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日の名残り/カズオ・イシグロのあらすじと読書感想文

2018年1月25日

日の名残り/カズオ・イシグロのあらすじ

この品格はおそらく「偉大さ」という言葉で表現するのが最も適切でしょう。今朝、あの丘に立ち、眼下にあの大地を見たとき、私ははっきりと偉大さの中にいることを感じました。この国土はグレートブリテン、「偉大なるブリテン」と呼ばれております。少し厚かましい呼び名ではないかという疑義があるやにも聞いておりますが、風景一つ取り上げてみましても、この堂々たる形容詞の使用はまったく正当であると申せましょう。

カズオ・イシグロ『日の名残り』、土屋政雄訳(2001)、p41-42、ハヤカワepi文庫

 一九五六年、三年前に主であったダーリントン卿がこの世を去り、親族たちが相続を放棄した由緒正しい屋敷「ダーリントン・ホール」は、アメリカ人の資産家ファラディが所有することとなった。

 本作の主人公スティーブンスは父子2代にわたりダーリントン卿に執事として仕え、彼自身は数々の国際行事を成功に導いてきたことに誇りをしているが、1920年代〜1930年代の激動の時代が終わり、もう二度とそのような華々しい場面に立ちあうこともないだろうと、虚しさといえる感情を抱いている。

 物語は新しい主人であるファラディの「自分の留守中、どこか旅行でも行ってきたらどうだ」という、気まぐれとも思える提案からはじまる。

 スティーブンスはファラディとの些細な意思疎通の不具合から生じる自分がするはずもないミスを頻発しており、この提案に対して当初乗り気ではなかったが、二十年以上前に結婚を機にダーリントン・ホールの女中を退職したミス・ケントン(現ミセス・ベン)からの手紙をふと思いだす。

「これからの人生が、私の眼前に虚無となって広がっています」

 彼女のありし日の郷愁を誘う手紙が引き金となり、スティーブンスはファラディから借りたフォードに乗って、ミス・ケントンに会うため6日間の旅に出発する。

 冒頭に掲げた引用は、旅の一日目に丘の上から見たイギリスの風景から想起されたものであり、この物語はまさにこの風景、すなわち「偉大さ」をめぐって過去と現在が交錯する長い旅だ。

 執事としての誇り高さをアイデンティティとするスティーブンスは、この「偉大さ」について執事としての「品格」という問題に置き換え、時に記憶を辿りながら、時に旅の道中で出会う貴族社会とは無縁の人々との会話のなかで考え続ける。

 スティーブンスにとっての「偉大さ」であり「品格」にあたるものとは、世界と自身の位置関係にあった。彼はその当時の世界を「車輪」にたとえて解釈している。第二次世界大戦前、世界の明暗を分ける重要な決定は公の会議室で下されるものでなく、有力な貴族が所有する屋敷のなかで私的な会合を装ってなされていたという事実があった。イギリス国内でも政治的発言力を持っていたダーリントン卿はその会合をダーリントン・ホールで主宰することが度々あり、スティーブンスは高潔な意思を持つ主人に仕え、その現場に立ち会うことに執事としての大きな満足と充実を感じていた。それがたとえ、主人がナチス・ドイツによるイギリス工作に巻き込まれる結果なり、主人が他者からの非難を浴びる結果になろうとも。

 四日目の午後、スティーブンスはついにミス・ケントンとの再会を果たす。

 手紙の文面からは家庭が上手くいってない、離婚の危機にあるのではないか、と察していたスティーブンスであったが、彼女は夫とは和解したという。結婚当初は夫を愛していなかったが、月日が経ち、彼女は知らぬ間に夫のことを愛していたと気づいた。

 そしてスティーブンスは彼女に「これからの人生が、私の眼前に虚無となって広がっています」という言葉の真意を問う。すると彼女は「私がそんなことを言ったはずがない」と答えるのだった。

「いやですわ。でも、そんなふうに感じた日もきっとあったのでしょうね。でも。ミスター・スティーブンス、そんな日はすぐに過ぎ去っていきます。はっきり申し上げておきますわ。私の人生は、眼前に虚無など広がってはおりません。なんといっても、ほら、もうすぐ孫が生まれてきますもの。このあと何人かつづくかもしれませんし」

 この言葉は、まさに彼と彼女を大きく分かつものだった。

 その二日後、この会話を思いだしながら海を見つめる。旅の終わりに、スティーブンスははじめて過去でなく、未来にまなざしを向ける。手始めに現在の主であるアメリカ人のファラディを笑わせるジョークを習得しようと彼は決意する。

日の名残り/カズオ・イシグロの読書感想文

 「壮大な感情の力を持った小説を通し、世界と結びついているという、我々の幻想的感覚に隠された深淵を暴いた」、カズオ・イシグロはこのように評価され、2017年ノーベル文学賞を受賞するに至った。

 ノーベル文学賞は特定の作品に与えられるのではなく作家の文学的功績に与えられるものであるのだが、世界中で非常にたくさんの読者を獲得しているカズオ・イシグロの作品群がこのように評される理由は、繊細な「郷愁」の感覚にあるのかもしれない。

 感情と世界を結びつける彼独自の幻想的な想像力は、「今ここにない」という現実によってもたらされている。1989年にイギリスでもっとも名誉ある文学賞のブッカー賞を受賞した本作「日の名残り(THE REMAINS OF THE DAY)」はまさにその代表作ともいえる小説で、今ここにない在りし日の感情と時代とともに変化する世界の関係性を描いた作品だ。中世ファンタジー世界を題材にした「忘れられた巨人(The Buried Giant)」とは違い史実に基づいたリアリズム作品である本作にも「幻想的」と形容される想像力を確かに感じるのは、今はもう「世界を動かす車輪」ではありえない貴族社会への郷愁によりもたらされているように感じられる。

 しかし本作で重要なのはおそらく消え去ったものではなく、「今ここにあるもの=名残り(Remains)」なのではないだろうか。

 ぼくらの生きる世界は絶えずめまぐるしく変化し、そのなかで人々は生き延びるために地位や価値観を変化させ、世界に適応しようとする。 しかし、その変化により生じる慣性力は否応なく誰しもに襲い掛かってくる。本作終盤でスティーブンスに訪れたのはまさにこの慣性力だ。

 ただ、姿かたちがなく、歴史という俯瞰から見ればやはり一過的なものでしかないこの「慣性力」を「今ここにあるもの」ととらえることは容易ではない。たとえその存在に気づけたとしてもその頃にはすべてはさざ波のようにすぐさま引いていき、あれはなんだったのかと思えばまた新しい波がやってくる。

 ぼくらがいる場所とは、もしかしたらスティーブンスが旅の終わりに行きついたそんな海辺なのかもしれない。そこでは絶えず波が押しては引き、その反復のなかでこそぼくらは波の運動が永続するものだと知ることができる。

【この記事の著者:まちゃひこ】
文芸作品やアニメのレビューを中心に行うフリーライター。文系一直線かとよく勘違いされるが、実は大学院で物理とかを研究していた理系。その他にも創作プロジェクト「大滝瓶太」を主宰し、小説の創作や翻訳を行っている。電子書籍レーベル「惑星と口笛ブックス」より短篇集『コロニアルタイム』を2017年に発表。
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