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怒り/吉田修一あらすじと読書感想文(ネタバレ)

2015年11月12日 竹内みちまろ

山神一也

 2011年8月18日、会社員の尾木幸則、妻で保育士の里佳子が、東京・八王子郊外の一戸建てである夫婦の自宅で、立川市のアパートで一人暮らしの無職・山神一也(26歳、神奈川県川崎市で1984年9月生)に刺殺された。山神は、川崎市の溶解亜鉛メッキ加工工場勤務で福岡出身の父親と清掃業パートの母親の間に生まれた。高校卒業後、事件を起こすまでの10年間、ほとんど実家には寄りついていない。凶行の現場となった廊下には、被害者の血を使って、山神が指で書いた「怒」という一文字が残っていた。

 山神が行方をくらませてから、1年が過ぎている。

 2012年8月の最後の日曜日となった26日、捜査本部は、事件後すぐに公開された履歴書の山神の顔写真に加え、メガネをかけて変装した写真と、長髪のかつらをかぶり化粧をした女装の写真を公開した。女装写真は、山神の女装姿が目撃されたわけではなかったが、山神の部屋に残されていたメモにゲイイベントを行うクラブの名前が記されていたことから公開されることになった。女装写真は、大反響を呼んだ。

 山神には、3つの特徴があった。右頬にある3つ縦に並んだホクロ、異様に鋭い一重の目、左利き。しかし、大阪にある北梅田美容クリニックから、山神が、皮膚を切開して縫い合わせる切開法と呼ばれる本格的な手術で二重に整形していたという情報が寄せられた。手術前と、手術後、さらに、手術後からCGで目の腫れを取った顔を見比べると、鋭利な目元から鋭さが消え、印象では、まったくの別人になっていた。

小宮山泉

 2012年の夏、福岡で暮らしていた高校1年生の小宮山泉(16)は、夏休み中に、母親の真由と、沖縄へ夜逃げをした。真由が泉の同級生の父親である後藤公平とホテルから出てきたところをPTAの副会長に目撃され、副会長は「ここだけの話にしてほしい」と言いながらペラペラと言いふらし、後藤公平の妻が仲間集めに躍起になった結果、真由だけが悪者になった。

 泉を連れた真由は、友人の林瑞恵と瑞恵の夫の耕作を頼り、那覇から離島の波留間島に渡った。瑞恵と耕作が営む民宿「波留間の波」を手伝い、泉は波留間高校に転入。クラスの女子たちのまとめ役である大城若菜が面倒を見たこともあり、泉はクラスに溶け込んでいった。

 泉は、学年で2つしかないクラスの内、もうひとつのクラスにいた同級生の知念辰哉から思いを寄せられた。泉は、辰哉に、ボートで、現在は無人島で廃墟が残っている星島に連れて行ってもらった。廃墟の中で、田中と名乗る若い男に会った。田中は「俺がここにいること、できたら誰にも言わないでほしいんだけど」と告げ、泉は頷いた。波留間島にはバックパッカーが1人で来ることもあり、民宿で働くこともあるという。

 泉は、真由を説得して、辰哉と那覇でのデートに出掛けた。波留間島から朝10時のフェリーで本島に渡り、ホラー映画を観て、辰哉の叔母の家で昼ごはんを食べ、買い物をして、夕方にプラネタリウムに行き、6時半か9時のフェリーで戻るという予定だった。

 プラネタリウムの機械故障で上映時間が遅れ、プラネタリウムを出た時は6時半を過ぎていた。泉と辰哉が手頃なレストランを探して大通りを歩いていると、眼の前を田中が通り、泉は「あの! 田中さん? 田中さん!」と声を掛けた。

 田中は那覇でアルバイトをしているといい、「晩めし奢るよ」と、2人を美味しい沖縄料理が出るという居酒屋へ連れて行った。注文を取りに来た女将は「あんたたち、飲んだらダメよ」と言いつつ、泡盛のボトルにグラスを3つ付けて出してきた。辰哉は「田中さんって泡盛飲めるんですか? 俺は小学生のころから飲んでるけど」と急に大人ぶったものの、グラス半分で目がとろんとし、ほとんど酔いつぶれてしまった。田中は辰哉を心配したものの、泉も辰哉も大丈夫というので、2人と別れた。

 泉は、9時のフェリーに乗る前に、辰哉を残して一旦、辰哉の叔母の家に荷物を取りに行くことにし、1人で街を歩き始めた。大通りをそれて狭い路地に入ると、昼間とはまったく違う雰囲気で、開けっ放しのバーのドアから、騒がしく酒を飲む米兵の姿や、女の乳房が映っているテレビなどが見えた。

 足を速めた泉は、辰哉の叔母の家の手前にある児童公園までたどり着いた。が、園内では、2人の白人が泉を見ていた。泉は目を合せないように駆けだしたが、男たちの足音も聞こえ、目の前にナイキのスニーカーが立ち塞がった。突然、右腕を強く引っ張られ、泉は思わす顔を上げた。ほほ笑めば通してもらえるとなぜか思い、泉は、ほほ笑んだ。もう一人の白人に肩を掴まれ、泉は「NO!」と叫んだが、口を塞がれ、押し倒され、股を開かされた。

 田中は左利きで、右頬には縦に2つ並んだホクロがあり、その上に小さな傷があった。

槙愛子

 2012年の夏、千葉県の太平洋沿岸の漁港・浜崎に住む槙洋平(47)は、4か月前に家出をした娘の愛子(23)を、NPOの保護センターの協力で、家に連れ戻した。東京・新宿歌舞伎町のソープランドで働かされていた愛子は、どんな客にも必死でサービスをするため、面白がった客たちから壊れてもいい玩具のように扱われていたといい、心身ともに相当のダメージを負っていた。洋平は、愛子が幼稚園に通っていた時に園長から呼ばれて、愛子が知能の面で「支援を必要とする子供」であることをほのめかされたが、「あんな幼稚園すぐに辞めさせる」と憤り、他界した妻の聡子が反対しなかったため、愛子を転園させていた。

 2012年の6月頃にふらっと浜崎の魚市場に現れ、漁協に勤める洋平に「仕事ありませんか?」と聞いた田代哲也は、アルバイトとして採用され、仕事は真面目にこなしていた。浜崎に戻ってから、毎日、洋平に弁当を届けていた愛子は、上原のおばあさんの家に住む田代の分も弁当を作るようになった。

 愛子と田代は思いを寄せ合うようになった。田代は親が作った借金を無理やり肩代わりさせられ、借金の権利を買ったヤクザから追われているという。愛子は「ねえ、お父ちゃん、助けてあげて。お願い」と洋平に頼み、「捕まったら本当に恐いんだよ。本当に逃げられなくなるんだよ。私、分かるもん。誰も助けてくれないの。泣いてもダメなの。ほんとに怖いの」と口にし、何かを思い出したのか、急におどおどします。洋平がなだめると、愛子は、「私とお父ちゃんさえ黙っていれば、田代くんここにいられるんでしょ? 私、自分で分かってるもん。私なんかが普通の人と幸せになれるわけがないって。でも、田代くんみたいな人なら……」と告げ、唇を噛みます。「……田代くんみたいな人なら、私のそばにずっといてくれるかもしれないって。だって田代くんには行く所がないんだよ。田代くんにはここしかないんだよ」と告げた。

 愛子が「明日香姉ちゃん」と慕う愛子の従姉・明日香の息子の大吾が、捜査本部が公開した整形後の山神の手配写真を見て、「うわ! びっくりした!」と大声をあげ、「田代の兄ちゃんが映ったと思った!」とテレビを指さした。田代は左利きだった。

藤田優馬

 2012年8月最後の土曜日となった25日、鎌倉海岸で開催されたゲイイベントに参加した大手通信系の会社に勤める藤田優馬(32)は、イベントや出会い系アプリでセックスの相手を見つけていたが、イベント後、ゲイ仲間の誘いを断り、医師から年は越せないと言われているがんの母親が入所しているホスピスに見舞いに行った。

 ホスピスからの帰り、新宿行きの最終電車に乗り、ゲイたちが利用することが多いサウナに行った。大部屋の隅で膝を抱えて座っていた大西直人(28)に声を掛け、ほとんどレイプ同然の一方的なセックスをした。優馬は「今日、ここに泊まっていくのか?」と声を掛け、「今夜、泊まるとこ決まってないんなら、うち来る?」と誘った。

 優馬にとって、直人は大切な存在になっていった。優馬は兄夫婦にも直人を紹介し、2人で暮らす日々が続いた。が、直人の右頬には、縦に3つホクロが並んでおり、山神の特徴を伝えるテレビのアナウンサーの「右頬に三つ縦に並んだホクロがあります」という声を聞いた優馬は、コンビニから戻った直人に、「お前さ……、まさか殺人犯だったりしないよな」と告げる。

 その後は、何も起こらず、互いに歯を磨いて、セックスをして、翌朝、優馬は仕事に出掛けたが、戻ると、直人の姿はなく、直人のリュックサックも消えていた。

怒りの読書感想文(ネタバレ)

 「怒り」を読んでいる途中は、伝えること、あるいは、伝えることの難しさを描いた作品なのかもしれないと感じました。でも、読み終えて、「思い」というものは、伝えるのではなく、伝わるものなのかもしれないと思いました。

 小宮山泉は、那覇で米兵に暴行されました。そのことを知っている知念辰哉は、田中に、「あのさ、沖縄で米兵が女の子に酷いことするだろ」と切り出し、「ああいうの、どうにかできないのかな?」と思いを打ち明けます。辰哉は「だから、警察に頼っても国に頼っても結局誰も助けてくれないだろ。だから、何か他に方法ないのかって」と告げました。

「だってさ、同じような事件がこれまでにも何度もあって、それでも何も解決しなくて……、もう解決なんかしないんじゃないかって、みんな心のどっかで思ってて、でもやっぱり解決させなきゃいけなくて……。何度も勇気出してみんなで立ち上がってるのに、見てくれるのは最初だけで、いつの間にか誰も見てなくて。簡単に立ち上がれるなんて思ったら大間違いで、みんなほんとに勇気振り絞って立ち上がってるのに。……結局、誰も助けてくれない」

 そんなエピソードを読みながら、「思い」というものはどうすれば伝わるのだろうと思いました。

 しかし、クライマックスに向けて、辰哉と泉、そして槙愛子が取った行動は、それまでのエピソードを超えた圧倒的な存在感を放っていると感じました。

 辰哉は、星島の廃墟の壁に、山神一也による暴行された泉を笑う書き込みを見つけたため、山神を刺殺します。泉は、辰哉を守るために真相を公にします。そして、愛子は、愛する田代を守るため、もし田代が山神だった場合のことを考えて田代に貯金を全部渡して、田代を逃がしました。

 3人の行動はそれぞれ、何がよくてどうあるべきかを簡単に言うことはできないと思います。ただ、3人の行動には有無を言わさぬ重みがありました。それは、3人が自分の人生の全てを込めたような「思い」で行動したからだと思いました。3人が取った行動からは、言葉には出さなくても、その事実に直面した者すべてを圧倒するだけの力があると思いました。

 「思い」を声を出して伝えようとすることももちろん大切だと思います。が、それ以上に、「思い」というものは、声に出して伝えようとしなくても、行動することで、伝わることもあるのかもしれないと思いました。


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