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清兵衛と瓢箪/志賀直哉のあらすじと読書感想文

2016年8月19日 竹内みちまろ

清兵衛と瓢箪のあらすじ

 12歳で小学校に通う清兵衛は、無類の瓢箪好きで、その凝りようは、学校から帰ると他の子とは遊ばずに、1人でよく瓢箪を見に町へ出かけるほどだった。もっとも、狭い町なので、瓢箪を売る店はかなりあったにせよ、ほとんど毎日、見て歩いている清兵衛は、おそらく町で売られているすべての瓢箪に通じていた。

 ある日、清兵衛が裏通りを歩いていると、見慣れない場所に干柿や蜜柑を売る店が出ていた。後ろの格子に20個ばかりの瓢箪がぶら下がっていた。1つ、1つを見た清兵衛は、一見するとごく普通の形をした瓢箪に目を奪われた。清兵衛は家に10銭を取りに戻り、その瓢箪を買って帰った。

 それから、その瓢箪を離せなくなった。学校へも持っていき、授業中に机の下で磨き始めるまでになった。が、担任の教師に見付かり、瓢箪を取り上げられてしまった。

 夜、教師が清兵衛の父親を訪ねてきた。父親が仕事で不在だったため、母親が対応した。教師は母親に「こういうことはぜんたい家庭で取り締まって頂くべきで……」と食ってかかった。教師が帰った後、母親は泣きだし、仕事から帰った父親は激怒して清兵衛をさんざん殴りつけた。父親は、柱にぶら下げてあった清兵衛の10個ほどの瓢箪をすべて鉄槌で割ってしまった。

 教師は、清兵衛から取り上げた瓢箪を、捨てにように言いつけて用務員に渡した。用務員は瓢箪を自分の家の柱にぶら下げておいたが、わずかな金に困ったときに近所の骨董屋に持ち込んだ。骨董屋は「五円だったら貰うとこう」と言ったが、賢い用務員は何食わぬ顔で「五円じゃとても離し得やしえんのう」と答え、50円まで値を吊り上げた。用務員は教師から4か月分の月給をただでもらった幸福を喜んだが、そのことを他言しなかった。ただ、骨董屋がその瓢箪を地方の豪家に600円で売りつけたことまでは想像できなかった。

 清兵衛は今、絵を描くことに熱中している。瓢箪への未練や、教師や父親を恨む気持ちはなくなっていた。

清兵衛と瓢箪の読書感想文

 「清兵衛と瓢箪」は、最後の一文から、ほんとうの物語が始まるような気がしました。

 最後の一文は以下の通りです。

「しかし彼の父はもうそろそろ彼の絵を描くことにも叱言を言い出してきた」

 本篇で描かれていた物語は、瓢箪に凝った清兵衛が教師や父親から否定されたエピソードでした。子どもが妙な物に熱中し始めること自体は微笑ましいことだと思います。子どもの心を失ってしまった大人たちが頭ごなしにそれを否定することもよくあることかもしれません。

 しかし、最後の一文を読み終えて、もはや清兵衛は子どもではないように感じました。そう感じた理由は、清兵衛は、たとえ父親から頭ごなしに否定されても絵を描くことをやめないだろうと思ったからでした。

 もちろん、瓢箪を集めることが、絵を描くことよりも劣っていると言いたいわけではありません。ただ、理屈では説明できないかもしれませんが、絵を描くことは、子どもが妙な物を集め始めることとは違って、情熱や衝動に源を発する行動であり、せざるを得ないことでもあり、仮に否定されたとしてもそのために闘うことだと思います。

 清兵衛の子どもの時間は終わり、清兵衛が何者かになるために歩き始める時間が始まったのだと思いました。

 「1人の人間が一生をかけて何者かになる」ということは、すべての人間に与えられた命題だと思います。「清兵衛と瓢箪」が名作として読み継がれているのは、最後の一文が、「人はなぜ生きるのか?」という問い掛けにも通じる物語の始まりを予感させるからだと思いました。


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