあわされても自業自得なんだ」とあきらめてしまい、「死にたい」と思うようになりました。

 「ぼく」は、母親から、「これだけはしっかり頭にたたきこんでおきなさい」「おまえなんて“IT(それ)”よ! いないのといっしょよ!」などと言われます。「ぼく」は、「母さんはお酒のせいであんなことを言ってるわけじゃない。本気で言ってるんだ」と思い、いっそ、殺してくれればいいのに、と思います。

 1973年3月、「ぼく」は、学校の協力のもと、警察を介して、サンマテオ市の少年課に保護されました。

itと呼ばれた子の読書感想文

 『itと呼ばれた子』は、読み終えて、「悪意」というものについて、考えさせられました。「ぼく」を虐待した母親に問題があることは明らかです。その問題が何なのか、原因がどこにあるのかは詳しく記されていませんが、同時に、「ぼく」を虐待する母親には、「悪意」というものが感じられませんでした。

 例えば、殺したいという意志があれば「殺人」ですが、殺意のないうえで殺したら「致死」という考え方があります。母親にとって、虐待は目的ではなく(「ぼく」を痛めつけたいという意志があったわけではなく)、虐待は、何か他の目的のための手段であったように思えました。

 いじめを例にとっても、悲しいことですが、世の中には、人を傷つけることをなんとも思わない人間がいることは確かです。一方で、いじめる側は、特定のその人を傷つけたいからいじめるのではなく、その人を傷つけたいという意志があるわけではないけれども、いじめるケースも多いと思います。

 「悪意」って、何だろうと思いました。「殺意」であれば、「殺したいという意志」「殺すという意志」と理解することができます。が、いじめる側に「いじめたいという意志」がなくても、人を死に追いやるようないじめいじめは発生します。虐待も、「虐待したいという意志」がなくても、『itと呼ばれた子』の母親のように、子供の心を殺すような虐待が発生することもあります。そういった、いじめや虐待には、「悪意」は存在しないということになるのだろうか、と思いました。いや、「悪意」は存在すると思います。そして、その「悪意」こそが、社会が本気になって向き合い、解決していかなければならない問題だと思いました。


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