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ハーモニー/伊藤計劃のあらすじと読書感想文

2017年5月23日 竹内みちまろ

ハーモニー/伊藤計劃のあらすじ

 北米で大暴動が発生し、世界中に核弾頭が落ちた50年後。放射能でみんなががんになり始め、世界は病気そのものの駆逐に乗り出した。国家という枠組みは過去のものとなり、人々は提供される医療システムについて一定の合意に至ったメンバーの集まりである医療合意共同体「生府(せいふ)」の構成員になった。「生府」を政治形態とする社会では、「生命主義(ライフイズム)」が唱えられ、人間は貴重な社会的リソースとして位置付けられた。子どもの事故を防ぐため、知能を備えたジャングルジムは足を滑られせた子を自らの形体を変えることで受け止め、子ども同士の間でもリソースを傷つけるいじめは絶対に許されない社会が実現した。

 女子高生だった霧慧トァン(きりえ)は、公園で、デッドメディアとなり一部の愛好家が製本業者にわざわざ頼むことでしか手に入らない本を読んでいた御冷ミァハ(みひえ)から声を掛けられた。

 ミァハは、トァンともう一人の零下堂キアン(れいかどう)に、「わたしたちはおとなにならない、って一緒に宣言するの」、「このからだは」「ぜんぶわたし自身のものなんだって、世界に向けて静かにどなりつけてやるのよ」などと告げる。生命主義の健康社会では、人間は「公共物としての身体」として扱われ、大人になると構成員は誰でも体の中に恒常的体内監視システム「WatchMe」を埋め込まれた。「WatchMe」は分子レベルで絶えず血中のRNA転写エラーレベルや免疫的一貫性の監視を行い、そこから外れるものがあれば即座に排除する。「WatchMe」の開発で病気の大半は駆逐されていた。

 ミァハは「だから、奴らの財産となってしまったこの身体を奪い去ってやるの」といい、1日1回飲むだけで、胃から腸に至るまでの消化器官が口から入る栄養を吸収しなくなる錠剤を取り出した。体内に「WatchMe」を埋め込まれてしまう大人になる前に死ぬには今しかないと、3人は錠剤を飲み込んだ。結果、ミァハは死に、トァンとキアンは生き延びた。

 大人になったトァンは、WHO(世界保健機構)の1部局である螺旋監察官事務局の螺旋監察官になった。螺旋監察官事務局は、発足当初は世界原子力機構(IAEA)の遺伝子版組織として、人類にとって危険な遺伝子操作が行われていないかどうかの技術的な立ち入り検査をすることが仕事だった。局自体が「生命権の保全」を旗印にかかげ、各地の生府や、(まだ若干残っている)政府がその住民に充分「健康的で人間的な」生活を保障しているかどうかを査察することを使命としていた。国家が縮小に縮小を重ね、軍隊と警察の一部を残して、いまや莫大な数の生府が世界の経済システムを管理していたが、螺旋監察官は、介入先の政府などから恨みを買うことも多く、過去20年で12人の螺旋監察官が銃殺、刺殺、絞殺、毒殺、爆殺などで殉職していた。

 ミァハ1人が死を遂げてから、生き残ったトァンは、過食と拒食を繰り返し、大人になると、「大人になることを受け入れるふりをすること」、「大人であるとシステムをだまし続けること」によって、「思いやりと慈しみでじわじわと人を絞め殺す社会」から、「少しだけ逃げ出した」。トァンは、「昔は自分自身のものであった、病気になること、生きること、考えることなどを機械に任せて放棄した大人にはなりたくない、この体は私のもの、わたしはわたし自身の人生を生きたい、互いに思いやり慈しむ空気に絞殺されるのをまつのではなく」と思っており、「トァンはさ、わたしと一緒に死ぬ気がある……」と声を掛けてきたミァハのことをいつも考えていた。

 トァンは、螺旋監察官の仕事で赴任していた海外から日本に戻ってきた。空港でキアンに出迎えられ、ランチを取ることに。キアンはトァンと、ミァハについて話しているときに、じっと食事の皿を無表情に見つめ、なぜか「うん、ごめんね、ミァハ」とつぶやき、トァンの目の前で、唐突にテーブルナイフを握り、自らののどに突き刺した。キアンは、ナイフでのどを頸動脈もろとも一気に外側へ切り裂き絶命した。

 その瞬間、世界中で、6500名以上が一斉に自殺を試みて2700名以上がやり遂げた。生命主義を称える世界は、衝撃的な事件に浮足立ち、どう受け止めてよいのか分からず、うろたえた。カウンセリングセンターは「目の前で人が死ぬなんて、とてもじゃないが信じられない」との訴えでバンク状態になった。

 トァンは、「他者を信じなければならないという強迫観念こそが、この社会を支えていた。互いが互いを少しずつ人質にとるとはそういうことだ。老いと事故以外では死なない人間たちが、絶えず個人情報を晒し、生府のディスカッションや倫理セッションには必ず参加して、然るべき専門家の助言を受けながら合議で物事を決める」と現状を振り返り、「しかし、それが少しだけ歪められてしまった。あの事件によって」と思った。

 WHOは、一斉自死事件と事件が起こした混乱は、「生命社会に対するテロ攻撃」と断定し、全生府に対し、生命権に対する何者かの全面的な攻撃であるという声明を発表した。各生府とWHOが締結している条約の効力により全螺旋監察官は担当地域で、警察による捜査活動に参加することが可能となった。

 トァンは、キアンが死んだ理由を自分の手で解明すると決意した。

【大災禍(ザ・メイルストロム)とは】

 「大災禍(ザ・メイルストロム)」とは、 2019年に発生した北米を中心とする英語圏での大暴動のこと。

背景:アメリカ合衆国は2010年前後から、「二十一世紀の核弾頭」との喧伝で、大量に「信頼性代替核弾頭」を製造。しかし、2019年に発生した北米を中心とする英語圏での大暴動で、「信頼性代替核弾頭」が大量に第3国家に流出。フランスやドイツを中心とするEU軍が介入し、核施設を無効化していったが、35発の「信頼性代替核弾頭」が北米から流出した。14発が回収され、2発がアメリカ自身の領土内で、19発が世界各地の紛争で使用された。

 「大災禍」では、北米大陸だけでも1千万人以上の人間が命を落とした。アメリカを大暴動が襲い、ヒスパニック、コリアン、アフリカンなど、民族虐殺が次々と起こった。トァンの父親の霧慧ヌァザと共同で研究を進めていた冴紀ケイタ教授によると、「皆が皆、虐殺するための器官を生得的に持っているかのように精力的な虐殺ぶりだった」。

 「大災禍」が核兵器の拡散と世界中での核兵器の使用を引き起こし、放射能を浴びた人類は、病気そのものの駆逐に乗り出した。

【WatchMeとは】

 WatchMeとは、恒常的体内監視システムのこと。体内に埋め込まれ、分子レベルで絶えず血中のRNA転写エラーレベルや免疫的一貫性の監視を行い、そこから外れるものがあれば即座に排除する。

 霧慧ヌァザと冴紀ケイタが、「WatchMe」に連なる一連の技術をはじめてきちんと理論にした。「WatchMe」は病気の大半を駆逐した。

【メディアケア群とは】

 メディアケア群とは、1家に1台ある薬品工場。ソフトウェアの指示で体内の病原を駆逐する医療分子を精製するために必要な物質を合成してくれる。血中の蛋白から病原性物質の駆逐に必要な物質を即座に合成し、ターゲットとなるエリアにピンポイントで送り込む。

【生命主義(ライフイズム)とは】

 生命主義(ライフイズム)とは、生命や身体を第一とする考え。

 「大災禍」と核兵器の使用を経験した世界は「生命主義」を唱え、国家ではなく、医療合意共同体「生府(せいふ)」を政治形態とし、「生府」の構成員となった。

【生府(せいふ)とは】

 生府(せいふ)とは、提供される医療システムについて一定の合意に至った人の集まり。生府にも評議員はいるものの、かつての政府の議員とは違い権力は集中していない。国家という枠組みは過去のものとなった。生府では力を細かく配分しすぎたため、「生府を攻撃しよう」と気勢をあげたところで、火炎瓶を投げつける国会議事堂は存在しない。

ハーモニー/伊藤計劃の読書感想文

 「ハーモニー」を読み終えて、作中に描かれていた未来世界の在り方が、現代社会の根底にある問題を言い当てていると思いました。

 「ハーモニー」に描かれる未来社会では、WatchMeによる監視と、健康コンサルタントによる管理によって、太り過ぎもやせ過ぎもほぼ完璧に駆逐され、「デブ」という言葉は死語になっていました。

 トァンは、日本人が医学的に均質化された光景に異様さを感じます。「座席に座っている男女ときたら、マネキンAとマネキンBの違いしかない」、「まるで鏡の国に迷い込んだよう」と違和感を感じていましたが、豊かさが進んでいるアメリカや日本では、喫煙者が嫌われ、人々はダイエットや心身の健康作りに身を乗り出し、お金と時間を費やし、健康こそが最大の贅沢であり、最大のレジャーでもあるともいわれる社会が実現しています。「ハーモニー」は、社会の段階が進むにつれて発生する人々の意識の大きなトレンドのようなものをとらえていると思いました。

 また、作中の世界では、人々は拡張(オーグ)によって常に個人情報(名前、年齢、職業、社会的評価点、健康保全状態)を誰でも見ることができるようにオープンにしていました。「個人情報を表示しておかないと、みんなに白い目で見られるよ」という社会も、印象的でした。プライバシーを失うことよりも、素性の知れない人を排除して、みんなでみんなを少しずつ監視する社会を人々は選択したようです。現在のネット社会では匿名社会という面が色濃い部分もあります。しかし、匿名では誰からも相手にされず、信頼を得ることもできず、例えば何かをやりたいと思ったら、ネットの中でも責任者情報の明確な開示を求めらたりなどすると思います。SNSでもプロフィールに自分の顔写真を表示することが信頼に繋がることもあると思います。ネットの匿名性というものがある一方で、その存在がさらに後押しをする形で、個人情報をオープンにした監視&管理社会というものが加速しているような気がしていますので、「ハーモニー」で描かれていた社会の姿に説得力を感じました。

 そんな社会の中で、人々が目指したのは、冴紀ケイタ教授の言葉を借りれば、「すべての人間が完璧にハーモニーを描く社会」であり、「完璧な人間の完璧な運営による完璧な社会」でした。冴紀教授は「進化した意識を持つ人類」の誕生にも言及していましたが、「次世代ヒト行動特性記述ワーキンググループ」は、「わたしはわたしである」という意識にこそ人間の尊厳があると主張する主流派と、「わたし」という意識を消滅させることで「本物のハーモニーが訪れる」と信じる少数派に分裂し、少数派はテロ行為によって、技術的にはインフラが整っているという、人々から「わたし」という意識を排除するためのボタンを主流派に押させようとしていました。

 自意識を捨て去ることで、原初の恍惚に包まれたユートピアが生まれるという発想の根底に流れるもの何なのだろうと思いました。それは、社会への疑問や絶望であり、その疑問や絶望は現在社会にも共通するのではないかと思いました。トァンは「迷いがなければ、選択もない。選択がなければ、すべてはそう在るだけだ」と考えます。現代社会では、自由というものがあるがゆえに、個人は常に選択することを迫られます。「自己実現をしなさい、何者かになりなさい、夢を持ちなさい、やりがいを見つけなさい。だってあなたは何者にもなることができ、どんなことでもできるのだから」と社会は脅迫的に迫ります。しかし、現実社会では、すべての人が自身の夢や希望に基づいた選択をすれば幸せになれるわけではなく、むしろ、社会は「自己実現をしなさい…」と迫る一方で、自己実現などできやしない現実を作り上げてさえいるとも思います。

 とうてい自己実現などできやしない世の中で自己実現を迫られた人間は、自由からの逃走ではありませんが、選択から逃げ出したくなるような気がしました。

 中世社会では、農家の家に生まれた子どもは自分も農家になり、武家に生まれたら武士になり、親の後を継いで、生まれ育った村や町で一生を終えたのかもしれません。そんな社会では人々は、少なくとも、自己実現を迫られる恐怖は感じていなかったのかもしれません。

 ミァハにはミァハの絶望があり、トァンはトァンで生命主義の社会に絶望を感じていましたが、ミァハが持っていた絶望とも、トァンが持っていた絶望とも重なる絶望を、現代人はときに持っているのかもしれないと思いました。


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