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捨て子ごっこ/永山則夫のあらすじと読書感想文

2010年7月25日 竹内みちまろ

 「捨て子ごっこ」(永山則夫)という作品をご紹介する。ハードカバーの単行本「捨て子ごっこ」には、「破流(はる)」、「捨て子ごっこ」という二つの小説が収録されている。

 増補新版「無知の涙」に収録されていた解説「ノートを読んで」(秋山駿)に、永山則夫の下宿に残されていた社会用語辞書の裏に「私は生きる、せめて二十歳のその日まで」と記されていたことが紹介されていた。

 「捨て子ごっこ」の内容を簡潔にまとめると、両親や年長の兄・姉に捨てられた四人の共同生活の物語。四人は、中学二年の明子を筆頭に二人の小学生と、五歳のN。

 「捨て子ごっこ」では印象に残った場面がある。

 網走の冬、四人は布団の中で暖をとる。明子は、Nの寝小便のにおいにいらだちながらも、姉たちから下がってきた国語辞典を開き、言葉の書き取りを進める。

 幼いNは、その国語辞典の書き取りの場面では、すでに三人から放任されるようになっていた。今ふうにいえばネグレクトだが、気丈な明子が、自分たちが置き去りにされた境遇に気がついたとたんにNのおしっこの世話を始め、一人でできるようになりなさいとNを気づかっていた様子が、あらかじめ、たっぷりと描写されていただけに、Nの放任状態は心に染みた。

 話がずれだが、明子は、国語辞典から、「哀切」、「哀訴」、「悪循環」、「阿鼻叫喚」、「安楽死」など、文字を書き取っていく。明子の国語辞典が、永山則夫の社会用語辞書と重なった。

 また、Nが放任されていく様子を描くさまから、行間や空白にこそ思いは刻まれていくとでもいえるような、「哀訴」も感じた。

 幼いNは、幼いがゆえに、「ギブ・ミー」しながらトラックを追いかける要員として、子ども社会の中で重要な役割を果たしていた。しかし、Nは分け前のチョコレートを自分では食べずに、姉のセツにあげるのとポケットにしまい込む心を持っていた。

 しかし、そんなNの幼い心は、生活がすさんでいくと同時に、だんだんと地の文から抹消されていく。

 三人が家を出る(新聞配達や鉄くず拾いのため)ときに外側から鍵をかけられるようになり、子ども社会からも隔てられ、家の中に置き去りにされ、衰弱し、精神に異常をきたしていったというNに関する現象だけが、説明口調で、短く淡々と記され始めた。辞書の裏に「私は生きる、せめて二十歳のその日まで」と記した永山則夫は、自分をおんぶしてくれた(もしかしたら代理母としての)「セツ姉ちゃん」の背中を恋しがるNの心を、どんな思いで、地の文から抹消していったのか。

 しかし、生活がどうにもならなくなった三人が、幼いNを捨てようと決意してから、再び、Nの心が語られ始めた。Nの心というよりも、永山則夫の心の中に残っていた“詩”とでもいうべきか。

 「捨て子ごっこ」は、哀しく、無残で、やるせない物語ではあった。しかし、「捨て子ごっこ」を読み終えて、私は、永山則夫の心の中にある“詩”を、美しいと思った。


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