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カラマーゾフの兄弟/ドストエフスキーあらすじと読書感想文

2010年7月29日 竹内みちまろ

 「カラマーゾフの兄弟」(ドストエフスキー/原卓也訳/新潮文庫)を読みました。「罪と罰」よりも読みやすかったです。あらすじをまとめておきたいと思います。

カラマーゾフの兄弟のあらすじ(上巻)

 カラマーゾフという男がいて、なかなか波瀾万丈、世間的にいうと変わり者で、また破滅タイプでもあるようです。しかし、金にはしっかりしているところもあり生活には困りそうにありません。

 そして、カラマーゾフの血を引く兄弟がいます。長兄ドミートリイは感情型の破滅タイプ、次兄イワンは頭が切れる探求者タイプ、三男アリョーシャは敬虔で素直、計算高いところがなく、みんなからかわいがられる少年タイプ、あと一人、カラマーゾフの家でコックをしている使用人扱いのスメルジャコフがいます。彼も、カラマーゾフが別の女性に生ませたようです。

 ヒロインたちとしては、まだ全体像が見えないのですが、長兄と次兄が恋心を寄せるカテリーナは、長兄の婚約者ですが、長兄に『気も狂うほど愛しています。あなたに愛していただけなくとも、かまいません。ただ、わたしくの夫になってくださいませ。でも、お恐れになりませんよう。わたくし決してあなたを束縛いたしませんから、わたくしはあなたの家具に、あなたがお踏みになる絨毯になります……永遠にあなたを愛したいのでございます。あなたご自身からあなたを救ってさしあげたいのです……』という手紙を出したりします。二人のそもそもの出会いも、長兄が、カテリーナの家の金銭的困窮につけ込んで、カテリーナを辱めたことから始まりました。しかし、それから、カテリーナは長兄にくびったけのようです。イワンはカテリーナの前で、カテリーナに、「侮辱がつもればつもるほど、ますますあなたは愛していくんだ。そこがあなたの病的な興奮なんですよ」、「もし兄が立ち直れば、あなたはとたんに兄を捨てて、すっかりきらいになるでしょうよ」、「あなたにとって兄は、ご自分の貞操という献身的行為を絶えず鑑賞し、兄の不実を非難するために、ぜひ必要なんです。すべてはあなたのプライドの高さからきているんですよ」などと告げてカテリーナの前から去っていったりします。

 三男も、「カテリーナのような性格にとっては相手を支配することが必要なのであり、しかも彼女が支配しうるのはドミートリイのような相手だけで、イワンのような人間は決して支配できないだろうということを」「何かの本能によって感じていた」そうです。

 また、上巻を読んだかぎりの感想ですが、カラマーゾフ一家の人間模様のほかに、「神」や「信仰」についてという命題も、「カラマーゾフの兄弟」には流れているような気がしました。

 次兄イワンは、三男アリョーシャに、カテリーナが長兄ドミートリイを愛しているのは「病的な興奮」がそう思わせているだけで実態は長兄のことなど愛していない、しかし、「いちばん肝心な問題は」、「いつも苦しめてきたこの俺だけを愛しているってことに彼女が思いいたるのに、おそらく一五年か二十年はかかるだろう、という点なんだ」と三男に告げます。イワンは、モスクワへ旅立つようです。

 そのイワンが、三男に「俺の内部のこの狂おしい、不謹慎とさえ言えるかもしれぬような人生への渇望を打ち負かすほどの絶望が、はたしてこの世界にあるだろうか」と話し始めます。「俺には友達がいないから」という一匹狼な次兄は、ひとり、探求心を満たすために、ロシアの(とりわけまっさきに犠牲になる子どもたちの)不幸の実態を新聞記事や文献からかき集めているようです。

 次兄が「もし悪魔が存在しないとすれば、つまり、人間が創りだしたのだとしたら、人間は自分の姿かたちに似せて悪魔を創ったんだと思うよ」と切り出し、三男が「それなら、神だって同じことですよ」と相づちを入れ、次兄は「お前は言葉の裏の意味をとるのが、おどろくほど上手だな」と笑います。「《神さま》に守ってくださいと泣いて頼んでいるというのに」一晩じゅう性的趣向を満たすためだけの虐待の鞭さらされ、公衆の面前で見せしめのために猟犬にかみ殺され、空腹のために豚のエサを盗むと殴られる人間が罪を犯して処刑される前に『わたしは主の御許に参ります』と悔い改めた事例が「ルーテル派の慈善家たちによってロシア語に訳され」たりすると、次兄は、「『主よ、あなたは正しい!』と叫ぶようなことが本当に起こるかもしれない、でも俺はそのときに叫びたくないんだよ」と「神」への本能的な疑問を持つようです。

 イワンは、「それに、地獄があるとしたら、調和もくそもないじゃないか。俺だって赦したい、抱擁したい、ただ俺は人々がこれ以上苦しむのはまっぴらだよ」と内面の苦悩を吐き出します。地獄は空想の中だけに存在するのではなくて、現に、今、目の前にあるロシアは地獄で満ちている。その地獄に対して、「主」は何もしない、という「主」への本能的疑問が、イワンの心の根底に流れているような気がしました。

カラマーゾフの兄弟のあらすじ(中巻)

 読み始めて感じたことですが、「カラマーゾフの兄弟」は三人称で書かれていますが、語り手であるドストエフスキーが地の文に登場して物語世界の概要やあらましを直接に読者へ語りかける場面がありました。「罪と罰」でもそうでしたが(というか「白鯨」でも、「ジェーン・エア」でもそうですが)、とくに、登場人物にも理解ができていない「奇妙な」感覚や、「ふいに」訪れた言葉では説明のできない現象を紹介するときに、ドストエフスキーが直に登場するケースが多いように感じました。

 中巻の冒頭、三男アリョーシャと別れた次男イワンが父の家へ向かう場面でも「ふいに彼は堪えがたい憂鬱におそわれ」とあります。直接ドストエフスキーが登場しているわけではないのですが、物語のすべてを見届けているはずのドストエフスキー自身が「奇妙なのは憂鬱そのものではなく、憂鬱の原因がイワンにはどうしてもはっきりできないことだった」と語ります。ドストエフスキー自身は登場人物に「ふいに」訪れた現象や、「奇妙な」感覚はあくまでも「ふい」や「奇妙」という言葉でしか説明しなくて、あとは読者にゆだねるという立場にあるのでしょうか(「罪と罰」ではそうであったような気がします)。「純文学」とも、「物語」とも違った、「小説」とでもいえるような概念を感じます。そのあたりにも注意しながら、中巻を読みたいと思いました。

 中巻では主に、二つの出来事が語られました。三男がいる修道院の長老の死と、カラマーゾフの殺害事件です。

 まずは、長老の死から。

 長老は、派閥抗争や教会体制の批判などはあるのですが、三男が敬愛する人格者として描かれています。そして、三男からだけではなくて、修道院でも、街でも多数の人々から尊敬されていました。その長老が死んでしまいます。長老の死に際して、けっこうなページ数をさいて、長老に関する「伝記的資料」が掲載されていました。劇中劇のような形で、長老の青春時代の出来事や、信仰や思想が描かれています。下巻が未読なのでなんともいえないところなのですが、この「伝記的資料」は、登場人物たちの思想や行動に影響を及ぼす大切な個所であるような気がしました(というか、そうでなければ描かれる必要がないともいえるかもしれませんが)。ちょうど、「ピエール」(ハーマン・メルヴィル/坂下昇訳)における劇中劇として登場する論文「標準時計と時差修整時計について」のような役割を担っているのかもしれません。

 伝記的資料には、奴隷として売り飛ばされた少年だとか、野獣に喰い殺された人だとか、「自分たちをしばしば無慈悲に鞭打つ人間」だとか、「児童虐待」だとか、「上流階級の人々は科学に盲従して、もはやキリストに頼らず自分たちの知力だけで、かつてのように正しい体制を創ろうと望み」などの記述がありました。ちょうど、上巻で語られたイワンの苦悩と呼応しているのかもしれません。ただ、「熊は獰猛な恐ろしい獣だが、べつにそれは熊の罪ではないのだよ」というせりふもありましたが、イワンは、熊の罪どうこうではなくて、実際に今のロシアは(たとえるなら)熊に襲われて無残な目に遭っている多くの悲しみで満ちているという現象を問題にしていて、長老の伝記的資料はそこにはふれていなかったと思いました。あるいは、ふれていたとしても、(いわゆる)人間は生まれながらにして罪深き存在なので、あきらめて(?)祈るしかない、とでもいうよう概念が流れているような気がしないでもありませんでした。ただ、長老が信じているのは(いわゆる)ロシア正教で、ルーテル派とかとは違うのかもしれませんが、このあたりはキリスト者ではない私には詳しくはわかりませんでした。

 三男アリョーシャは、父と長男が取り合いをしている女性グルーシェニカと会ったりといろいろな過程があるのですが、長老の棺が安置されている部屋に入った時に、一種のトランス状態(奇蹟?)になり、長老の姿を見て、長老の声を聞きます。長老の「はじめるがよい、倅よ、自分の仕事をはじめるのだ、おとなしい少年よ! われわれの太陽が見えるか、お前にあの人が見えるか?」などの呼びかけに導かれ、生前に長老から言われていたように、修道院を出ます(たぶん還俗)。

 また、三男がグルーシェニカと会う場面では、グルーシェニカが三男に、「この人はあたしを憐れんでくれた最初の人よ、たった一人の人」、「あたしの天使」、などと感化されて、寓話を語る個所がありました。

 寓話の内容は、善行がない根性曲がりの女が死後に火の池にほうり込まれる話でした。守護天使がなんとか頭をひねって、女がかつて、野菜畑からネギを一本引き抜いて(女の所有する畑か否かは不明)、「乞食」に与えたことを思い出し神様に報告します。神様は天使に、ネギを火の池にさし向けるように告げます。天使がネギにつかまった女を引っ張り上げようとしますが、あと少しというところで、池にいたほかの罪人たちがみんなして女にしがみつき、女が蹴落としにかかります。ネギがちぎれてしまいました、というお話でした。

 父カラマーゾフ殺害事件では、長兄ドミートリイが容疑者となり、予審が行われて、長兄は調書にサインもします。長兄の行動を追っている途中の記述で、グルーシェニカとのからみがおもしろかったです。

 グルーシェニカは五年前に自分を捨てたポーランド人将校のもとへ走っていたのですが、将校が、グルーシェニカを追ってきた長兄から金で片をつけようと提案され、金をいったんは受け取ろうとしましたが一時金の額が少ないのどうのこうのの話になったことを聞いて、「それでわかったわ。あたしが金を持っていることをききこんで、それで結婚しに来たのね!」、「ばかよ、あたしはばかだったわ、五年も自分を苦しめていたなんて! それも、まるきりこんな男のために自分を苦しめていたんじゃない。憎しみから自分を苦しめていたんだもの!」とあっさりと将校を捨ててしまいます。グルーシェニカは「あたしが愛していたのは、彼だったかしら、それともあたしの恨みを愛していたにすぎないのかしら?」などと悩みますが、けっきょくは、「愛するからには、どこまでも愛するわ! 今日からあなたの奴隷になるわね、一生ずっと奴隷に! あたなの奴隷なんて楽しいわ! ……キスして! あたしをぶって。いじめてちょうだい、あたしを好きなようにして……ああ、本当にあたしなんか苦しめるほうがいいのよ」と、長兄ドミートリイに走ります。グルーシェニカも、(中巻ではあまり登場しなかった気がしますが)カテリーナタイプかもしれません。

 ストーリーは、犯罪小説といいますか、裁判小説といいますか、サスペンスのような展開になっていきました。

カラマーゾフの兄弟のあらすじ(下巻)

 三男アリョーシャが子どもと話をする場面から始まります。子どもは、秩序を保つために科学としての神の必要性は認めますが、自分は「社会主義者なんですよ」などと告げたりします。また、「たとえばキリスト教の信仰は、下層階級を奴隷状態にとどめておくために、金持や上流階級にだけ奉仕してきたんですよ」、「僕はキリストに反対じゃないんですよ。キリストは申し分なく人道的な人物だし、もし現代に生きていたら、すぐさま革命家に身を投じて、ことによると有力な役割を演じてたかもしれませんしね」などと続けました。

 いっぽう、次兄イワンは、長兄を助けるために工作をします。その中で、スメルジャコフと何度か対決し、また、三男アリョーシャの恋人リーズに会ったりもします。

 長兄の公判が始まり、スメルジャコフは自殺してしまいます。イワンは独自の哲学を証言台でぶちまけて、裁判が終わったのちは昏睡状態になってしまいます。

 カテリーナとグルーシェニカも、なかなかどうして、混乱と、熱狂と、限りなく不幸を愛する情熱で活躍します。

カラマーゾフの兄弟の読書感想文

 読み終えて、中巻の「伝記的資料」の中に記載されていた、長老が若かりしころにある紳士から聞いた話も大切な鍵なのかもしれないと思いました。紳士は、殺人を犯していたのですが、罪を他者に押しつけて何十年も苦しみ、そしてついに告白していました。

 また、イワンとスメルジャコフとの間のやり取りからは、いろいろと考えました。確か、イエスさんの言葉で、女性をいやらしい目で見たらそれはもう女性を犯したことと同じだ、というような内容があったような気がします。キリスト教の人々にとっては、殺意を持ったらそれはもう人を殺したのと同じだという概念があるのでしょうか。また、殺人示唆というものも、ある人を殺したいと思ったら、その思念が社会の中でめぐりめぐるので、すでに殺人示唆になるのかなどと考えました。

 映画「陽のあたる場所」(一九五一年/アメリカ/ジョージ・スティーブンス監督)でも、記憶ベースですが、殺人事件の容疑者になったモンゴメリー・クリフトに、エリザベス・テイラーが、あなたを信じるわ、もしくは、あなたを愛しているわ、という内容を言ったと記憶しています。モンゴメリー・クリフトは、今気がついた、僕は罪を犯した、というようなことを告げたと思います。「罪」という概念は、単純な殺人や殺意というレベルではなくて、良心や魂や恥というものまで規定するのかもしれないと思いました。

 「カラマーゾフの兄弟」はなかなかの大作でした。初読では、筋を追うだけで精一杯という感じです。いつかまた、じっくりと腰を据えて、再挑戦したいなと思いました。


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