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海炭市叙景/佐藤泰志のあらすじと読書感想文

2015年8月18日 竹内みちまろ

 「海炭市叙景」は2章からなり、18作の短編の連作です。

 「海炭市叙景」の最初の短編「まだ若い廃墟」は21歳の妹が、27歳の兄と2人で初日の出を見るためにロープウェイを使って山頂に行く物語でした。舞台は、海と炭鉱と造船所とJRしかないという人口35万人の地方都市・海炭市。兄妹の父親は炭鉱の事故で死に、母親は2人が幼い頃に家を出て行ってしまいました。

 兄妹は、失業のため、正月早々、生活の見通しが立たなくなっていました。部屋中を引っ掻き回してお金を集め、家を出ます。妹は兄の腕にすがるようにして歩き、兄が照れると、ますます腕を絡ませ体を寄せました。

 山頂のラウンジで兄はビールを注文し、「温かい場所で飲む冬のビールは格別だよ」と声を弾ませます。帰りのロープウェイの切符を買うお金は一人分しか残っておらず、兄は歩いて帰ると言い始め、妹だけがロープウェイに乗りました。

 妹はふもとのロープウェイ乗り場で6時間待ちましたが、兄は戻ってきません。売店の女と少女からは気味悪がられて、「この人、頭がすこしおかしいわ」、「そうでなくたって、元日から仕事に出てきてるっていうのに」などと散々嫌味を言われます。

 妹は、「あやまらない。誰にもあやまらない。たとえ兄に最悪のことがあってもだ。他人が兄やわたしをどう思おうと、兄さん、わたしはあやまらないわよ」などと自分に言い聞かせます。

 兄は死体で発見されました。

 「まだ若い廃墟」に続く17の作品の舞台も、海炭市でした。「若い人間の生きにくい街になってしまった」と嘆く父親とうまく接することができない東京から戻って来た幼子を抱える若夫婦、叱っても、息子への後妻の虐待を止めることができないプロパンガス店の経営者、過去があり今はパチンコ屋に住み込みで働く男など、みんな影を持っています。

 そんな中、印象に残っている作品がありました。「裸足」という作品です。

 「裸足」は、4月の終わり、寺に預けていた祖母の遺骨を街の真東にある公園墓地に納骨し、夜の街に出た博の物語です。8000円しか持っておらず、路地の女に断られましたが、「愉しくお酒を飲まない」と誘われスナックに入ります。

 博は、店の女に、祖母が「このあたりでおねえさんたちみたいな仕事をしていたんだ」と話します。博の目的は、セックスをすることではなく、「祖父の戦死のあと、祖母が働き場所にしていた、あの夜の女たちのいる場所、砂嘴の真っただ中にある場所へ一度、行っておこうと。そこがどんな場所か自分の目で確かめておこうと」と感じたからでした。博は、いつか、海炭市と縁が切れる日が来ることを感じていました。

 「裸足」のストーリーは、店じまいというときに、漁船で働く男が酔って店に入ってくることで展開します。酔った男は、女たちから相手にされず、店の男につまみ出されてしまいました。博に、「俺は金をちゃんと持っていたんだ」、「俺は二ヶ月も海の上で働いたんだ。明日からまた海で働く」、「俺は一滴も酒を飲んではいけないのか、女と寝てもいけないのか」などと告げます。

 この場面を読んで、この酔った男の姿に救いのなさを感じ、せつなさと、憐憫の情を覚えました。しかし、物語の中の博は、笑いをこみあげていました。

 「海炭市叙景」はどの作品を読んでも、冒頭の「まだ若い廃墟」で死んだ兄の疲労感と、「わたしはあやまらないわよ」と自分に言い聞かせる妹の崖っぷちに立たされてもなお意地を張るような必死さが根底に流れているように感じました。

 一読しただけでは、海炭市という場所で生きる人々が背負っているものを、読者として傍観することしかできず、せいぜいが鑑賞に浸って終わりでした。2度、3度と読み返し、自分も海炭市の中の住人として、物語世界を、そして、海炭市の中を、歩いてみたいと思いました。


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