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門/夏目漱石のあらすじと読書感想文

2012年7月11日 竹内みちまろ

門/夏目漱石のあらすじ

 野中宗助は妻のお米とつれあって6年ほど。月曜日から土曜日まで役所に通い、けんかをしたことがなく、つつましくも2人で静かな世界を作っていました。

 ある秋の天気の良い日曜日、宗助は、縁側に座布団を持ち出し、寝ころんでいました。宗助は、他界した叔父の家である佐伯の家の住所をお米に聞きますが、お米から「手紙じゃ駄目よ、行って能(よ)く話をして来なくっちゃ」」と言われます。宗助は京都大学に通っているときに、親友・安井から「これは僕の妹だ」と紹介されたお米と出会い、お米といっしょになり、「親類を棄て」「友達を棄て」「一般の社会を棄て」「もしくはそれ等から棄てられ」、大学を退学し、家にも帰れない事態になりました。京都から広島へ行って半年ほどした時に、父が死にました。母は父よりも6年前に死んでいました。宗助は叔父に邸を売ることを依頼しました。財産を整理した叔父からちゃんとした報告がないまま叔父が死にました。

 宗助は広島から福岡に移り、東京へ戻ります。宗助とお米は、世間とのつながりをほとんど持っていませんでした。しかし、仲が良く、伊藤博文暗殺の号外を手にした宗助が「おい大変だ、伊藤さんが殺された」と台所へ入ってお米に話したり、日が暮れたら明かりをつけて2人で時間を過ごしたりと、ささやかな世界をつくっていました。

 宗助は、10歳ほど年の離れた弟・小六の学費の件で、佐伯の未亡人と息子の安之助に話をしなければならないのでしたが、その件もあいまいなまま、小六が、佐伯の家から宗家の借家へやってきました。大学は学費のめどがつかないので休学していました。

 ある日、夫婦の世間話の中で、宗助が「子供さえあれば、大抵貧乏な家でも陽気になるのさ」と口にしました。お米は「私は実に貴方に御気の毒で」と告げ、黙ってしまいました。お米は、一度流産し、初産の子は一週間で死んでいました。3回目に懐妊したときに、足を滑らせて尻餅をついていました。しかし、宗助には何も語らず、生まれた子は一度も呼吸をしませんでした。「私は実に貴方に御気の毒で」と言われた宗助はお米をなぐさめます。

 宗助は、そばに住んでいる家主の坂井の家に夜中に泥棒がはいり、その泥棒が崖を降りて宗助の借家の庭に逃げ込んできたことがきっかけで、それまでは、女中の清に家賃を持たせて行かせるだけだった坂井と親しくなり、坂井の家を訪れるようになります。

 その坂井から、蒙古(モンゴル)に渡っていた坂井の弟と、弟の知り合いの、かつては京都大学に通っていたこともある「安井とか云」う男が来るから、いっしょに飯を食わないかと誘われます。「宗助と御米の一生を暗く彩った関係」ができてのち、宗助は、安井とは会っていませんでした。安井が故郷へ帰り、病気になり、大学を退学し、満洲へ渡ったという音信は聞いていました。宗助とお米は「安井の名を口にするのを避け」てここまで来ました。宗助は、坂井の家で「安井」という名前を聞いたのち、お米に、「御米、御前信仰の心が起った事があるかい」と告げます。

 「安井」の名を聞いてから宗助は落ち着かなくなりました。仕事帰りに、酔えない酒を無理に飲んだりしました。役所の同僚の紹介で、仕事を10日間休み、鎌倉の禅寺へ修行にいきました。しかし、行く前と何も変わらず、家に戻りました。

 季節が変わり、宗助は役所の人員整理の対象からまぬがれて、その上、昇級がありました。お米は、頭つきの魚を用意して、赤飯をたきます。冬が終わろうとしている時期でした。お米は「本当に有難いわね。漸くの事春になって」と「晴れ晴れしい眉を張」ります。しかし、爪を切っていた宗助は、縁側で下を向いたまま、「うん、然し又じき冬になるよ」と答えました。

門の読書感想文

 『門』は読み終えて、それまでの『三四郎』や『それから』という作品とは違った独特の雰囲気を感じました。『三四郎』では、田舎での青年の行動がつづられ、『それから』ではラストへ向けて主人公が人生を切り開くために行動の人となり激しく動きます。しかし、『門』の宗助は、冒険をしたり、行動したりすることはしませんでした、ストーリーも、秋の日曜日の縁側から始まり、冬の日曜日の縁側で終わります。冒頭の場面からいったん遡及して過去が語られて、ふたたび冒頭の場面に戻り、そこから時間軸が進んでいきます。2人の「過ち」は明確には記されていませんが、お米は、安井の「妹」ではなくて、妻や婚約者のような存在だったのかもしれません。

 『門』で語られるのは、お米が熱を出した時に医者を呼び、お米の体に芥子を塗って看病したり、叔母の家から送ってきた父親の遺産で唯一残った屏風を古道具屋に売ったり、昔、宗助が安井から一通の封筒を受け取ったことなどです。何か事件が起きてそのことを詳しく語ったり、人物の冒険や行動を追うような作品ではありませんでした。

 印象に残っている場面があります。宗助が、お米が坂井から「安井」のことを聞いたりしないかと心配し、夜もろくに寝られなくなった場面でした。それまでは、寝床に入ってから、小六の学費の件をお米から「小六さんの事はどうなって」と聞かれても、宗助は「未だどうにもならないさ」と答え、「十分ばかりの後夫婦ともやすやす寝入った」という生活をしていました。しかし、坂井から「安井」の名を聞いてからは、宗助は落ち着かなくなり、その日も夜中の三時ころにようやくまどろみ、しかし、「世の中が膨れた。天が波を打って伸びかつ縮んだ。地球が糸で釣るした毬(まり)の如くに大きな弧線を描いて空間に揺(うご)いた。凡てが恐ろしい魔の支配する夢」を見て、七時過ぎに、はっと目を覚ました場面でした。「御米が何時(いつ)もの通り微笑して枕元に曲(かが)んでいた。冴えた日は黒い世の中を疾(とく)に何処かへ追い遣っていた」と書かれていました。

 この場面を読んだ時に、2人が作り出しているつつましい世界の静謐さのようなものを感じました。同時に、2人の世界の奥深くには取り返しにつかないものが埋まっていたり、どうすることもできないものがしみ込んでいるような、もの悲しさを感じました。

 「何時(いつ)もの通り」とあるからには、お米は、いつも宗助が起きる時間に枕元にいるのだと思いました。また、いつものように微笑んでいるとも書かれています。

 しかし、この場面では、宗助は何も語っていません。あるいは、語ったかどうかが語られていません。お米は、宗助からは「安井」のことは何も知らされていないのですが、それでも、悪夢にうなされる宗助の枕元でほほ笑みを浮かべ、宗助が起きるのを待っています。伊藤博文暗殺の号外を見たら真っ先に台所へ行って、お米に話すのに、宗助は、「安井」のことをお米に話しません。そして、禅寺へ行くにも、ちゃんとした理由を告げていません。禅寺から帰ってきてからも、何も話さず、自分ひとりの心の中に留めたまま、ただ、時間の流れに身を任せています。お米にしても、妊娠中に尻餅をついたことを宗助に言いません。後ろめたさは持っていますか、言っていません。

 ラストシーンで、お米は、家の中から、日が透けて見える障子のガラスへ顔を向けて「本当に有難いわね。漸くの事春になって」と「晴れ晴れしい眉を張」ります。しかし、宗助は、縁側で下を向いたまま(=お米には背中を向けたまま?)、「うん、然し又じき冬になるよ」と答えます。

 宗助とお米は2人だけの世界をつくっていますが、その2人は、心を通わせているわけではないのかもしれません。『門』を読み終えて、人間存在の本質的な孤独とでもいうようなものへ向けられた漱石の「まなざし」を感じました。


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