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告白/湊かなえあらすじと読書感想文

2012年3月24日 竹内みちまろ

告白/湊かなえのあらすじ(ネタバレ)

 『告白』は6つの章に分かれています。ある事件を起点として、5人の語り手(第1章と第6章の語り手は同一人物)がそれぞれの旨の内を吐露します。しかし、芥川龍之介の『藪の中』同様、読み進めていくうちに読者は矛盾に気が付き、“真実”はどこにあるのかという迷宮に迷い込んでいきます。

 中学教師の森口悠子は1年B組の終業式の日、担任をした生徒たちの前で、自身の娘の愛美は「事故で死んだのではなく、このクラスの生徒に殺された」ことを告げます。愛美を殺した二人の生徒の名前を公表するつもりはないこと告げた悠子は、渡辺修哉が意図的に製作した「処刑マシーン」で気を失った愛美は、自分が共犯者だとバレることを恐れた直樹によりプールに投げ込まれ「水死」したことを語ります。「殺意はあったけれど直接手を下したわけではないA(修哉)。殺意はなかったけれど直接手を下すことになったB(直樹)」の2人が飲んだ牛乳に、元婚約者でHIV感染者の「世直しやんちゃ先生」の血液を混ぜたことをクラス全員に聞かせ、「クラス替えはありませんので、みんなは決して二人を除外しようとせず温かい目で見守ってあげてください」「『効果が出なかったら?』そうですね、交通事故にはくれぐれもお気をつけください」などと語り、教師を退職して学校を去りました。

 悠子が去り、進級して新学期を迎えたクラスの様子を「先生は知らなければならない」と思った、直樹と幼馴染の北原美月は、悠子へ手紙を書きました。手紙に、美月は、直樹は終業式以来、学校に来ていないこと、新しい担任の寺田といっしょに美月が直樹の家を訪問するようになったこと、クラスでは修哉へ陰湿ないじめが始まったこと、クラスのみんなが「異様な空気を楽しみ始めていた」こと、手足にガムテープを巻かれた修哉と美月がキスをさせられたこと、夜に修哉に呼び出された美月がHIVに感染してないことを示す血液検査の結果を修哉から見せられたが、美月はそれを見るまでもなく修哉がHIVに感染していないことは「知ってた」こと、などを書きました。美月と修哉は修哉の「研究室」がある空き家へ行きました。美月は修哉と直樹が飲んだ牛乳を調べ、血液が混ぜられていなかったことを修哉に話しました。美月は修哉とキスをしました。

 直樹が殺した直樹の母親の日記を見つけた、直樹の姉は、日記を読みました。日記には、直樹が「あの子(=愛美)は僕の目の前で、目を覚ましたんだ。そのあと、僕はプールにあの子を投げ落とした」と母親に話し、母親が直樹を殺し自身も死ぬと決意していたことを知りました。

 修哉が学校にしかけた爆弾は、悠子によって外されて、代わりに、修哉の産みの母親の研究室にしかけられていました。修哉は、遠隔操作で、爆弾を爆発させました。

告白/湊かなえの読書感想文

 『告白』は、登場人物たちの感情をむき出しにする姿が印象に残りました。

 元クラス担任の森口悠子は、自分の娘が「殺された」という「事件」をきっかけとして、生徒たちへ感情をむき出しにしていくのですが、「道を踏み外して、その後更生した人よりも、もともと道を踏み外すようなことをしなかった人の方がえらいに決まっています」「だけど物語に感動した人たちも、目の前にHIV感染者と性交した人がいるとドン引きしてしまうようですね」「最初から未成年が犯人とわかっているのなら、事件を最小限に取り上げ、自己陶酔する子供の愚かしさを、勘違いも甚だしいとたしなめてやるのが大人の役割ではないでしょうか」などと次々と語ります。

 悠子は、中学1年生の少女が家族4人を毒殺し「なんだかんだ言っても、結局、青酸カリが一番効果アリ!」とブログに書き込んだ「ルナシー事件」を引き合いに出した時は、話題性に乗って大げさにあおるだけというマスコミを批判し、また、生徒がナイフを持っていても取り上げることができず、上司に報告しても「厳重に注意するように」と言われるだけで、それなのに、「ナイフを持っていたことを知りながら、どうして未然に事故、事件を防げなかったのか」と責められる現実に憤っていました。しかし、「本当に悪いのは誰ですか?」というせりふなどから伝わってくるように、悠子の感情は、社会の仕組みや制度へ向けられているわけではなく、もっと深いところにある何か、あえて言うならば人間の心そのものへ向けられているような気がしました。そして、教師としての使命感を持っていた冷静な悠子が「死にたい、などと軽々しくメールを送る人はこのクラスにはもういなくなるのではないでしょうか」などと、冷酷ともとれることを平気で語る姿が、強烈です。社会的存在としての責任感や尊厳をかなぐり捨てて、“私はたいへんなんだ。そもそも、たいした価値もないお前らなどどうなろうと知ったことか!”とでもいうようなせりふは、教師や大人という社会的存在として子どもである生徒へ接しているのではなく、人間が人間へ対して、ありのままに、感情を吐露しているようにも感じられます。そのことの是非はわかりませんし、何事もバランスが必要だとは思いますが、日常生活の中で、ここまで人間的感情の赴くままに行動したことがあっただろうかと、思わず、自分を振り返ってしまいました。

 直樹の姉が見つけ出した直樹の母親の日記には、「やはり、直樹は私が守ってやらなければなりません」「悪いのはすべて森口なのです」などと書かれていましたが、母親は、つらいことは書いて忘れてしまうために日記帳を直樹の姉に贈っていました。つまり、母親にとって日記というものは、そもそも毎日の出来事を書きとめておくためのものではなく、(人間は日記にも嘘を書くという現象はさておくとしても)辛い出来事を忘れるための手段であり、そもそも母親にとっては、日記を書く目的は、記録ではなく、幸せに生きることでした。誰にも見せない日記ですし、幸福に生きることが目的なので、日記に虚構を書いたとしても、それで幸せになれるなら、誰にも迷惑をかけないわけですし、日記に虚構を書くことも十分にあり得ることだと思いました。また、美月が話す内容も、悠子への手紙をさらに文芸誌の新人賞への応募原稿にしたものとなっています。美月の目的は、原稿が、文芸誌を購読している(していた)悠子の目にとまることなのですが、勝手な深読みになりますが、目的を達成するためにはまず、新人賞に選ばれる必要があり、そのためには虚構を加えて小説としての価値を高めなければならないと、意識していなくとも、無意識に意識して、内容や、書き回しに微妙な変化が発生することも考えられることです。『告白』では、そういった構造的なしかけもうまいなあと思いました。

 直樹の母親は、直樹は「ひきこもり」ではなく、「病気」なのだと自分自身に言い聞かせていました。その場面も印象に残りました。母親が、診断書をもらって、「不登校」ではなく、「家にいることをお医者様から義務付けられたのです」となったときに、現実は何も変わっていないのに、直樹の母親は安心していました。直樹の妊娠中の姉が家を訪れた際、直樹は部屋から出ませんでしたが、窓から「お姉ちゃん、おめでとう」と手を振りました。その様子を見て、母親は、「近頃迷いがちだった自分の子育ては間違っていなかったのだ、と改めて確信しました」と書いていた場面には、もの悲しさを感じました。いっぽう、直樹は、自身がHIVに感染していることを母親が知った場合、「家を追い出されることが一番怖かった」と書いていました。いわゆる「基本的信頼」というものがない状態なのだと思いますが、『告白』では、そういった人間の現実が巧みに取り上げられ、個人の感情や生き方と、社会の価値観や構造の間に軋轢が生まれ、人間が心を痛めたり、心がマヒしたり、心を捨てたりしているといわれる現代社会というものが描かれているのかもしれないと思いました。また、修哉の物語も悲しいです。修哉の産みの母親は修哉を愛していたのでしょうし、それでも、自分の生き方と現実の折り合いがつかなかったのでしょうし、子どもを虐待することは防がなければならないことですが、少なくとも、修哉の母親の修哉への虐待には悪意は感じられませんでした。ただ、世の中には、悪意がなくてもやるべきではないことは存在し、しかし、それでもやってしまう人間の姿が浮かびました。人間がそれぞれ心を持っている以上、みんなで誠意を尽くして真面目に生きていたとしてもそのままではどうにもならないことがあるという現実を感じました。じゃあどうすればよいのか? 本当の原因はどこにあるのか? 誰でもそういった言葉尻だけで簡単に逃れられるような短絡的な感情の吐露へ逃げたくなる時はあるかもしれませんが、『告白』はそこで逃げずに、人間の心の奥深くへ、切り込んでいった作品だと思います。

 最後になりますが、悠子がクラスを去った後、クラスの全員に「制裁ポイント」のメールを送り、いじめを煽るなどしていた人物は誰なのだろうと思いました。


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