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「蛮幽鬼」のあらすじと感想(ネタバレ)

2013年10月15日 竹内みちまろ

『蛮幽鬼』(ゲキ×シネ)のあらすじ

 遠い昔。大陸の東にある、中央政権が確立され始めた島国・鳳来国(ほうらいこく)から、大陸の先進国・果拿の国(かだのくに)に4人の留学生が渡りました。

音津空麿(おとつのからまろ) −粟根まこと
稀浮名(きのうきな) −山内圭哉
京兼調部(きょうがねしらべ) −川原正嗣
伊達土門(だてのどもん) −上川隆也

 空麿(からまろ)、浮名(うきな)、調部(しらべ)は高貴な出身ですが、土門(どもん)は貧しい衛兵あがり。4人は果拿の国で5年間学びましたが、3日後に鳳来国へ帰る船が出るという日も、空麿と浮名は、土門の出自の低さを蔑みます。土門の親友・調部はいいかげんにしろとたしなめますが、空麿と浮名は行ってしまいました。

 残された調部と土門は、果拿の国で学んだ学問と「蛮教」で、鳳来国のために尽くすことを誓い合います。しかし、調部が飛び道具で心臓をひと突きに刺され殺されてしまいました。土門は調部を抱き起こしますが、そこに、兵隊がやってきて、調部を犯人として捕らえてしまいます。

 果拿の国王の前に引っ立てられた土門は、殺人の罪を着せられようとしていました。そこに、空麿と浮名がやってきます。土門はこれで助かったと思いますが、なんと、空麿と浮名は、調部から調部の妹の京兼美古都(きょうがねみこと・稲森いずみ)を土門と結婚させたくないと相談されていたなどと国王に告げ、土門に調部殺しの罪を着せてしまいました。

 果拿の国王は土門を、脱出不可能といわれる監獄島へ島流しにするよう命じます。土門の死刑を期待していた空麿と浮名は肩すかしをくらったような顔をしますが、果拿の国では異国人は死刑にせずに監獄島へ送る決まりでした。残された空麿と浮名は、「蛮教」の大賢者から「蛮教」の経典を授かり、鳳来国での「蛮教」の独占布教を許されます。

 土門が無実の罪で監獄島に幽閉されてから10年が経ちました。土門は狂ったふりをしていましたが、自分を陥れた空麿と浮名に復讐し、親友・調部の敵を討つことに執念を燃やしていました。土門は、牢屋の奥から聞こえてくる謎の声に導かれて、地下道へ抜けます。声の主は、土門と同じく捕らわの身となっていた鉄仮面の男(堺雅人)でした。土門は、男の鎖を断ち、解放します。男は、果拿の国王を殺した暗殺者集団ローラン族の刺客で1000人の捕り手の命と引き替えに捕まったのでした。男は、サジと名乗ります。土門は、同じく投獄されていたハマン国の王女も助け出し、看守としてもぐり込んでいたハマン国の生き残りの者の手引きで、舟まで逃げ、鳳来国へ渡ります。

 1年後、大王(オオキミ・右近健一)が統治する鳳来国で、「蛮新教」が流行ります。白髪の「蛮新教」の教祖・飛頭蛮(ひとうばん)には、サジと名乗る男や、ハマン国の王女らが付いています。大王の后となっていた美古都は、国を憂える大王の命を受け、お忍びで、飛頭蛮に会い、「蛮新教」のことを尋ねます。美古都の父・京兼惜春(きょうがねせきしゅん・千葉哲也)は左大臣の要職に就いており、美古都の傍らには、凄腕の剣士・方白(かたしろ・早乙女太一)がついています。

 学問頭(がくもんのかみ)を務める空麿と、浮名が広めている「蛮教」に疑問を持っていた美古都は、飛頭蛮から聞いた「蛮新教」に希望を見出します。大王に、「蛮新教」が怪しい宗教とは思えないことを告げます。大王の命令で、「蛮新教」の飛頭蛮と、「蛮教」の空麿が、教義問答で対決することになりました。空麿と徒党を組む浮名の父親は、惜春と対立する実力者で右大臣の稀道活(きのどうかつ・橋本じゅん)でした。

 飛頭蛮こそ、無実の罪で監獄島へ送られた土門であり、土門は、11年の年月をへて、復讐の舞台に躍り出ました。

『蛮幽鬼』(ゲキ×シネ)の感想 【ネタバレ注意】

 『蛮幽鬼』は見終わって、「ミッション」って、何なのだろうと思いました。

 復讐の鬼と化した土門を突き動かすものは、表面的には、「10年間も苦しい投獄生活を送ったこと」と「親友を殺されたこと」への物理的な怒りです。が、心の底には、留学生だったころに調部と共に思い描いた新しい国造りの「大志」を踏みにじられたことへの精神的な怒りがありました。

 2つの怒りは憎しみとなり、土門は、自分を陥れた者たちへの復讐を遂げようとします。ただ、物理的な「仕返し」と「敵討ち」という意味では、空麿と浮名らを殺すことで、遂げられます。しかし、「仕返し」と「敵討ち」を遂げた土門は、かえって、自分は何をしようとしていたのだと茫然とします。

 土門と調部の「大志」を踏みにじったものは、空麿と浮名という物理的な人間存在ではなく、いうなれば、人間存在にはびこる「悪意」とでもいうものだと思いました。

 その「悪意」は人間社会がはびこらせているもので、空麿と浮名すらもその「悪意」に操られていたといえるかもしれません。空麿と浮名を殺しても、土門には失われた10年間は戻りませんし、殺された親友は生き返りません。土門は、いくら憎んでも取り返すことができないものを憎み、そして、自分でも気付かないうちに、取り返すことができないものを取り返そうとしてしまったのかもしれないと思いました。

 サジは、そんな土門の心を見抜いていて、飛頭蛮となった土門が「俺が、調部が、作りたかったのはこんな国じゃない」と憤ると、「だったら、たたき潰せばいい」とささやいたのだと思いました。

 そんな土門やサジがやってきたことで、鳳来国の宮中は混乱に陥ります。

 『蛮幽鬼』で一番印象に残ったのは、使命感に目覚めていく美古都の姿でした。美古都は「かつて散った2つの魂よ、力を与え給え」と、兄の調部と婚約者の土門の魂に呼びかけます。しかし、呼びかけたのは、あくまでも11年前に失われた2つの魂へ対してであり、飛頭蛮となって生きて帰ってきた土門に対してではありませんでした。美古都は土門の魂は11年前に散ってしまったことを感じており、「蛮新教を都より追放する」と命じます。「怖かった。彼(=土門)が。あの人を宮中に入れてはいけない、そう思った」というのがその理由。ただ、その後、「(土門を)殺してはならない」と命じ、「なぜ(殺してはならないのか)?」と問われると、「なぜでも!」と叫びました。美古都が愛した土門は11年前に散ってしまいましたが、魂を踏みにじられ復讐の鬼と化していても、目の前に現れた飛頭蛮はまぎれもなく土門でした。この場面は切なかったです。

 「悪意」というものは、はびこるもののようですが、同時に、「心」というものは受け継がれるのかもしれないと思いました。留学生だったころの土門と調部が持っていた、新しい国を作りたいという「大志」は、若い「情熱」であり、「パッション」なのだと思います。しかし、それは、取り返しが付かない形で木っ端微塵に踏みにじられてしまいました。ただ、11年前に失われた2つの「心」があったからこそ、美古都の中に「ミッション」が生まれたのだと思いました。美古都が「私はこの国を…」と誓う場面も心に染みました。

 『蛮幽鬼』は、ストーリーもすばらしかったです。品川の映画館で見ましたが、劇場では途中に休憩時間が入りました。が、休憩時間の間も早く後半が始まらないかと待ち遠しくなるほど、時間を忘れて見入りました。土門の「私は私の信じるに足るものを信じよう」というせりふもよかったし、教義問答での隠し球も感動しました。あと、やはり、日本人の心に刺さるストーリーを作るには、登場人物の心の中に「日本という国」あるいは「国家という単位」へ対する感情を盛り込むのは欠かせないことなのかなと思いました。この話を始めてしまうときりがないので、その辺りは、別の機会にまとめてみたいと思います。


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