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雨ニモマケズ/宮沢賢治のあらすじと読書感想文

2012年3月5日 竹内みちまろ

雨ニモマケズ/宮澤賢治のあらすじ

 有名な宮澤賢治の「雨ニモマケズ」です。教科書にも掲載されていた記憶があり、読んだのはもう何回目かわからないのですが、感想を書くのは初めてです。

 「雨ニモマケズ」を読んで、「ワタシハナリタイ」という、悲痛とも解釈できる心の叫びから、社会の中で純粋さを持ち続けることの難しさを思い、それでもなお、純粋さにあこがれずにはおられない心を感じました。

 「雨ニモマケズ」は、欲を捨てて、あらゆることに自分を勘定に入れず、病気の子どもがいれば、行って「看病シテヤリ」、「ホメラレモセズ/クニモセレズ/サウイウモノニ/ワタシハナリタイ」と詠われ、お経が続く詩です。

 「雨ニモマケズ」で詠われているものは、手に入れることができない心、だと思いました。「雨ニモマケズ」は、こんな人間はすばらしい! と賛美する詩ではありません。「ナリタイ」と詠っている以上は、現在の詩人の中には、そういった人間ではない/そういった人間にはなれないという心があるのだと思います。

 「看病シテヤリ」などと書かれていると、表面的には何か恩着せがましいニュアンスを感じてしまうのですが、詠われている心は、そういった俗世間の損得勘定や自意識のようなものから超越された心なのだと思います。むしろ、世間では、「させていただく」などの言葉のほうが裏があったり、うさんくさい心があったりする場合が多いのかもしれません。「雨ニモマケズ」の「シテヤリ」には、そういった欲得や自己愛のようなものが感じられません。

 また、「ホメラレモセズ/クニモセレズ」という個所からは、他人から気にされない存在になることを渇望する心を感じました。同時に、「雨ニモマケズ」は、自分自身がどうありたいのかを詠っているのではなく、社会から自分がどうのよう存在として扱われたいのかを詠っています。つまり、「雨ニモマケズ」は、個人を詠った詩であると共に、社会を詠った詩なのだと思いました。確かに、つつましい暮らしをして、困っている人や嘆いている人を助けたいのであれば、黙ってそうすればよいだけの話ですし、行動してそれで満足するのであれば、詩が生まれることはありません。

 しかし、賢治は「雨ニモマケズ」で、「ホメラレモセズ/クニモセレズ」、そういった存在に成りたいと希求する心を詠みました。現実世界は詩人にとっては住みにくく、しかし、それでもなお、無垢な心に美を感じ、それを求めてしまう詩的な心を感じました。


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