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哀しい予感/吉本ばななのあらすじと読書感想文

2013年1月8日 竹内みちまろ

哀しい予感のあらすじ(ネタバレ)

 19歳の学生である「私」こと弥生は、かかってきた電話のベルの音を聞き、かけてきた相手の名前を告げたり、旅行に行くとかつてその場所で起こったことを言い当ててしまう女の子でした。そして、幼児期の記憶がまったくありませんでした。

 弥生が小学生のころ、祖父が死にました。弥生の母の年の離れた妹である音大生のおば「ゆきの」は、「葬式には行かない、旅行に行く」と電話をかけてきて消息を絶ちました。弥生は、ゆきのは住んでいる古い一軒家に必ずいると確信し、ひとりで訪ねました。玄関で「弥生です」「きっと、いると思ったの」と告げると、ゆきのはほほ笑んで迎えてくれました。

 弥生が19歳の5月、弥生と、高校3年生で受験生の弟・哲生と、両親の4人は、家の改築のため、隣町の取り壊し寸前の平屋を借りて住んでいました。弥生が水漏れがする湯船につかっていると、背中をたたかれ、振り向くと、アヒルのおもちゃでした。ありもしないものがどうしてあるのかと気味悪く、大声で叫び、母親を心配させました。それ以来、弥生は、「私は子供時代の記憶というだけでなく、重大な何かを忘れてしまっているんだ」という思いにとらわれるようになりました。

 弥生は、昔からよく、ふいに家出を繰り返し、そのたびに両親を心配させていました。弥生は、今回は、かつて訪れたことがある、ゆきのの家を訪れました。弥生には、ゆきのが自分を泊めてくれるという確信がありました。

 弥生は、学校に行く以外は、ゆきのの家で過ごしました。いっしょに過ごすうちに、弥生が見るようになっていた風景の中に現れる血のつながった姉と、ゆきのが重なります。弥生を心配した哲生が電話をかけてきた夜、ふいに、ゆきのは、過去を語り始めました。弥生と哲夫は血がつながっておらず、ゆきのと弥生は実の姉妹でした。弥生は静かに「私達のお父さんとお母さんは、どんな人達だったの?」と尋ねます。ゆきのは、「優しい人達だったよ」と口にします。ゆきのは、「……家族、最後の旅行になった」「青森に行ったのよ」と語り始めます。家族4人で山道に入った際、父親がカーブでハンドルを切り損ね、対向車に激突。前席に乗っていた両親は即死。後部座席に乗っていた高校生のゆきのが、血だらけになりながら、幼い弥生を抱えて、車からはい出しました。弥生はショックで記憶を失くし、両親と仲が良かった育ての親に引き取られます。

 ゆきのの話を聞いた弥生は、育ての両親の善良な人柄を思い、どうして、ゆきのが育ての親に引き取られず、祖父の娘(=弥生のおば)になっているのかがわかりませんでした。ゆきのは、「私が、だだをこねたの。もちろん、あなたのお母さんには何度も、何度も説得されたわ。あたりまえよね、また高校生だったのよ。あなたを『姪』にしてほしいと言ったのも、私。そして、この家を譲ってくれたのはおじいちゃん」「ひとりになりたかったの。面倒くさくて、すべて。あなたはまだ幼くて、やりなおしがきいたから良いのよ。でも私には、あの、風変わりな両親の生活の面影がしみついていた」などと打ち明けます。弥生は、「この人は、時間の止まった古城の中で、失われた王族の夢を抱いて眠る姫だったのだ」と思います。そして、弥生は、自分がゆきのに捨てられたと思わないように必死に努力します。ただ、「この姉妹の間にできた距離がもう決して埋まらないこと」を知っており、「だからこそ今夜ここは、時間と空間を越えた一場の夢なのだ」と愛おしみます。弥生は、「ごめんなさい、ずっと忘れていて。うらんでる? 淋しかった?」と声をかけます。ゆきのは、ゆっくりと淡い笑顔を作り、弥生は許されたと感じました。

 翌日、ゆきのは家を出て、戻らなくなりました。

哀しい予感の読書感想文

 『哀しい予感』は、時間の物語だと思いました。ゆきのは、失われた時間をいとおしみながら後ろ向きに生きており、弥生も、失った時間を意識下に持ちながら、正体のわからないうしろめたさや、理由のわからないもどかしさと共に生きています。

 印象に残っている場面があります。ゆきのが家出をしたあと、弥生は、心配で様子を見に来た哲生といっしょに、子どものころに行ったことがある軽井沢の別荘に向かいます。そこに、ゆきのの高校を卒業したばかりの恋人も訪れて来るのですが、ゆきのは、「弥生ちゃん、本当にここまで来てしまいましたか。嬉しいな。旅は愛を深めますね」という書き置きだけを残して、別荘からも姿を消していました。

 弥生と哲夫はあきらめていったん戻ります。しかし、弥生は、青森に違いないと確信します。心配して電話をかけてきた育ての母親に、「もう2、3日で帰るから、絶対。ごめんね。もう気がすんだ。楽しかったわ」と告げ、ゆきのの後を追い、一人で青森へ向かいました。

 この場面を読んで、弥生は、自分の止まってしまった時計の針を進めようとしていると感じました。弥生は、温かい家族に育てられ、家に帰ればそれまでと同じ幸せな時間が待っているのですが、それでも、事故のことも、実の家族のことも思い出した弥生は、そのうえで、育ての家族との時間へ帰るため、一人で青森へ行き、そこで、ゆきのに会わなければならないのだと思いました。

 弥生は、詩人なのかもしれません。ゆきのの後ろ姿に触れ、「ピアノを弾く細い指のその向こうに彼女は何かとほうもなく巨大ななつかしさを隠している。それが、失われた子供時代を持つ人にはきっと特別よくわかるのだ。夜よりも深く、永遠よりも長い、はるかな何か」と感じます。

 時計の針が止まったまま後ろ向きに生きているだけの人生というものもありますが、同時に、人間はいつか、止まってしまった時計の針を自分自身で再び進めなければならない時がくるのかもしれません。それは誰かを傷つけ、何かをあきらめ、過去の自分自身を捨てることにもなりかねませんが、しかしそれゆえに、その止まってしまった時間を懐かしむひと時、時計の針を進めてしまえば二度と訪れることがないことを本能的に悟っている時間を過ごす間が特別なことも、弥生は知っていたのかもしれないと思いました。

 『哀しい予感』は、ラストはハッピーエンドでした。弥生は、「短いけれど、不思議な日々だった」と振り返ります。ゆきのは、「旅だったね」「私は、もう大丈夫。だから弥生、もう、お家(うち)へお帰り」と声をかけます。哲生との恋が始まってしまった弥生は、「家へ帰るのだ。厄介なことはまだ何も片づいていないし、むしろこれから、たくさんの大変なことが待ち受けている」と思います。しかし、それでも、弥生は、大丈夫と思っていたのではないかと思います。なぜ、大丈夫なのかは説明できませんが、強いて言えば、弥生の中に、二度と訪れることがない時間を愛おしく感じた時間が流れたからではないかと思いました。


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