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魔術/芥川龍之介のあらすじと読書感想文

2011年2月10日 竹内みちまろ

魔術のあらすじ

 『魔術』は、ある時雨の晩から始まります。「私」は人力車で、何度も大森界隈の険しい坂をいったりきたりします。竹藪に包まれた小さな西洋館に到着します。表札には「印度人マティラム・ミスラ」と記されています。

 その日は、魔術師として高名な友人から魔術を披露してもらうことになっていました。友人は、テーブルクロスの花模様から花を取り出したり、ランプを回したり、本棚から本を手招きするだけで本を取り出してきてしまったりします。友人は、「あなたでも使おうと思えば使えますよ」「高が進歩した催眠術に過ぎない」と告げます。魔術に驚いた「私」は「私のような人間にも……」と持ちかけます。友人は「使えますとも。誰にでも造作なく使えます。ただ――」と告げます。魔術は「欲のある人間には使えません」とのことでした。「私」は魔術を習うことになり、友人が「御婆サン。御婆サン。今夜ハ御客様ガ御泊リニナルカラ、寝床ノ仕度ヲシテ置イテオクレ。」と告げます。「私」は友人の顔を思わず見上げました。

 『魔術』は、ここから場面が飛びます。友人宅で魔術を習得してから1か月がたっているようです。銀座のクラブの一室で、5、6人の仲間と歓談していると、「私」の魔術が話題になりました。「私」は暖炉の石炭の火を取り出し金貨に変えます。「私」は金貨を暖炉に戻そうとしますが、友人たちが承知しません。友人の1人が、骨牌(かるた:トランプか)で勝ったほうが金貨を好きにすることを提案し、「私」はカードをするはめになりました。しかし、なぜか、「私」は大勝ちします。いつのまにか、金貨と同じだけをもうけていて、熱が入った友人が「僕の財産をすっかり賭ける」と言いだしました。「私はこの刹那に欲が出ました」とあるとおり、「私」は魔術を使ってイカサマをします。友人との勝負には勝ちましたが、カードの「王様」が、札から外で出てきて、にやりと不気味な笑みを浮かべます。「御婆サン。御婆サン。御客様ハ御帰リニナルソウダカラ、寝床ノ仕度ハシナイクテモ好イヨ。」と告げます。

 気がついたら、「私」は、王様のような笑みを浮かべる友人と向かい合っていました。

魔術の読書感想文

 『魔術』は小品ですが、うまいなあと思いました。

 時雨とは、降ったり止んだりととめどなく続く冬の雨をいいます。四季それぞれの降り方をする日本の雨の中でも特に詩歌になじみの深い雨です。京都では、山の片側で降っていた時雨がもう片側に移動するということも特徴として挙げられます。芭蕉の俳句集「猿蓑(さるみの)」は「初しぐれ猿も小蓑をほしげなり」の句が巻頭に置かれています。『魔術』では、時雨の晩に、坂を行き来し、竹藪に包まれた館を訪れるという設定が、どこか、日常世界から別世界へ迷い込んだような雰囲気を与えています。

 また、トランプの場面も、はじめは「私」は欲を持ってはいけないと自制するのですが、友人たちからの提案を断り切れなくて勝負をするはめになってしまうという設定が読者に感情移入させます。しかし、なぜか大勝ちしてしまい、石炭から変えた金貨、同額の勝利金、そこに、友人の全財産を賭けるの言葉が加わるという展開を用意しています。大森の友人の言葉に従い自制しながらも、断り切れなくてついカードをやるはめになったという不可抗力的なシチュエーションと、お金が3段階に膨れあがろうとするという展開が周到でした。『魔術』は”夢おち”の一つなのですが、芥川龍之介の時代に”夢おち”という概念があったかどうかはわからないのですが、現代の読者が読んでも、納得できる作品に仕上がっていると思いました。また「催眠術」を用いて夢を見せられたという設定も、夢を見たという単純な”夢おち”よりもひねりが効いています。わざわざカタカナで記したセリフを利用した伏線も効果的だと思いました。

 『魔術』は芥川龍之介の技術がいかんなく発揮された作品だと思いました。


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