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愛を乞うひと/下田治美のあらすじと読書感想文

2004年8月20日 竹内みちまろ

 「愛を乞うひと」は、孤児院で育てられたヒロインの一人称で語られる物語です。前半はヒロインの独白が、後半はヒロインの旅がメインになります。ヒロインは、父親が結核で死んだあとに孤児院で育てられました。しかし、10歳の時に、突然現れた母親に引き取られます。「愛を乞うひと」は、娘が高校生となったヒロインが、かねてから思い続けていた父親の遺骨探しをはじめる場面からはじまります。戸籍や出生届けなどを手がかりに、区役所や福祉施設を訪ね歩きます。遺骨探しには娘も加わりました。そこで発覚していく事実に疑問をもった娘が、ヒロインを問いただします。そして、ヒロインの回想の物語が語られます。せつない物語でした。

 ヒロインを引き取った母親は、(実の子である)ヒロインに、虐待の限りを尽くします。全裸にして柱に縛り付けたヒロインを、竹のものさしが割れてしまうまで叩き続けたり、狂気の力で持ち上げたかと思うと、次の瞬間には床に力いっぱい叩きつけたりします。過去を語るヒロインの口調は冷静なのですが、語られる内容は地獄絵図。「いい機会だから、おしえようね」と説明する8年間の虐待の後遺症は、平手打ちの集中した方の耳が聴力を失っていたり、股関節と膝の骨が変形していたり、足の肉がえぐられていたり、唇に裂傷があったり...。それでも、医者にかかったことは一度もないことが語られます。

 ヒロインの父親は、おだやかでおとなしい人でした。一方、ヒロインの母親の物語はほとんど語られません。ヒロインは、精神に異常をきたしていたのかもしれないと推測します。しかし、実態は「愛を乞うひと」の中では提示されません。ヒロインのわずかな記憶の中に残る母親は、バイタリティーに満ちあふれて、ある種の女だけに許されるような色気をまとっていました。

 父親の遺骨を探す旅は、母親の心を探す旅の裏返しでした。生前の父親を知る人を訪ね歩くうちに、ヒロインの出生の秘密が語られていきます。全てを知ったあとのヒロインの描写が、心に染み入りました。自分をこよなく愛してくれた父親に、ヒロインは語りかけます。

「あなたは、あの母をやはり愛したのですね。台湾にいって、それがわかりました。男として、熱くもえて母を愛しましたか。母を愛して、つかの間でも幸福に酔いましたか」

 そして、

「わたしはやっと、母を捨てられそうになったのですね」

 「愛を乞うひと」では、虐待はテーマではなくて、現象として取り上げられています。「愛を乞うひと」の中では、虐待をした母親の物語は語られません。ヒロインは、最後まで自分が虐待された理由を知ることはありませんでした。おとなしかった父親が、なぜあんな母親と愛し合ったのかという疑問、自分も娘を虐待してしまうのかと怯えた日々、そして、娘が時折見せる激しさの中に、自分を虐待した母親の血をはっきりと感じること、そんな現実を生きるヒロインの姿を提示することが、「愛を乞うひと」のメッセージだと思いました。

 父親と別れたあとのヒロインの母親は、次々と男を代えていきます。母親のヒロインに対する虐待は、自分を捨てた男への復讐だったのかもしれません。子どもへの思いは、愛として現れることもあれば、憎しみとしてしか表現されない場合もあります。表には出にくいけれども、現実社会の中では、たしかに存在する一つの愛の形なのかもしれません。虐待されながらも母親へ愛を乞い続けたヒロイン。「愛を乞うひと」は、そんな少女が大人になって、自分の人生を歩きはじめる物語でした。


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