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坊っちゃん/夏目漱石のあらすじと読書感想文

2011年8月17日 竹内みちまろ

坊っちゃん/夏目漱石のあらすじ

 子どものころから無鉄砲で損ばかりして育った「おれ」は、家族の愛には恵まれず、しかし、使用人の老婆・清(きよ)だけはいつでも「おれ」の味方でした。物理学校(現・東京理科大学か)を卒業してから、物理学校の校長の紹介で、四国の中学校(現・高等学校)に数学教師として赴任することになりました。

 生粋の江戸っ子の「おれ」は、最初、飛び込みで入った宿屋・山城屋に宿泊しますが、わびしい部屋に通され、こんな部屋は嫌だと文句を言います。しかし、あいにくほかはすべてふさがってるとのこと。しかし、風呂に行ったついでに覗いてみると、涼しそうな空き部屋がたくさんありました。「おれ」の四国での生活が始まります。

 「おれ」は、学校の同僚たちに、次々とあだ名をつけました。英語教師の古賀は「うらなり君」、数学の堀田は「山嵐」、画学の吉川は「野だいこ」、教頭は「赤シャツ」、校長は「たぬき」。山嵐から「君あまり学校の不平を云うと、いかんぜ」と忠告されるも、田舎の人々の発想などおかまいなしで、自己流を通します。天ぷらそばを4杯食べては、翌日、教室の黒板に「天麩羅先生」と書かれたり、初めての宿直の際、そうとは知らずに無断外出をしてそれでいて平気な顔をしたり、宿直室の布団の中にイナゴが入り込んだり、夜、寄宿生たちから、階上でいっせいに足音を立てられるなどのいたずら(?)をされ激怒したりします。

 しかし、学校では、「山嵐」が煙たがられていた反面、かえって、赤シャツなどは新任の「おれ」を手なづけようとさえします。赤シャツは、「おれ」を、釣りに誘いました。赤シャツと野だいこの会話に「マドンナ」が出てきましたが「おれ」はなんのことだかわからず、2人の話から、「山嵐」が悪い奴だということだけ想像がつきました。

 翌日、「おれ」は、山嵐から氷水をおごってもらった分の1銭5厘(りん)の小銭を「奢られる因縁がないから」と山嵐につき出しましたが、突き返され、逆に、山嵐が紹介した下宿を出てくれと言われます。骨董が趣味で下宿人に骨董品を売りつけようとする主人が「おれ」が何も買わないので煙たがって、「山嵐」をだまして追い出そうとしたのでした。「おれ」と山嵐は冷戦状態となり、「おれ」は、うらなり君を頼り、下宿人を探していた老夫婦を紹介してもらいました。

 新しい下宿先の老婦人から、「マドンナ」はうらなり君の許嫁ですが、うらなり君の家が傾いてから嫁入りをためらっていること、赤シャツがマドンナを嫁にほしいと言いだしていることを聞かされました。憤慨した山嵐が赤シャツに意見し、赤シャツは、婚約があるものを横取りしようとしているのではない、今はただ、先方の家と交際しているだけだ、などといいくるめたことも知りました。「オレ」は、赤シャツとマドンナが、夜、川の土手で散歩している様子を目撃します。

 うらなり君が日向(現・宮崎県)に転任することになりました。月給が上がるとのことです。きなくささを感じた「おれ」は、うらなり君の送別会で、ぽつんと1人で寂しそうにしているうらなり君の姿や、ふんどし一丁で芸者を追いかけ回す教師たちの姿を見て、つくづく嫌気がさしました。

 午前中に、練兵場で日清戦争の勝利を祝う祝勝会がありました。町は日の丸だらけです。中学校と師範学校(教員の養成を目的とした学校)の行進が、曲がり角で鉢合わせし騒ぎが起きます。そのときは、格上の師範学校に中学校が道をゆずる形でおさまりました。

 「おれ」は、いったん宿に戻ります。仲直りをした山嵐が牛肉を持ってやってきます。鍋と砂糖をかりて牛肉を食べ、山嵐から芸者を呼び出しているという赤シャツをこらしめようと相談を持ちかけられていると、中学校の生徒でもある赤シャツの弟が、祝賀会の余興を見に来ないかと誘いにきました。

 祝賀会会場で再び、中学校と師範学校のもみ合いが始まり、今度は本格的なけんかになりました。山嵐と「おれ」は、けんかをやめさせようと飛び込みます。警察が来たとたん、生徒たちはみな逃げだし、山嵐と「おれ」は事情を聞くため署まで連れて行かれました。

 翌日、教室に入ると、「おれ」は生徒から拍手をもって迎えられました。しかし、新聞には、山嵐と「おれ」が扇動してけんかが発生したという記事が掲載されます(後日、ありあわせ程度の取り消し記事が掲載)。山嵐は辞表を出すよう校長から言われ、「おれ」は言われませんでした。

 「おれ」は辞職することにした山嵐に協力して、張り込みをし、赤シャツと野だいこが芸者を連れ込んだ宿から出た現場をおさえました。赤シャツと野だいこを、さんざんこらしめました。「おれ」は宿を引き払い、辞表は港からたぬきに郵送しました。そのまま、東京へ帰りました。

坊っちゃん/夏目漱石の読書感想文

 『坊っちゃん』を読み終えて、明治初期という文明開化の世の空気を感じました。それは、1973年生まれのこの読書感想文の筆者は直接には知りませんが、筆者の両親や、祖父母の時代までは流れていた、いわば、伝え聞いた時代の空気だと思いました。

 「おれ」が、山嵐から紹介された宿を追い出されて、さて、これからどうする、という場面がありました。四国に到着した時も、「おれ」は宿の手配など何もせずに、切符だけ買ってやってきたのですが、それが当時の旅、当時の赴任というものかもしれないと思いました。四国というのは箱根の山の向こうかこちらかと尋ね、おみやげに越後の笹あめが食べたいという清にとっては、四国は外国に等しく、さらに、その外国に関する情報をまったく持っていないのだと思いました。でも、それは、清に限ったことではなく、「おれ」も、これから赴任する場所に関する情報をまったく持っていない、そのうえ、事前に情報を収集するという発想すら持っていないことが伝わってきました。今であれば、行き当たりばったりの人は旅館でもなかなか受け付けてもらえず、なかには、「宿くらいなんで事前に予約しておかなかったんだ!」と怒り始める人もいるかもしれませんが、『坊っちゃん』に登場する人たちで、事前の準備が甘いなどと言う人は1人もいません。そして、「おれ」は、土地の人間であるうらなり君を頼り、うらなり君は、そういえば、いい下宿人がいたら紹介してほしいと言っていた老夫婦の家まで「おれ」といっしょに行ってくれました。また、新聞などはあったとはいえ、一般の人の生活にとってはそれほど大切なものではなく、宿はその日、その日に、飛び込みで探すものであり、情報は口から口へ伝わり、それゆえ、紹介や人のつながりで世の中が動き、また、一宿一飯の恩や、見ず知らずの人に民家が一泊の屋根を提供したり、というようなことが、社会のインフラとして存在していたのかもしれないと思いました。

 また、『坊っちゃん』の感想文には、なくてはならない清。今回も、清は、やはり、何があっても、「おれ」の味方なんだなと思いました。おばあちゃんというものはそういうものかもしれません。「だから清の墓は小日向の養源寺にある」というラストの一文は、何度読んでも、心に響きます。


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